黒よりも黒い
もう道を踏み外さないと言ったものの、私はすぐにその誓いを破ることになった。
夜の校舎に入る。それがどんなに不良行為か。
まぁ闇の仕事に手を出すことに比べれば、子供の悪戯ようなもので。
校舎の中は暗い。その当たり前の常識に、今更恐れおののく。よく目を凝らさないと何かにぶつかりそうだ。
記憶を頼りに階段を駆け上がり、屋上を目指す。たまに、校舎の外を映し出す窓に、色とりどりの閃光が駆け抜ける。
――と、階段を3階上がったところで、窓をぶち破ってなにかが飛び込んできた。
それは兄だったが、今度は全身を青い衣装で纏っている。その両手には双剣。
「っそ……」
兄が痛みにうめくと、青い衣装が光を放ち、兄から分離されていく。
そしてその青い光が寄り集まり、その横にあの青いお姫様が形成されていく。
「お怪我は?」
「……大丈夫」
「このままではじり貧ですわね……せめてシンディがいれば……」
「仕方がない。あいつは自分を使ってみんなをこの世界に召喚してくれたんだ。今は俺たちで何とかするしかない」
「でないと、この世界が終わる」
「ああ」
神妙な面持ちで会話する二人に、私は無意識に息をひそめていた。あちらはこちらに気付いていない。
すると。
「我が夫」
「ん?」
んん?!
青いお姫様が、こんな状況というのにも関わらず、目を細めて女の顔を見せる。そしてその唇を兄の唇に重ね合わせた。
熱い。厚い。キスだ。
数秒間ねっとりと絡んだと思ったら、ようやく二人の顔は離れた。
「ばっ、こんな時にいきなりなんだよ」
「だって久しぶりなんですもの。それに、あなただって舌を絡めてきましたわ」
「つい」
――と、今度は近くの窓ガラスを割って別の誰かが放り込まれていく。
それは白い天女。
「っつ~」
「プラン! 大丈夫か!」
「大丈夫よ! そんなことよりこんな時にいちゃついてんじゃないわよ!! 見えてたから!」
「うふふ。だってここで死ぬかもしれないんですもの。最後の女でいたいじゃない。それに、我が夫には力をつけてもらわないと」
と言いながら、青いお姫様が兄の下腹部当たりをさすった。
こちらからは背中だからよく見えないが、白い天女プランの顔が真っ赤に染めあがったのは何故だろう。
「ば、ばっかじゃないの! こんなところで、そんな……!」
「まま、待て! 仕方がないだろ! 生理現象だ!」
「さいってい!」
「さあ、おふざけはそれくらいにして、行きましょう」
一転、青いお姫様が仕切り直し、白い天女が行先の無い言葉を飲み込む。
そして3人は割れた窓から外へと飛び出した。
「……特撮のモブってこんな気分なのかしら」
とても矮小な存在になった気分だ。
眼中にすらない。
まあいいんだけど。
「私には、私ができること……!」
思いなおし、屋上への階段へと足をかける。
3階の次は屋上だ。すぐにその扉が見えてくる。今まで開いたことはないし、屋上は入るなときつく指導されているからこれまた私は規則を破る。
扉をあけ放つ。
フェンスも何もない屋上からは、あの黒いドラゴンと七色の閃光が入り混じりながら争っているのが見える。それはますます花火のようで。
「……そんな……」
北田くんを助けようと屋上の縁までたどり着くが、下を見下ろして絶句する。
先程グラウンドに開いていただけの穴が、大小はあれど至る所に開いていた。
近隣の建物や道路まで被害が及んでいる。
ふと、こんな時に警察や消防は何をしているのだろうかとか考える。
でも今はそんなことより。
「北田くん!」
校舎にかけられた垂れ幕の根本を探し、そこから下を見る。
全裸で縛り上げられた北田くんがゆらゆらと揺れていた。その縄の出どころを探す。
あった。
「絶対、後で人件費請求してやるんだから……!」
そう自分を言い聞かせながら、縄を手に取る。
「……重……」
全然上がる気配がない。
数ミリずつ、上へと引っ張り上げる。それにしても、私の体力が持つかどうか。もうすでに腕が痛い。
「おい、なにしてんだよ!」
と、背後から怒号が飛んでくる。
振り返ると、赤と緑のジャージを着た2人のチンピラがこちらに向かってきていた。
おそらく、北田くんを吊るす役として屋上で待機していたのだろう。
「勝手に上げんな!」
「なんでこんな時に……!」
と、よく見ればその顔に見覚えがあった。そう、たしかこの顔……。
「あ、さっきうちに来た警察官……!」
「あ、やべ」
絶対そうだ!
そっか、あれも出戸が私を追い込むための芝居だったんだ!
ほんとチンピラって大嫌い!!
でもそんなことより今手を離したら、北田くんの体が落ちて大きく揺られて危なくなるかもしれない。下手をすれば縄が切れる。
そこまでする必要のあること? ――私は出たその疑問を即座にかき消す。
「違う。北田くんも、ここから始めるの……一緒に……!」
誰にだって、やり直すチャンスはあってほしいから。
手から血がにじみ出てきた。
人一人の体を持ち上げるというのは、思っていたよりも容易じゃない。
「おい、こっち向けよボケ!」
開き直ったチンピラに肩を鷲掴みにされる。
そのまま引っ張られれば、私の体はあっけなく後ろを向かされ、手は縄から離れるだろう。
どうすれば――。
「赤に緑か……不愉快極まりない」
低い声。
耳に入っただけで、凍えるような悪寒がした。
出戸のように不快ではない。それとはまた別の。
本能がその声に、畏怖を感じ取る。
「鎖せ。黒蔵――」
その声が、静かに何かを唱えた。
振り返ると、黒い鎖のような形状をした光の奔流が空へと噴き出した。そして緑と赤のチンピラの体が浮き上がり、弧を描いて屋上から外へと落ちていく。
でもそんなことよりも、私の目はいつの間にか屋上に立っていた男に釘付けになった。
いや違う。これからは目を離してはいけない。
兄のそれよりも、黒い衣装に身を染めた。
まるで夜闇そのもののような。
その見るからに絶望を感じさせる男。
その男がゆっくりと振り返り、私をブラックホールのような瞳で見下ろした。
「なるほど。紛い物の妹か」




