初めての恋でした。
その後の話をしておこうと思う。
あの後、元通りに戻った学校から、私は兄と家に戻った。北田くんは置いてきた。家まで連れ帰るなんて、そこまで面倒は見切れない。
彼も男だ。目が覚めたら然るべき方法で家に帰るだろう。
気がかりだった出戸や、その他の取り巻きのチンピラたちについては、兄曰く、
「ああ。多分土の下かな」
ということらしい。
ヴィオという少女の能力で校庭は元に戻ったけれど、言っていた通り生物以外にしか適用されないらしく、元々土の下にいたであろう出戸らはそのままらしい。
まあそもそも、あの穴に落ちて助かっているとは思えないけれど。埋葬する手間が省けてよい。
結局、出戸が私を騙して貸し付けようとしていた借金は、書類上はまだ作成されていたわけではなく、借用書自体存在しないためチャラになった。
普通なら、あのまま私を脅して新しい借金を貸し付け、それを返すために風俗で働かせるという出戸の筋書き通りになっていたのだろう。そう思うと、背筋が凍る思いだ。
「ほんと、タイミングよかったよな」
兄は笑ってそう言うが、私は今回の件は兄の筋書き通りなのだと睨んでいる。
兄はいつも監視し、調査していた。
母の件もそうだけれど、きっと私についても見張っていたに違いない。だからいつもピンチの時に駆けつけてくれる。その兄が、あのギリギリまで姿を現さなかったのは、きっと出戸が借用書を燃やし借金がチャラになった瞬間を狙っていたのだろうと思う。
多分、私が『カレカノ』で働いていたことも、あの会社が出戸と繋がっていたことも分かっていたのだろうと思う。
なんというか、結果オーライがすぎて怖くなる。
もしかしたら、デアドラゴンなどのごたごたに紛れさせて、出戸やチンピラたちを一網打尽にしたのも、策略の内だったとか。
なんて考えたらキリがないけれど。
だから考えないようにするけれど。
だからそんなことよりも私にとって大問題だったのは、私のスマホだ。壊れたわけでも失ったわけでもないけれど、しかし私のスマホが山ほどの通知で悲鳴を上げていた。
愛ちゃんだ。
メッセと電話が3桁件ずつ。これメンヘラじゃない。
とにもかくにも、謝りたい、誤解を解きたいの一点張りで、話を聞いてくれないと手首を切って死ぬという強迫までされていた。それが50件目くらいのメッセだったため、あまりに心配で連絡を取った。
そんなこんなで私の家で会うことになったのだけれど、泣くわ喚くわで後悔の念を叫ぶ愛ちゃんに、デアドラゴンよりも体力を奪われた。
結局私の部屋で延々と慰めつつ、気が付いたら眠っていた。
そして迎えた朝。
「……おはょ……」
体が死ぬほどだるい。
このまま眠っていたい。
すんすんと鼻を鳴らす。愛ちゃんの匂いが残っているが、ベッドにはいない。
重すぎる体を起こし、階下に降りる。
「あら、おはよう」
母さんがいつもの通り朝食を準備してくれている。
テーブルにはトーストとコーヒー。随分と久しぶりの光景だ。
「……」
視線を左右に振るう。
「穂田さんなら、1時間くらい前に起きて帰っていったわよ」
「そうなんだ……お兄ちゃんは?」
「え、創太? ならまだ寝てるわよ」
さすがの兄も、昨夜の出来事はこたえたのだろう。
私はよくわからないけれど、最強のドラゴンだったらしいし。
「ふぁ~。ねむ」
「珍しいわね。志津香がそんなこと」
「そうかな?」
「うん。それに今『お兄ちゃん』って」
「ん……あ……」
しまった。つい。
私は顔を赤くしながら朝食にありついた。
〇
学校に行くと、本当に昨日の出来事などなかったかのように、いつも通りに学生たちが登校していた。グラウンドも、校舎も、すべていつも通り。
「お~志~津~!!」
背後から、胸を鷲掴みにされる。
「愛ちゃん!」
「は~愛おしい愛おしい愛おしい! 愛おしすぎて手が出ちゃう!」
「出さないでいいから!」
「無理よ無理なの! 昨日のお志津の寝顔に興奮しすぎて眠れなくて! 性欲を満たすの!!」
「動物じゃないそれ! あっ、も、揉まないで! 人が見てるから~!」
強引に引きはがし、愛ちゃんと向かい合う。
私は眉を逆八の字にする。
「怒るよっ?」
「昨日拒絶されて思ったのよね……お志津に軽蔑されるのもなくはないって」
「ないわよ変態!!」
とんだサイコパスを誕生させてしまったらしい。
デアアイチャンは私を壊す。
でも少し心配していたけれど、変わらない愛ちゃんとの関係に胸をなでおろしつつ、教室に入る。まず初めに視線をやるのは、他でもない、北田くんの席で。
だがしかし、案の定そこに彼はいなかった。
彼も随分な怪我だったから、今頃寝込んでいるのだろうか。
「北田引っ越すらしいぞ」
「まじ?」
クラスから聞こえる会話に、私は愛ちゃんを見る。
愛ちゃんはそれを肯定するかのように視線を下げた。
「東京、行くんだって」
「東京?」
「そう。お父さんがそっちにいるみたい。東京の大学狙うんだって」
愛ちゃんは北田くんの本当をどこまで知っているのだろうか。小さいころからの幼馴染だと聞いてるけれど、借金があったことも知っているのだろうか。
「でも良かった。あいつ、お志津にひどいことしてたみたいだし……まあ私も知らない間に手伝ってたみたいだけど……」
「……良くない」
「え?」
「良くない!」
自分でもどうしてそう思って教室を飛び出したのかはわからない。
自分は理性的だと思っていたけれど、今回の件で少し感情的な人間になったのかもしれない。私は制止する愛ちゃんを振り切り、急いで駆けた。
目指すは一つ。
以前聞いていた住所付近を訪ねると、貧相な平屋が並ぶ中に、一台の引っ越し用トラックが止まっているのを見つけた。
あれだ。
そう確信し、その家の前に駆けつける。
「北田くん!」
案の定、家の前で、沈んだ表情で段ボール箱を運ぶ北田くんを見つけた。その顔には大きなガーゼや包帯が巻かれていて、見ているだけで痛々しい。
彼は私の声に、びくりと身体を震わせた。
そしておそるおそる私を見る。
「……み、嶺……」
「引っ越すんだって?」
「……うん。俺、やらかしちゃったから……親父が逃げるしかないって」
そうだった。北田くんはずっと気を失っていたから、出戸がいなくなったことを知らない。ただどちらにせよ、彼の家族が出戸と交わした借用書はまだ残っているだろうから、借金はなくなっていないと考えるのが自然だろう。
ともすれば、出戸が言っていた組の頭や仲間が取り立てにくるかもしれない。
そして今回の出来事に中核で関わっていた北田くんを問い詰めるだろう。
その結果どうなるかは、火を見るより明らかだ。
「嶺……ごめ――」
「謝らないで!」
殊勝な態度で謝罪の言葉を吐こうした北田くんを、止める。
案の定、彼は驚いた表情で私を見つめた。
私はいまだかつて彼に向けたことのない厳しい眼差しを向ける。
彼を、非難する。
「許すわけがない。あなたの謝罪を受け入れないわ。私は一生あなたに傷つけられたことを恨み続ける」
「……そう、だよな……」
「でも、それはあなたが信じてやったことでしょう? 生きるために」
「……」
「私も同じだった。だからとても後悔してるし、もう二度としないって誓ってる。でも、してしまったことは消せない。その時そうしようって思った自分は確かにそこにいたの。悪戯じゃない、本気でそう思って、それしかないってそう思って、行動に移した。でしょ?」
「……うん」
「だったら全部受け入れて、堂々と前に進みなさいよ」
「え?」
「他人に許しなんて請わないで、胸張って生きなさいよ。じゃないと、傷ついた私が損じゃない。どうせ傷つけたんだから、その分前に進みなさいよ」
「嶺……お前……」
「私は反省を生かして前に進む。大学行って、青春して、就職して、そしていつか新しい家族を作って……過去の自分を肯定してあげるの。だから……」
だから。
「北田くんも、頑張ってね」
最後の言葉で、不意にこみ上げるものがあった。そんな私の機微を感じ取ったのか、北田くんも辛そうに眉根を寄せ、あふれ出る何かを堪えようとした。
「大学、絶対行こうね」
「……うん……うん……俺…………頑張る……っ!」
堪えきれず北田くんから溢れ出た涙に、今度は私が共鳴して泣きそうになってしまうのを堪える。
なんでこんなやつにそんな感情を抱いてしまうのだろう。
でもその答えはわかってる。
彼は私を騙していたけれど。
彼を思っていた時間は本物だったから。
彼に救われた瞬間は、本物だったんだから。
私にとって、あれは、初めての恋だったんだから。




