第41話 堕落への誘い 少女の葛藤
先ほどエシニェイから聞いた話を胸に留め置き、キーは立ち上がるとサウィンの方へと向かう。
「お前の予想通り酒を売ってくレだと。アドバイス助かッた」
「そうか」
サウィンは意にもかさないように返答する。
「聖堂はエシニェイと相当関係が悪いよウだな?お前の見立テではエシニェイに酒を売れば俺様はどうなる?」
「なんともいえんな。売ったものの力が弱ければ当然糾弾され、潰される。だが高位教戒師や貴族に心付けを渡せば容易に覆る話だ。拝金主義者の坊主共もエシニェイに酒を流している者もいるだろう」
「ビーボーイの奴らも聖堂に酒を流してるミたいだったしな。山ホど取引した証文があった」
サウィンはグラスを拭きながらいつもと変わらない平然とした口調で白戒教団の教義について説明を行う。
「本来、白戒教団の教義では飲酒は禁止されてはいない」
「……どういうこトだ?」
キーは突然の教義に関する発言に眉を顰め、今の言葉を脳内で反芻する。しかしどうしてもサウィンの説明の意図がわからない。だが自分にとって必要な知識であるから教えてくれるのだろうとそのまま聞く。
「白戒教団の聖徒たちが再臨主と共にこのディグリア大陸にたどり着いたとき、神典の原典には当時の聖徒の最大多数民族への配慮から、イェルベゼア語で『これはいずれ人々が克服すべきものである』と記載された。だが大陸中央部の最大多数民族であるミターレ人に教義が広まるにつれ、ミターレ語訳の神典が作られた。その時に『いずれ』の文言が削除された」
「誤訳されたといウことか……」
「神典原理主義者の改革派たちはこのような誤訳について追求し、国家を巻き込んで宗教論争を起こしている。古代に異端とされた宗派も異端認定される前からこの誤謬を挙げていたという歴史があり、これ幸いとその間隙を縫うように裏で蠢いている。それが現在における白戒教団の実情だ」
サウィンがひどくつまらなそうにぼやく傍で、キーは得た情報について思考を巡らせる。
「サウィン。ビーボーイが使っていた白戒教団への販路を俺様たちで利用することハできないか?証拠は山ほどアる」
「売る相手によるだろう。危険な橋を渡ることになる」
「買い手の限られル高級酒は、相応の層相手に売るルートがなければ宝の持ち腐れだ。それにお前が矢面に立つ必要はないシ、無論礼はする。なにヨり……俺様たちで卸先を見つける必要はない」
サウィンはキーの顔を見上げる。キーは美しく微笑むが、サウィンは警戒するように目を細めた。
「ナデュノーゲンたちを使って売ればいイ。あいつラは聖堂の非主流派らしいからな」
聖堂の扉をノックすると、小さな影が現れ、鈴を転がすような声で歓迎の意を表す。
「こんにちはキーさん。サウィンさんもようこそいらっしゃいました」
「アぁ。少し話したイことがある。大事な話ダ」
「……?わかりました。こちらへどうぞ」
ナデュノーゲンはキーがこれから話すことを予想もしていないのだろう。キーを信頼しきった表情で何も疑わずに招き入れる。
サウィンはいつもとはまるで違うキーの人のよさそうな胡散臭い笑みを横目にじっと見つめながらキーの後ろに控え、後ろを着いていった。
ナデュノーゲンはキー達の対面にテーブルをはさんでちょこんとすわる。キーを見る目は無垢で純粋なものであり、これからの話を予想もしていないのだろう。
「お二人で来るとは珍しいですね。お話があるとのことでしたが……」
「あァ。話すことについてサウィンも関わるかラな。適宜補足も入レてもらう」
「……」
サウィンはだんまりを決め込んでいる。ナデュノーゲンは慣れているのかサウィンの様子に疑問を抱いていないようである。キーは本題を告げる。
「今日来た用件は酒の販売をナデュノーゲンに協力してもらいたイからだ」
「…………え?」
「俺様がメイエルの所のガキ共たちを雇ッて酒をつくって売ることにした。その販路をお前に開拓してほしい。分け前はこれかラ相談だな」
「なっ……!そんなことしません!!!前に言いましたよね!?聖堂は酒を禁止「これを見てくレ。お前の知り合いがいたりしナいか?」
キーは証文の束をいくつかナデュノーゲンの前に置いて、一枚顔の前に掲げる。ナデュノーゲンは聖堂の書式と印章が刻まれていることを見ると目を見開いて息をのむ。
「……っ!……こ……れ」
「本物だろウよ。ビーボーイの奴らからパチってきタからな」
「でも……!教戒師として私がそれに加担するわけには……!」
「そウか。なら俺様は独自で聖堂と交渉するシかないな。この書類をしかルべきところにばらまくという行為を伴って」
「なっ……!」
キーの言葉は脅迫である。ナデュノーゲンはそれをされた場合最悪の形をもってキーの望みがかなえられるだろうという想像ができた。
ナデュノーゲンは自分の知り合いの名前が記載された証文を自分がどう扱うかによって、キーの強請が社会にどのような影響をもたらすかを想定できる頭脳があってしまった。
「お前には随分と世話になッた。これからモこの関係を壊したくない。それに……酒を売ることはお前たちの教義と乖離するわけでハない。サウィン?」
「……99か条の提議でも改革派が論じていることの一つに、再臨主は飲酒を禁止したわけではないという事を、イェルベゼア語の神典から再翻訳した際に提起された。お前はこの町に赴任すると決まった時から、より緊密に改革派と連絡を取っていることは調べがついている。お前にとってもこの提案は悪い話ではない」
「……」
サウィンの指摘にナデュノーゲンは目をそらして口を噤む。キーは以前ナデュノーゲンが奴隷制に反対した結果、この町に来たとの言及を思い出す。彼女にとっても不本意な異動だったことは口の端から見て取れた。
やはり今でもそのことには疑心を持っているのか、改革派というものたちとの付き合いがあるようだ。キーはそれが突破口になると思い、さらに詰め寄る。
「飲酒それ自体が罪だというより、罪とは人の悪い行いそノものだ。確かに酒は人を惑わせるが、善悪そのものは酒ではなく人に付随するンじゃないのか?どンなものも悪人は悪用する。それに酒を禁止すること自体が、こウして汚職や犯罪の温床になっているのではないか?」
「うぅ……」
ナデュノーゲンは大きな琥珀色の瞳を潤ませ、瑞々しい唇を震わせ何も言い返せないでいる。すると打って変わってキーは優しく囁くようにナデュノーゲンに説得を迫る。
「正しい行いで金銭を受け取り、聖堂の運営を清潔に保つからこそ、貧しき人々、救われるべき人々をより多く救うことができルのだと思う。俺様は自分なりに救うべきだと思った孤児たちを雇って、労働の対価に金銭を与えるツもりだ。商売することで金や権力などの利得を得るという汚い目論見があるこトは否定しないが、そうすることで多くの人々を幸せにできると俺様は信ずる」
「……」
「だがお前はどウだ?」
キーは一転豹変して冷ややかな口調でナデュノーゲンを見下ろす。ナデュノーゲンはびくりと体を震わせ身を縮こまらせる。
「お前は信仰を自分が満足感がえられるかどうかで選んでいルんじゃないのか?再臨主の言葉を自分の都合のいいように解釈シて、自分が清廉である代わりに、周囲の悪から目を背けているのではないか?」
ナデュノーゲンの顔は青ざめ目じりには涙が溜まり、がちがちと歯を震わせる。絶対であると植え付けられた信仰という価値観を、宗教者が異なる視点から価値観を見直すことは筆舌に尽くしがたい苦痛があるのだろう。
だが生来の真面目な気質と、敬虔な聖徒である彼女であるからこそ投げかけられた言葉を律儀に自問自答し、信仰の根幹が揺らがされ、自らの汚い部分を見てしまった。いやそう思い込まされてしまった。
「お前が今も見て見ぬふりをしていル子供たちは今も苦しんでいるぞ?それを見なかったふりをしてやり過ごした結果、後悔するとは思わなイのか?これから犠牲となる者とお前の理想を貫き続けることはお前の中でどう帳尻があっているのか?お前はそンな未来を許容できるのか?」
「うっ……っく……ぇぐ……」
ナデュノーゲンは呼吸が荒くなりながら、涙が留めなくあふれ出し、嗚咽を漏らし始めてしまう。だがキーは無慈悲にナデュノーゲンの傍ににじり寄り、責めるように問いただす。
飲酒の是非を問うことを子供を見捨てるという事に論点をすり替えて、追いつめられた人に心理的圧力をかけて惑わす詐欺師の手口であった。
ナデュノーゲンは追い込まれ、冷静な判断ができず、ただ真面目に自分の行いに向き合い続けてしまっている、もしも彼女が無責任なら問答無用で席を立っていただろう。それをしないのは、ひとえに彼女が現状に不満を抱いてしまっていた誠実な人間であってしまったがためであった。サウィンは黙りこくったまま冷たくその様子を見続ける。
「自らの手前勝手な理想に殉ずルあまり、現実という真実から目を背けてしまっている」
「うぅぅ…………うぅっ……」
キーは泣き崩れ顔を覆い隠すナデュノーゲンの顎を掴んで無理やり自分の顔に向かせる。生気のない虚ろなまなざしは力なくキーを見上げる。キーは無情にそれを覗き込む。
「泣けるだけで済むノは今だけだ。目をそらスな」




