兄が異世界を救って帰ってきたらしい
行きとは違い、帰りは足が弾んでいた。
これから私は新たな一歩を踏み出すんだ。そんな喜ばしい感情に満たされていた。
家に帰ると誰もいなかった。まだ日が暮れる少し前だからか、母は当然仕事で戻っていない。兄は……。
「いないわね」
部屋にはいなかった。
ピッキングの仕事は終わっている頃だろうし、清掃のバイトに行くには少し早い。
ふと気になって兄の部屋の押し入れを開ける。
「……あれ」
以前までそこに隠し持っていた黒い剣――セインツなにがしがない。
兄はあれを決して手放さないと言っていたけれど。
かといってあんなものを持ちだしてどうするというのか。
「嘘、やだ」
私の陽気な気分を濁す、嫌な予感が駆け抜ける。
慌ててリビングに戻ると、テーブルの上に一枚のメモが置かれていることに気が付いた。それを手に取ると、
『しばらく留守にします』
そう兄の字で書き置きがされていた。
どうしてまた……?
そんな疑問を思考する間もなく、私は家を飛び出した。
〇
家から急行列車で少し行ったところに、私の親族が眠る墓がある。
年に一回訪れるくらいで、ほとんどは放置状態であることを申し訳なく思わなくもない。だけれど正直、こんな石になんの意味があるのかと思っていたりもする。それは母も同じで、家にある父の遺影には挨拶は欠かさないけれど、墓参りは最小限で、死後の世界や魂などはあまり信じていないようだった。
だからこそ、その母が宗教にのめり込んだことが意外だったのだけれど。
さておき、田舎の駅をさらに進み、地元に長く根付いたお寺へと向かう。
その脇の長い階段を上っていけば、そこに一族のお墓――父が眠る場所がある。
真っ赤な陽が指す夕頃。
そこにたどり着いた時、父の墓前に探していた姿を見つけた。
「いた」
兄は沈んだ表情で、墓を見つめていた。
私の声に気付き、顔を上げる。
「志津香……」
「見つけた」
「よくここがわかったな」
「家をまた出ていくなら、お父さんに挨拶しに行くかなって」
「……さすがは妹だ」
兄は思ってもいなさそうに苦笑した。
「ずっと来ようと思ってたんだけどな……なかなかこれなくて」
「罪悪感?」
「……かな。合わせる顔がないってのもあるけど、それ以上に父さんの死を受け入れるのが怖かったんだ」
「わかる」
「志津香の言う通りだ。父さんが死んだのも、母さんがおかしくなったのも……家族を不幸にしたのは紛れもなく俺だ。幼い考えしかできなかった俺が、招いた不幸だ」
「……しょうがないわよ。まだ中学生だったんだもの。大丈夫、お父さんは絶対恨んでない」
「どうだろうか」
「きちんと部屋の外にも出れたし、仕事にも就いたしね」
「あはは、まあな」
今度は私が苦笑すると、兄もつられるように笑った。
「どうしてまた出ていくの?」
「……俺は、こっちの世界に戻ってきて普通に戻れたかと思ってた……でも、デアドラゴンが来て、あっちの世界の人間を呼び込んで、志津香やいろんな人を巻き込んでしまった。俺にはもう、普通に過ごすことなんて無理なのかもしれない」
「でも、危険はもう去ったんでしょ?」
「いや、それが……」
「?」
兄が言いにくそうにしているのを見つめていると、あることに気が付いた。
「そういえば、あれは? あの馬鹿でかい黒い剣。せいんとせいやだかなんだかって言う」
「……」
「何よ。観念して言いなさいよ」
「騙されたんだ」
「騙された?」
「ああ。スクワルトに貸したセインツブラックは本物だったんだけど、返されたのはセインツブラックを模したフォトンの塊だったんだ」
「ってことは……?」
「スクワルトに――最悪の男の手に最悪の武器が渡ったままだ」
「なっ、大丈夫なの? なんでそんな古典的な詐欺に引っかかるのよ!」
「しょうがないだろ? あいつのフォトン使いは芸術の域なんだ。あっちの世界でも随分手を焼かされた。手に持った感触から感じるエネルギーまで全部同じに作り上げられたらさすがの俺も気づかないよ。俺もしばらく時間が経って、形状がぶれ始めてようやく気付いたんだ」
「じゃ、じゃああいつはまた向こうの世界で悪さするってこと?」
「……」
「何よ黙って……」
と、スクワルトの言葉を思い出す。
「待って。あの人、この世界に興味があるみたいなこと言ってたわよね……もしかして、あの男、まだこっちの世界にいるの?」
「……」
沈黙は以下略。
「っもー! なんでそんな馬鹿なこと! ちゃんと帰るところ見届けなかったの!?」
「帰ったところで、あいつくらいの能力者なら、容易にこっちの世界にまたやってこれる」
「そうなの? どうやって?」
「向こうの世界のもの――異世界ならフォトンの強い波動があれば、ごくわずかだけどその扉が開くんだ。昨日俺がペンダントを犠牲にして開いたみたいに」
「あー……そういえばシンディも」
「ぎゅ!」
「ぎゅ?」
突如、兄から変な声が漏れ出た。
なんか聞いたことのあるような。
「は、腹減ってさ。この後飯にするつもりだったんだ」
「そうなんだ……それで、そのスクワルトを倒しにいくのね?」
「逆だな。あいつがいる限り、俺がいる場所は安全とは言えない。家族を守るためにも、俺はことが落ち着くまで旅に出ようと思う」
「でも、そんなのいつになったら落ち着くのよ?」
「……わからない」
「わからないって……また家族を放っていくのね?」
私が意地悪に言うと、兄は困ったように私を見つめる。
「ずるいな。そういう言い方」
「だってそうじゃない。借金は消えたけど、うちの家計が苦しいことは変わらない。私は受験勉強を始めるから、その分バイト代も減るのよ? お母さんもいい歳だし。あなたの収入がどれだけ必要かわかるでしょ?」
「でも生活はできるだろ?」
「駄目。私塾にも行きたいし」
「塾って……じゃあお金なら送るよ。適当に日雇いでもするから」
「駄目。ご飯作れなくなるから、誰かが作ってくれないと。少なくとも、週に何回かはシフトに入ってもらわなきゃ」
「志津香……あんまり我がまま言わないでく――」
「言うわよ!」
私は逃げようとする兄の視線を捉えて言う。
「ずっとずっと言えなかったんだもん! 頼れる人がいなかったんだもの!」
「志津香……」
「頼ってって言ったわよね? 家族を、私を守るって言ったわよね?」
「ああ。それは大丈夫だ。いつでも危険が迫れば駆けつける」
「どうしてそうなるのよ! わからずや!」
「わ、わからずや……?」
「守るって、危険から守ることなの? 違うでしょ? 傍にいて、見守ることじゃないの?」
「それは……」
「家族って書類上の問題なの? 違うでしょ? 一緒に過ごして人生を共有するのが家族なんじゃないの?」
つらい時。
しんどい時。
悲しい時。
楽しい時。
笑える時。
そんな感情を、一緒に味わうのが家族なんじゃないの。
「自分のせいで家族は壊れたって言うなら、家族を取り戻してよ」
「取り戻す……」
「私も頑張るから」
だからお兄ちゃん。
お願いだから。
「だから、そんな寂しいこと言わないでよ」
声に出す一瞬手前まで、言うかどうか迷った言葉だった。
でも私はたまらずその言葉を吐き出す。
おそらくこれが、私が素直になれる最後のタイミングだと思ったから。
今言わないと、きっと後悔すると思ったから。
「あ、はははっ!」
「……な、どうして笑うのよ?!」
「いや。志津香がそんなこと言ってくれるなんて思ってもみなかったから……。俺、ずっと恨まれてるって……思ってたから……」
「それは、そうだけど」
「志津香」
「何?」
「俺、家に戻っていいかな? 家族にまたなれるかな?」
「もちろんよ。いなくなっていた7年間分、みっちり働いて返してもらうわ」
「ああ」
出た。兄お得意の「ああ」。
もはや聞きなれた返事で、気にもしなくなったけれど。
まだどこか、キザな様子は抜けないらしい。
――と。
「わ、ちょ、待て」
「キュゥ」
「わかったから、もう少し静かにしててくれ……」
「キュウキュウ!!」
兄が、独り言を言い出した。
何か傍の墓の陰に向かって。
霊でも見えてるのかななんて心配しつつ、その鳴き声にやはり聞き覚えがあった。
「ちょっと。なんかその鳴き声、聞いたことがあるんだけど」
「え? いや、あー猫かな?」
「……シンディ」
「キュウッ!!」
私が半信半疑で名を呼ぶと、墓石の陰から、白い小さな生き物が飛び出てきた。
それはふわふわと飛びながら、兄の頭へと着地する。
白く美しい体に、凛々しい翼が生えている。
宝石のように丸く大きな瞳に、鋭い牙。
「キュウ」
「な、なんでいるの? え、ていうかちっさい……?」
「あー、なんていうかな」
「今更隠さないで! はい、嶺家の新ルールその1。家族間で隠し事は無し!」
「今作るのかよ!? ……いや、なに言ってるかわかんないだろうけど、あの時シンディは全精力を使って異世界への扉を開けて、みんなを呼び出してくれたと思ってたんだけど、実はシンディを形成するフォトンの一部はこの世界に残ってたみたいなんだ……それでみんなと一緒に帰らずにこっちに残ってたみたいで」
「キュウ!」
「それで、そのシンディを形成してたフォトンの一部だから、体も小さくなってるってこと?」
「……おそらく」
「キュウキュウ!」
シンディは遊びたいのか、兄の髪の毛をくちばしでついばむ。
一見悪戯好きの猫のように見えなくも……。
いや、見えない。
対の翼が立派すぎる。
ていうか炎吐いた。
兄の髪の毛がちりちりと燃える。
「む、向こうに返しなさいよ。下手したらツチノコドリーム再来よ?」
「いやー俺にはもう向こうの世界への扉を開く術がなくって」
「えっと、黒い剣は――あーそうかないのか! つくづく使えないわね」
「返す言葉もないよ」
「じゃあ迎えに来てもらうとか」
「……こっちから連絡は取れないし、シンディをこっちに置き忘れてきたって気づいてくれるまで待つしか……それに向こうからこっちへのアクセスも基本的には不可能なんだ」
「うそでしょ……」
「キュウ」
「キュウじゃないわよ。こいつ」
私がシンディに触れようとすると、シンディは威嚇するように目つきを鋭くし、牙を剥きだしにする。
「いたっ」
噛まれた。でも痛くはない。この辺は子猫のようで。
「ちょっと待って。もしかして、シンディを隠すために家を出ようとしたんじゃないの?」
「うっ」
「やっぱりそうだ! カッコつけてたくせに!」
「いや~やっぱりほら、バレるとまずいだろ?」
「っはぁ……」
深くも深いため息が出る。
前途多難。その一言に尽きる。
兄を家に呼び戻すのは、間違いだったかもしれない。
「ま、しょうがないわよ。とにかく、家まで誰にもバレないように連れてきてね」
「ああ、それは大丈夫だ」
私たちは階段を下り始める。
「ドラゴンって、キャットフード?」
「いや、肉食だ」
「えっ!」
「調達しやすいのはネズミとかかな」
「無理! やめて! そんなの食べさせないで! お金もかかるし!」
「大丈夫だって。俺が捕まえてくるから」
「げろっ……お願いだから庭で飼ってね」
陽は完全に沈み、暗くなる。
見下ろす街は、ぽつぽつと電灯の明かりが灯った。
「ていうかシンディは大きくなるの?」
「わからん。でもこっちにはフォトンがないから、大きくはならないんじゃないかな」
「体隠すための犬小屋も必要ね」
「大丈夫だって。俺の部屋で一緒に住むから」
「駄目。うちペット禁止だし」
「ペットじゃない。友達だ」
「じゃあちゃんと役所に届け出て、住民税払いなさいよね」
「それはいいだろ別に」
「じゃあペットじゃん」
あの光一つ一つにも家族があるのだろうか、なんて考える。
そしてその家族には一つ一つ人生があり、今を生きている。
みんな、幸せだろうか。
そんなどうでもいい心配をしてみる。
私は、幸せになれるだろうか。
なんて自分を省みる。
「まぁあのおっきいドラゴンよりは百倍マシね」
「キュウッ!」
「あはは。シンディが一緒にするなって怒ってる」
「あ、ていうか今日のご飯何にする? 買って帰るんだけど」
「ん~そうだな……じゃあレムをザゴスティしてイータラでトルムンガするか」
「出た!! 結局それなんなの?」
「めっちゃくちゃ美味しいんだ。な、シンディ」
「キュウキュウッ!」
7年ぶりに帰ってきた兄は、大きな剣を抱えていた。
兄は一振りで十の大人を倒してしまうような強さを持ち。
何ものにも動じない、強靭な心を持っていた。
そんな兄を慕う、麗しい七人の――七色のプリンセスたちもいて。
そして彼女たちは世界を破壊するドラゴンを倒していった。
そして今、兄の頭頂部には白くて小さい異形の生き物が鎮座している。
それはもう、映画や漫画の世界でしかなくて。
でもそれは、いまたしかに目の前にあって。
夢や幻想は抱かない私だけれど。
今やもう認めるしかないだろう。
どうやら。
兄は、本当に異世界を救って帰ってきたらしい。
〜第一部 完〜
ひとまず第一部完としてみました。
7色のプリンセスたちも生かしてあげたいので、話が考えられれば続きを書きます。よければ応援などしてもらえるととても嬉しいです。




