白と黒
その男からは、全身の生気を吸い取られるかのようだった。
今すぐ北田くんを吊るす縄を手放して、逃げたくなった。
その目に見つめられているだけで、吸い込まれそうで。
「惧れるか」
その黒い男は、口元をゆがめずに笑い私に近づいてくる。
ダメだ。今すぐ逃げ出したい。
あんなドラゴンより、私にはこの人の方が怖い。
「案ずるな。それは正しい感情だ」
一歩、一歩。
黒い足が、私に侵食してくる。
まるで、真空が近づいてくるような圧迫感で。
「志津香――!!」
声。
私の背後――校舎の下から誰かが飛び込んでくる。
その白い衣服を光の装束を纏ったのは――兄。
兄は両腕に抱えていた、緑と赤のチンピラを屋上の地面へと落とした。
そしてその目は、目の前の黒い男を見据えている。
「久しいな。紛い物」
「スクワルト……!」
「浅ましいな。瞳に憎悪が隠しきれていないぞ」
「当り前だ……お前は、リヒトを殺したんだぞ!」
睨む。
睨み合う。
この二人にどんな関係があったのか、それは察することしかできないけれど。
間違いなく、良好な関係ではなかったのだろう。
敵。仇。
「踏ん張って。私も手伝うわ」
ふと、突然隣に白い天女が現れた。兄の纏っていた白い装束は失われている。
プランが私の支えていた縄を手に取ると、するするといとも簡単に北田くんの体が上がってくる。そしてようやく北田くんの体を屋上に戻すことが――。
「って!」
「なな、なんで裸なの!?」
北田くんがフル〇ンであったことを忘れていた。
彼のそれがぷるんと揺れる。
私は慌てて近くに落ちていた北田くんの服を上に被せた。
ひとまず、これでひと安心だ。
「ここが、紛い物の世界か」
黒い男――スクワルトが目尻にシワを寄せて周囲を見渡す。
「異世界。少し、光が多すぎるな」
「どうしてお前までここに……」
「今重要なことはそんなことか? 君はいつも核から逸れる」
「うるさい! わかったような口を利くな!」
珍しかった。
兄が、まるで年相応の反抗期のように声を荒げているのが。
それだけ感情的になる相手なのだろう。
「ソウタ、落ち着いて」
そんな兄を制したのはプラン。白い天女。
「スクワルト」
「変わらず眩いなプラン。その恰好を見るに、覚悟を決めたか」
「おかげさまで。今やワコクを治める主となったわ」
「少し遠回りしたが、収まるべきことに収まったわけか。世界は私が言った通りになったわけだな」
「あなたの思惑も、ここに来た理由も興味ないわ。あなたの言う通り、そんな些末なことよりも、今は対処しなければいけないことがある」
「……破壊の輪廻か」
スクワルトは漆黒の空を見上げて呟いた。
「あなたがいるなら、勝てる見込みが上がる。この世界を救えるかもしれない」
「……」
「こうしてここに姿を現したってことは、そのつもりがあるのでしょう?」
「……」
「あなたは根っからの悪じゃない。私はそう信じてる」
「……」
「あの時、私をかばってくれたことを――」
「慣れ合うつもりも、感傷に浸る気もない。貴様らの存在や言葉に、揺らぐものなど持ち合わせてはいない」
だが――と、スクワルトは続ける。
「愚蒙の妄想でしかなかった多元宇宙論にひとつ、確かな発見があったわけだ。これは面白そうなことになりそうだ。それらを検分する前にこの世界を滅ぼされては困る」
そう言い、スクワルトは兄に向って手を差し出す。
「なんだよ? 握手しようってか?」
「腰に持て余したものを渡せ」
兄の腰には、黒い剣――セインツブラックが備えられている。
「それは元々私の得物だ」
「……」
「特級の犯罪者に、武器は渡せないわ」
「自惚れるな。あの翼竜は、貴様らの手には余る。手抜きで制圧できる生物ではないだろう。どうせこの世界が終われば、次は我々の世界だ」
プランは兄を見る。
すると兄はその腰についたセインツブラックを手に取った。
「ソウタ! ダメ!」
制止しようとするプランに、しかし兄はそれを無視してスクワルトに近づいていく。
そしてセインツブラックを、スクワルトの手に差し出した。
「これが終わったら、あっちの世界に戻って大人しくしていると約束してくれ」
「少なくとも、以前のようなことはしないと誓おう。もはや意味もないしな」
スクワルトはセインツブラックを手に取り、そしてそれを愛おしそうに眺める。
「ようやく戻ってきたか。フラウ」
「感傷に浸ってる暇はないんだろ?」
「案ずるな。ただの挨拶だ」
兄とスクワルトが、横並びに立つ。
するとプランが再び白い光の粒となって、兄の体に纏わりつく。瞬く間に兄の全身を白い装束が覆っていた。そして手には、セインツブラックと対になるように、白い剣が握られている。
白と黒。
その二人が見据えるは、邪悪なドラゴン。
世界の破壊者。
「不思議な感覚だ。死んでも許さないと思っていた男と、共闘することになるなんてな。でもそんなに嫌じゃない。少し、昂っている自分がいる」
「共闘? 違うな。君は私を支援していればいい。それが最も勝率が高い」
「はっ、言ってろナルシスト」
二色の男が不敵に笑う。
そして二人は、屋上から黒天に向かって飛び出した。




