ジュライと悪夢と
「ジュライ・クローズ! 貴様との婚約を破棄する!!」
嘲笑、同情の入り交じった視線の中、近衛兵に引き摺られていく。
なにもかもが嘘で塗り固められた世界に、事実はかび臭い地下牢にいること。
視界が開けると観衆が溢れる断頭台。
撥ねられる父の首──その虚ろな瞳を前に組み伏せられた私は首の代わりに髪を短く切られると、そのまま牢に放り込まれ、囚人たちの慰みものにされた。
ズタズタになった心身を引き摺りながら、路傍に放置された私は、街の人間からも煙たがられ、ずるずると森へと向かい、果てた。
薄れゆく、辛うじて残る意識の中、獣に食われていることを知る。
辛く、苦しいのは食われていることではない。
何故壊れてしまわなかったのか……今もって壊れていないのか、それが辛い。
全てを理解し覚えていることこそ、なによりも辛いこと。
ならば──
「…………はっ!」
嫌な夢に魘されて目を覚ます。
じっとりとした汗が全身を纏い、肩で息をしている。
──一体これは何度目だろうか。
★★★
「ジュライ」
ルーベンス第二王子殿下は、柔らかい面持ちでジュライ・クローズに声を掛ける。
ジュライ・クローズはルーベンスの婚約者。
ジュライは勤勉で美しく、優しく淑やか。非の打ち所のない令嬢である。
そんな彼女と過ごす時間は、ルーベンスにとってかけがえのないものだ。
「殿下」
「二人の時はルーベンス、と」
そのなんでもない言葉に頬を赤らめながらはにかみ、小声で名を呼ぶジュライを、彼は愛しげな眼差しで見つめる。
──なのに、何故あんな夢を見てしまうのだろうか。
「顔色がすぐれない」と心配され、「大丈夫」と曖昧に笑みを浮かべる。
「……また、悪夢を?」
「…………」
忘れかけた頃に悪夢はやってくる。
まるで『忘れるな』と言わんばかりに。
「どんな内容か」という質問に具体的に答えることはできない。
あまりにも酷い、架空の未来の内容……それだけしか。
『そんな酷い未来はやってこない、私はあなたを愛しているのだから』
何度もそう言われたし、言った。
それでも不安を拭い去ることはできないのは、繰り返し見るからにほかならない。忘れた頃に、警鐘を鳴らすように、何度も何度も何度も何度も──
そんなルーベンスに、ジュライは優しく手を握った。
「どんな悪夢の日も私はずっとお傍におります。 この身の許す限り──」
温かな手にルーベンスの胸が痛む。
夢を見ているのは自分だが、常に役どころはジュライ……夢の彼女への罪悪感と、同時に沸き上がる猜疑心。
(こんなにも心配してくれているのに……私は、何を)
それに、悪夢の幕開けは常に自分からだった。夢の中の自分さえ間違えなければ、あんなことにはならないのに。
「……ジュライ、君は夢を見る?」
「ええ。 でも素敵な夢しか……」
「へえ、どんな?」
「ルーベンス様との……素敵な思い出です。 起きるのが嫌になるくらい」
そう言ったジュライの瞳が憂いに翳るのを、ルーベンスは見逃さなかった。
以前、夢の中でルーベンスは見ていた。
ジュライが自分に相応しい淑女となるために、時間と骨身を削りに削っていることを。
かつて見た夢が本当ならば、彼女はこんな風には笑えなくなっていた。ルーベンス自身の心無い言葉や、卑屈な嫉妬心からその努力すら否定されていたのだから。
夢の中の相手はいつも冷たくイライラしており、ジュライがなにを言っても、また、なにも言わなくても気に入らないようだった。
夢を見る暇もない程の多忙な日々を、意味を失いながら過ごしていく中で──夢の中の自分が無表情で、何を思っていたのかを。
「あまり無理をしなくていい。 夢の中だけでなく、日々素敵な思い出を作っていこう」
「ルーベンス様……」
ありがとうございます、と瞳を潤ませながらジュライは小さく言った。
「私、ルーベンス様がいらっしゃるから頑張れるのですわ。 私にも、もしなにかルーベンス様のお力になれるなら……」
夢の中で自分は、そんな素直な気持ちを言葉にすることはできなかった。もちろん、夢の中のルーベンスのせいで。
(幸せな過去の夢……か)
夢のジュライが美しい思い出に縋っていたことを思うと、とてもやりきれない。
時折同じ夢を、自分視点で見ることもあった。夢の自分は優しい言葉と笑顔に飢えていた。ジュライからそれを奪ったのは自分だとも、気付かずに。
夢で見た不幸な未来は、変えていけるのだろうか。或いは、変えていけているのか。
そうだとしたら、それは。
その夜、ルーベンスは久しぶりに良い夢を見た。
朧気で思い出せないけれど、ジュライが笑っていたことだけは、思い出せた。