次回予告
「ほらほら。ちゅ~るだよ~ちゅ~るちゅる~」
手に持ったスティック状のキャットフードを差し出しながら、私は赤ちゃん言葉で声をかける。
視線の先はベッドの隙間で、その奥からぎょろりと大きな瞳がうごめいている。
「キュゥ……」
ベッドの下のその生き物は、奇妙な鳴き声を漏らしながら、警戒するようにこちらをうかがっている。
私はその生物に向かって、手を近づけていく。
「美味しいよ~。中毒性があるよ~。ほ~らほら~。私が食べちゃうぞ~」
「キュウッ!」
ベッドの下から、勢いよく飛び出してきたのは、頭の上に乗りそうなほどの小さな白いドラゴン。
そう。まごうことなきドラゴンだ。
「あはは! 待って! ちょっとくすぐったいシンディ!」
シンディという名の白いドラゴンは、美味しい匂いのするちゅーるを求めて私の体に馬乗りになり、べろべろと嘗め回す。転んだ勢いで飛び散ったちゅーるを求めて、私の顔や首筋をぺろぺろと。
こしょば気持ちいい。
「はい、捕まえた!」
ちゅーるに夢中なシンディを抱き寄せ、逃がさないように持ち上げる。
どうやらあちらの世界の生き物も、この麻薬には打ち勝てないようだ。愛ちゃんの情報恐るべし。
「お風呂入りましょうね~」
シンディを胸に抱え、自分の部屋のある2階から1階へと降りる。
「あ、志津香またシンディに変なものを与えたな」
階下では、私の兄、嶺創太が晩御飯の準備をしていた。
なにを隠そう、彼は異世界を救って戻ってきた――らしい。
私は話に聞いただけで始めは信じてなんていなかったけれど。でも確かに7年間失踪していた兄は見違えるように成長していて、心身ともに常人を遥かに超える化け物になっていて。
そして私の目の前には異世界を証明するかのようにドラゴンが現れて。
それを倒すべく七色のプリンセスと漆黒の罪人も現れて。
なんて感じで私は嫌でも異世界なるものを信じさせられる羽目になったのだけれど。
それはまた別の話として。
「だってそうしないとベッドの下に隠れて出てきてくれないんだもの」
「そうだけど……その味を覚えちゃったら、あっちの世界に帰ったときに困るだろ?」
「大丈夫よ。シンディはずっとこっちにいるものね?」
「キュゥ~?」
私たちの会話が分かっているのかいないのか、胸に抱きかかえられたシンディは大きな瞳でこちらを見上げてくる。
あ~可愛い。これ一生預かるわ。
「はじめは向こうの世界に返したがってたのに……」
「それはあなたも同じよ。でもここにいるしかないんだから、しょうがないでしょ。ね、シンディ?」
「キュウッ」
愛おしすぎて頬をこすりつける。
以前は嫌がってくれていたシンディも、少しずつ打ち解けてくれたようだった。
「はあ。やれやれ」
「ため息は幸せ逃げるわよ。そんなことより、ご飯美味しいのお願いね」
「任せろ。今日は向こうの世界で学んだ、タイブン料理を披露してやる」
「タイ料理でお願い」
そう適当に返しつつ、お風呂場に向かう。
ちゅーるに夢中なシンディを脱衣所で下ろし、今日一日汚した制服を脱ぎ始める。
シンディをこうしてお風呂に入れるのは、私の日課だ。兄は必要ないって言うんだけれど、やっぱり同じ家に住む以上清潔感だけは欠かせない。食べ物も生々しい小動物から、できるだけ健康的で見栄えのいいものに変えるため挑戦中だ。
どうやらシンディは雑食で、なんでも口にするみたい。胃の中の炎でだいたいは溶かせるそうだ。
――と、私が制服を脱ぎ、履いていた下着を脱ごうとしていた時だった。
強い力に引っ張られて態勢を崩す。
「キュウ!」
「あ、これ、シンディ、めっ!」
シンディが、私の片足を外した下着を口でついばんだ。そしてそれをぐいぐいと引っ張る。
「グルルル~~~!!」
喉を鳴らし、どうやらかなり憤慨しているようだ。
「あ、ちょっと、ほんとに、離しなさい!」
結局下着を引っ張って奪われ、シンディがそのまま脱衣所から飛び出た。
「ちょっと! シンディ捕まえて!」
バスローブを巻き、外に出て兄に訴えかける。
すると、シンディは既に私の下着をくわえて部屋のどこかに駆けて行っていた。
「あははっ! 志津香今日の下着は黒だろ?」
「えっ……どうしてわかるの? もしかして、覗いてる!?」
「違うって。シンディは基本的に黒いものを敵視するんだ。俺も最初は黒い服着る度に威嚇されてたし」
「それでも頑なに黒い衣装を着続けるというあなたの意地が怖いけど……でもじゃあ私が嫌われたってこと?」
「違う違う。むしろ志津香を守ったんだよ。志津香に纏わりつく邪悪な黒いものからな」
バスローブのままシンディの後を追う。
するとシンディは兄の部屋におり、隙間の開いた押し入れの向こうからごそごそと音がする。
ふすまを開けると、押し入れの一角にシンディのお尻が見えた。
「シンディ?」
シンディの体を掴んでどかすと、そこに私の下着が置いてある。
というより、隠していたのだろう。
「シンディのコレクションルームね」
見れば、下着以外にも黒いものがいくつかそこには置いてある。
冷蔵庫の磁石に、セーター、靴下もあるし、どこから拾ってきたのか黒っぽい石や、
「ひっ!?」
黒光るゴキブリまでいる。
死んでる……?
「シンディ。ダメでしょ。あ、これお母さんが探してた口紅」
漆塗りなのか、黒く艶やく口紅には、シンディの噛み付いたあとが残っていた。
「お母さん怒るな〜これ」
しつけようと怒ってシンディを見ると、しかしシンディは悪びれた様子もなく、むしろ褒めてほしいと言わんばかりに愛くるしい瞳を向けてくる。
「そんな目をしてもメッ!」
「キュウ?」
やっぱり伝わってない。
兄はシンディと意思疎通をはかれていたように見えたけれど、フィーリングかなにかなのだろうか。
はたまた、ドラゴン語なるものを話せるのかもしれない。
「あれ、それなに?」
黒いものばかりが寄せ集められたコレクションの中に、見覚えのない針のようなものが見えた。
針というよりは、釘に近い。長さ10センチほどで、中心が太く先端に向かうにつれて補足尖っている。ラグビーボールをもっともっと細めた感じの。
「なにこれ……工事現場かどこかで拾ってきたのかしら?」
そう思いながら私はそれを持ってリビングに向かう。
「ねえ」
「……」
「ねえってば」
「ん? ああ、俺か」
ようやく気づいた兄が振り向く。
「そろそろお兄ちゃんか、せめて名前を呼んでくれないか」
「嫌よ」
「即答……それで、なんだ?」
「シンディ外に出した?」
「出してないよ。だって出すなって志津香がうるさいから」
「そうよね。じゃあこの釘みたいなのなにかしら?」
私がそう言って持ってきた釘を掲げてみせる。
すると、振り返った兄の表情が固くかたまった。
明らかに、なにかを知っているかのように。
「……どうしたの?」
「……」
「言って。隠し事はなしよ」
「……ああ」
「もしかして、スクワルトって人の?」
「違う」
「じゃあこれは何なのよ? もったいぶらないで言って」
兄は手に持っていたフライパンを置いて身体をこちらに向ける。
「異世界に、ワコクっていう国があるんだ」
「あー、あのプランさんが王様っていう?」
「ああ。その国ができた何千年も前から、国の黒い仕事を一手に引き受ける集団が存在してる」
「……わかんないけど、忍者みたいな?」
「そうだ。そして当然、悪意に支配されたワコクを救うために、そいつらとも戦った」
「あのー、長くなりそうだから結論だけ教えてくれる? この釘が、そいつらのものだってこと?」
兄は私の言葉に、ゆっくりと首肯する。
そして、私が要求したようにシンプルに、その答えを紡いだ。
「それは、暗殺予告だ」
コンロの上に置かれたフライパンで、ちりちりと食材が炒められる音が響いていた――。




