エンガチョ
「お志津~」
4時間目の授業が終わり、後ろの席の愛ちゃんが私の背中にのしかかってきた。
「重いよ」
「これが愛の重さだよ~」
「愛ちゃんとLOVEにかけてるんだ。うまい。でもどっちにしても重い」
「受け入れてよ。私のこと好きでしょ?」
「重い。別の意味で重い」
「ねえ、好きって言ってよ」
「だから重いって」
「好きって言って好きって言って好きって言って~」
「重い重い重い~」
なんてくだらないやり取りを毎日しています。
「すん。すんすん。すんすん」
と、愛ちゃんが鼻を鳴らす。
「それ普通口にしないよね」
「いや、お志津からいつもと違う匂いがする」
「こわっ」
「いつもはフローラルな香りで、歩くたびに花びらが舞っていたのに」
「そんなエフェクトかかってないよ」
「朝ご飯なんだった? いつもの目玉焼きとコーヒーじゃないよね?」
「なんで匂いでわかるの。愛ちゃん怖すぎ……」
「女は匂いで感じ、匂いで惚れるのよ」
「説明になってない」
「で、何食べたの?」
愛ちゃんが私の顔を覗きこみながら言う。
大きな瞳に、艶やかな髪。羨ましい。
「ん~鶏肉の野菜炒めみたいなの」
「朝から? お肌に悪いよ」
「まあそうなんだけど……」
「だけど?」
「朝起きたら既に準備してあったから」
「へー。お母さん変わってる――」
とまで言って、愛ちゃんは察したように言葉を止めた。
「お兄さんか」
的中。無言を返す。
「お兄さん、料理とか覚えたんだ」
「みたい。なんか、行方不明中はたくさんの部下にふるまってたんだって」
「部下? あー、異世界ね異世界」
「だからエンガチョしないでよ」
「俺つえーしてたんだろうねきっと。ね」
「なに、俺つえーって」
「知らない? 異世界行った人って何故か大抵チート能力が付いてて、その力で敵とかモンスターをバッタバッタなぎ倒すの。それが俺つえー。そしたら救世主様~ってなって、みんなからちやほやされてハーレム築いたりするの」
「うげっ……チート能力ってなに?」
「ん~。詳しくは知らないけど、瞬間移動したり? 超強い魔法使えたり? あとはこの世界の知識を持ちこんで、異世界の遅れた文明を発展させたり、とか?」
「なんで異世界行くだけでそんなことできるようになるのよ。現実世界では無能なのに」
「それはみんな思ってるけど言っちゃいけないことなの。タブーなの。業界の闇よ」
「なにそれ」
「お兄さんもチート能力があるのかも」
「ないわよ。ただの妄想癖の塊よ」
「絶品料理で異世界の人たちの舌をうならせてたとか?」
「そこまで美味しくはなかったかな」
食べられたし貧乏舌の私なら十分満足できるけど、お店でお金払って食べるほどのものかと言われると疑問。
「でも異世界の人たちはいつも虫とか生肉とかを食べてて、ひと手間加えた料理というものは初めてだったのかもしれないよ」
「なにそれ原始時代じゃない」
「うまい! これは卵ご飯というのか! とか?」
「お腹壊すよ……あ」
生肉、というワードで思い出す。
「そういえば、生肉食べてたとか、そんなこと言ってたかも」
「ほんとに!? じゃあ動物がいっぱいの異世界だったんだよきっと! 言葉もわからない動物たちの中で異世界無双生活、ね!」
「それもう動物園……」
正直どうでもいい。
異世界とか、頓珍漢な話そもそも信じていないのだから。
兄が真実を隠す意味は知りたいけれど、現状そんなものはどうでもいい。私には「兄が戻ってきた」という事実のみが頭を悩ませる。
「まあ、たしかに粗悪な環境でサバイバル生活的なことはしてたっぽいの。料理もできるし、喧嘩超強くなってるし、体中傷だらけだったし……」
「なにそれ……戦場にでもいたの?」
「ん〜正直それが一番可能性があるかも。私は日本政府が生産性のない国民を戦地に送り込んで人格を矯正させるプログラムに参加していたんじゃないかって踏んでる」
「お志津って、意外と冷酷な思考回路してるよね」
「え、どうして?」
「お兄さんを生産性の無いって言っちゃうあたり」
「だってそうじゃない?」
「う~ん。年齢とかにもよるとは思うけど……なんにしても、戦場に送り込まれてたとしたらなんでそう言わないの?」
「きっと国から箝口令が敷かれてるのよ。そうに違いないわ」
「陰謀論だねえ」
「お、陰謀論?」
と、第三者の声が介入してくる。
「北田くん」
北田光太。
同じクラスの男子生徒。
「国とか箝口令とか、なんの陰謀論?」
北田くんはさりげなく前の空いた席に座り、キラキラと眩い瞳でこちらを見る。
「え、っと」
「俺も実はある陰謀論を追っててさ」
「え?」
「日本には昔、高度文明が存在して、今より栄えてたはずなんだ。でもそれを国がひた隠しにするのは、今日本を支配してる人たちが自分たちの裏切りの真実を隠すためなんだ。そう、彼らは偽りの支配者で、かつての王を裏切って国を牛耳ったのはいいけど、無能故に高度文明を維持できなかったんだ。だからそれを覆い隠すために――」
「はーい黙る!」
食い気味で饒舌に語る北田くんの前に、愛ちゃんが割って入る。
愛ちゃんと北田くんは幼少期からの幼なじみで仲がいい。かっこよくてスポーツもできるから学校でも一目置かれる北田くんだけど、愛ちゃんだけは冷たく友達のようにあしらう。
幼馴染故か。
「北田の妄想癖は聞き飽きた。そして私のお志津に近づくな」
「近づくなって言われると近づきたくなるだろ。カリギュラってやつ。な、嶺?」
「えっと、どうかな……?」
ちなみに私はあまり男子が得意ではない。そのオーラを感じ取ってか、大体の男子は話しかけてこないが、唯一こうして北田くんはぐいぐいくる。
少し疲れるけど、人懐っこいところが彼の良いところでもある。
「末っ子キャラで近づけば誰でも好意持ってくれると思うなよ。あんたのあんなことやこんなこと、バラすわよ」
「あんなとこやこんなこと?」
「あ、おい! それはやめて!」
北田くんが愛ちゃんに飛びかかる。愛ちゃんはそれをさらりと避ける。楽しそうだ。ずっと勘ぐっているけれど、この二人はお似合いだと思う。
「お前な、嶺の前ではまじやめろ!」
「だったら大人しく回れ右でしょ?」
ボソボソと小声で話す二人。ちゃんとは聞こえない。
この二人はよくこうやって仲睦まじい様子を見せる。こんな異性の友人がいることを、少しは羨ましく思う。私なんか性格の悪い人間には難しい話だけれど。
「おい、あれ見ろ」
その時、教室の窓際からそんな会話が聞こえてきた。
その声に、クラス中の人たちが窓際に集まり、その向こうに見えるグラウンドを見下ろした。
野次馬根性のすごい愛ちゃんに引っ張られる形で私も窓際に立つ。見れば近隣のクラスからも無数の顔が覗いていた。
同じように、グラウンドを見つめる。
お昼休みのこの時間であれば、特にグランドを使用している生徒はいないはずだったが、しかしそのグラウンドに一人、ぽつんと黒い衣服の人物がいた。
その人物はジョウロで垂らした水で、地面に何かを書いている。それは大きな円形の。
「なにあれ、魔法陣?」
誰かが言って、私の全身が総毛立った。
確かに描きかけではあるが、それは巨大な魔法陣のようにも思える。
そして黒い人物。よく見れば、それは肩からマントのようなものをはためかせている。
「ねえあれって……」
どこから借りたのか、双眼鏡でグラウンドを見つめる愛ちゃんが言って、私を見た。
私は黙って静かに首を横に振るう。
察してくれたのか、愛ちゃんはその先を言いはしなかったが、黙って真顔のまま両指の人差し指と中指を交差させた。
「めっちゃエンガチョしてる!?」