第5話 聖なる少女
スラムの大通りを進んでいくと、やけに小奇麗な白亜の建物が見える。スラムの様々なゴミや落書きだらけの街並みの中では異彩を放っていた。悪擦れした跳ね上がりがお絵かきの一つをしていてもおかしくないというのに、この美麗な聖堂はなぜ一つの傷もないように見えるのか疑問に思っているととうとう扉の前に到着する。
メイエルハニカが扉を押して無造作に入っていくと、白妙の祭服を纏う小柄な人物が手を組みながら振り向く。透明感のある絹糸のような白銀の長髪を緩く両肩のあたりでまとめ、優し気な琥珀色の下がり目、小さく整った鼻梁、薄い瑞々しい唇、類稀なる可憐な容貌の少女だった。メイエルハニカと共に並ぶと心なしか、風景がより華やかにすら見える。
「ようこそ。神の家へ」
鈴を転がすような清涼な声がした。
「失礼すル」
目が合うと目礼をする。少女はまじまじとキーの顔を見る。その眼には嫌悪が見えないことにまず安堵する。見惚れてもいなさそうに見えるとするとやはりキーのような見た目の人間は珍しいようだ。
「初めていらっしゃる方ですね。異国の方でしょうか」
「キーだ。よロしく頼む」
「当聖堂で教戒師を務めているナデュノーゲンと申します。よろしくお願いいたします。」
そういうと折り目正しく頭を下げる。
「こんにちはナデュノーゲン!」
「こんにちはメイエルハニカさん。キーさんとご一緒で?」
「うん付き添いだよ。ちょっとお願いしたいことがあるんだ」
「わかりました。どうぞお掛けになってください。」
快く席を勧めてくれる。2人はずいぶんと親し気な雰囲気である。かねてから親交があるのだろう。
「キーちゃんはお仕事をもらえないか相談に来たの。後、聖堂のことも教えてあげてほしいな。記憶喪失みたいなの」
「気の毒に……詳しく教えていただけますか?」
「気が付いたらこの町にいて、入るまでのコとは何も覚えていない。常識や言葉も忘れてイた」
「今までさぞやつらかったことでしょうね。あなたに栄えあらんことを願います」
ナデュノーゲンは沈痛な面持ちで祈りをささげる。
「ありがとう。今はメイエルの助けもあってなんとか生き延びてこれた」
「キーちゃんには孤児院に住んでもいいよって言ったんだけど記憶のことを調べたいらしくてね。お金を稼げる仕事が欲しいみたいなの」
「恵まれないものに施しを与えることは当然です。聖堂としてはキーさんに支援することはやぶさかではありません。当面の衣食住は約束しましょう」
「ありがたいがいイのか?俺様は狙わレて襲われたこともあるし、この世界には差別だっテあるんだろう?危険ではなイか」
現在の苦しい状況を鑑みると願ってもない話だが、迷惑をかけることには忍びないのであろう。言いづらそうにキーは懸念を口にする。
「人はみな神の子であり、聖堂の門を閉じることはありません。聖堂はこの町においても一定の地位があります。教戒師は迷える者を保護します」
「そこまで言ってクれるのであれば少しの間だけでも支援をお願いしたい」
「承りました。必要なものがあれば用立てるので伝えてください。しかし金銭に関しては聖堂で働いても大したお金は支払いかねます。心苦しいのですが、聖堂に斡旋された仕事をしてもらって稼いでいただく方がよろしいかと思います」
「承知シた。どのように仕事を受けれバいいのか来ても?」
「はい。知人の仲介業者のかたが経営する店に行って選んでいただくようになっています。よろしければ明朝、一度キーさんをお連れしますので紹介します」
「感謝スる。よろしく頼ム」
仕事の話が一段落すると、キーが必要とするものについて相談し、話はキーのこれまでの生活の話に移っていった。ナデュノーゲンはキーの話を聞いているうちに次第に肩の力が抜けて本来の柔和な性格がより前面に出ているように思えた。
「そうなんですね。トアルくんとティリちゃんが無事でよかった。私からも御礼申し上げます」
「当然とことをしたまデだ。俺様の方こそガキどもに世話になっテいる。」
「そうですか。ふふふ」
「キーちゃんったらすごいんだよー。例えばね……」
今までの経緯を説明しながら雑談を進めていると大分友好を深めることができた。メイエルハニカの人柄のおかげでもあるだろう。次々と楽し気に話題を出すので話が途切れない。一通り世間話をしていると、扉が開かれ、低く凛々しい声が響き渡った。
「失礼するだ!」
無造作に伸ばされた暗い灰色の髪を後ろになでつけた年若い偉丈夫が現れる。非常に端正な顔立ちをしている。垢抜けない口ぶりや野暮ったい服装とはひどくちぐはぐである。
「こんにちはアレッツさん。神の家へようこそ」
「こんにちわだぁナデュノーゲンさん」
「今日も礼拝ですか?」
「んだ。神様にお祈りだべ!」
そういうとこちらにも元気に挨拶をする。。
「こんにちわだ!」
「こんにチは」
「こんにちは!」
「この町に来てからおら以外の人がお祈りに来ているのを見るのは初めてだべ!おらはアレッツだ!よろしくだべ!」
「キーだ。この聖堂に来タのはこれで初めてだ。よろシく」
「メイエルハニカです!よろしくね」
挨拶を終えるとナデュノーゲンが話しかけてきた。
「それでは礼拝を始めます。キーさんたちはいかがされますか」
「俺様も見学させてもらおう。聖堂には個人的に興味がある」
「わかりました。そう難しいことはありませんので楽に聞いてください」
「キーちゃんは私の真似をしてればいいよ」
「わカった。頼ム」
ナデュノーゲンは聖堂の奥へと進み、台座に上った。装飾の施された本を開き、朗々と語り始めた。
「それでは礼拝を始めます。」
聖堂に声が響きわたる。声もいいが、建物の構造的に音が反響するようになっているのだろう。そんなことを思いながら傾聴する。
「本日私は新たな出会いがありました。良き隣人を得ることができ、神に感謝をしています。」
一息ついて本のページをめくり、内容を読み上げる。
「さて神典の一節において再臨主はこう述べております。『汝の隣人を愛せ。』私たちの家族や友人を大事にすると読み取れますが、この言葉の真意は単に自分の近くにいる人だけにとどまりません。私たちの見知らない人々でも私たちは自分のことのように考え、行動することが大切なのです。他者への不寛容や無関心な態度はいずれ自分にも向けられるでしょう。自らを愛するように、他者を愛する心を育みましょう」
そうして言葉を切り、手を組む。
「自分自身のためだけではなく私たちの隣人のためにも祈りましょう。神よ、我らを憐れみ給え」
メイエルハニカやアレッツという男も手を組み、瞠目して復唱する。それに倣い一歩遅れてキーも同じく祈りの言葉を唱える。
「神ヨ、我らを憐れみ給エ」
礼拝を終えると雑談をする。この世界でも宗教施設は社交の場としても機能しているようだ。
「素晴らシい説教だっタ」
「ナデュノーゲンさんの説教はすごいべ!」
「そんな……私などまだまだです」
ナデュノーゲンは頬を染め、はにかむ。
「そんなことハない。マた聞きたいと心から思う」
「……ぁりがとぅござぃます」
嬉しそうに目線を下げて照れ笑いをしながら小声でつぶやいた。
世間話もきりのいいところになるとアレッツは別れの挨拶をする。
「説教ありがとうございますだ。お暇するべ」
「アレッツさん少々お待ちいただけますか?キーさん。今から仕事をできる予定は空いていますか?」
「特に何もない。できるのであればさっそく頼みたい」
「わかりました。アレッツさん恐縮ですがキーさんを案内していただくことはできますか?」
「今から仕事を探すところだっただ。大丈夫だべ!」
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「もののついでだし、いいってことだべ。『汝の隣人を愛せ。』だ!」
「ありがとうございます。神もあなたの行いを喜んでいるでしょう」
アレッツは快活に受け入れた。信心深いおおらかな性格が見て取れる。
「アレッツ。よろシく頼む」
「まかせるべ!」
アレッツは胸をこぶしでたたいた、
「よかったねキーちゃん!」
「トントン拍子に話が進んだな。来てよカった。メイエルにも礼を言ウ」
「うん!どういたしまして!」
メイエルハニカは事の顛末を見届けると、ナデュノーゲンとアレッツに礼を言い、聖堂を辞した。それに続いてキーとアレッツも仕事探しに向かうことになった。
「それでは長らク世話になった。礼ヲ言う」
「教戒師の務めです。お気になさらず」
曇りのない顔で受け答える。
「もし俺様のことを知っていルものや、似た顔立ちのものがいレば教えてもらうと助かる」
「わかりました。見かけたら伝えましょう」
諒承してもらうと頷き、少し落ち着かないように感謝を口にする。
「あト……ありがトな。説教のことハもしかしたら俺様のために……」
「私は説教をしただけですよ」
「そうかイ」
ナデュノーゲンはふわりと微笑む。キーもつられて笑った。
「アレッツさん。キーさんのことをよろしくお願いします」
「了解だべ!」
「ありがとうございます」
ナデュノーゲンはキーに向き直り、五指を組む。
「あなたの記憶が戻ることを祈っております。再臨主カルシュトの救いがあらんことを」