シンディ
激しい光は天を穿ち、闇夜を閉ざしていた雲が避けるように散らばっていく。
そして雲の裂け間から、夜とは思えない眩い光が照らされた。
「なんだあれ」
「今、夜だろ?」
「なに、ドッキリ? テレビとか?」
突如起こった天変地異に、グラウンドを敷き詰めるように立っていたチンピラたちが上空を見上げながらざわつく。
「なんやなんやあれェ……お、なんか、来るで」
目を凝らすと、激しく振りそそぐ光の中から、何か黒い影が近づいてくる。
それは次第に大きくなってきて――。
「おい……おいおい……」
まるで隕石のように降ってきたそれは――。
「嘘やろ……なんや、あれは…………竜か!?」
出戸の表現は何一つ間違っていない。
比喩でも見間違えでもない。
巨大な白いドラゴンが、真っ逆さまに落ちてくる。
そしてそれは、地面スレスレで地面と並行に進路を変え、チンピラどもの僅か上を飛びぬける。激しい風と砂ぼこりが巻き起こる。
砂ぼこりが落ち着き全員が視線を上げる。
すると白いドラゴンは兄の横に降り立った。
「久しぶりだな。シンディ」
「キュウウウ!」
兄が愛おし気に、その白いドラゴン――シンディの顎を撫でると、シンディは気持ちよさそうに目を細め、頭を兄にこすりつける。
思っていたよりも大きくはない。全長で3メートルくらいだろうか。
「うおっ、おいやめろってくすぐったい!」
「キュウウウウ~!」
シンディ――その名前には聞き覚えがある。
確か兄が、あちらの世界で仲良くなったと言っていた白いドラゴンのことだ。
でもそれは、おとぎ話のようなもので。
「シンディ。久しぶりで申し訳ないけど、時間があまりないんだ。手伝ってくれるな?」
「キュウウウ!」
「ありがとう。お前はいつだって親友だ」
兄は最後にシンディの頭を撫でて再び前を向く。
突然のモンスターの登場。そしてあからさまにそれが牙を剥いたことに、チンピラたちは恐れおののき二、三歩後ずさる。
「大丈夫。シンディに襲わせたりはしない」
言葉とは裏腹に、歯をむき出しに綺麗な顔を厳めしくするシンディ。
「シンディ」
「キュウゥ?」
兄に呼ばれて顔を向ける時のシンディは、一転まるで恋する乙女のように目を丸くする。
だが後ずさりする敵が地面を鳴らすと、再び獰猛な獣の目を向ける。
「シンディ。光鎧だ」
「キュウッ!」
シンディの目がひと際大きく輝いた。
するとシンディは兄の背後に移動し、後ろから兄を包み込むように翼を閉じた。そして同時に白く光った。
シンディの体が光の粒子のように分裂していき、それらは収束するように兄の体に吸い込まれていく。
そして――光の中から現れた兄の全身を、白い衣服が纏っていた。布とも光ともどちらとも言えない掴みどころのない衣服で、その裾は重力に逆らってふわふわと浮いている。
足元まで伸びる裾は、ハの字に広がっていてその先端からは光の粒子がキラキラと湧き出ている。
「白竜光鎧――あっちの世界はすべてフォトンでできてるから、彼らそのものをフォトン化して鎧に変換、それを自分の身に纏わせることで、その特徴も受け取れるんだ。俺はこれで向こうの世界を生き抜いてきた」
誰も尋ねていないけれど、兄は説明してくれた。
おそらくみんな意味がわからないと思ってくれたのだろう。
言われてもよくわからないけれど。
「これは俺に心を許してくれた存在だけに可能な技だから、誰でもいいってわけじゃないんだけどな」
『キュウウウッ!』
兄が自分の白い衣服を撫でると、どこからともなくシンディの声が響いた。
独り言に見えなくもない。
「なに仮想パーティーしてんだよ!!」
「びっくりさせやがって!」
「それ3Dマッピングってやつだろ? こないだハウステンボスでみたぞ!」
最後のチンピラの言葉に、一同が声を出して笑いだす。
どうやらドラゴンも目の前の白い衣装も、ホログラムによる幻だと思っているようだ。
誰もがそう思う。私も思いたい。
だけど。
「おい、こっち見てくれるか? 写真撮ってインスタ上げるわ」
「馬鹿か。こんなとこネットに上げたらヤバイだろ」
「大丈夫だって、鍵アカだし」
一人の男が面白がってスマホを片手に一歩前に出る。
そして写真を撮ろうとカメラを兄に向けた。
「ん? 待てよ、逆光で――んあッ!?」
刹那。
数メートル離れていた兄が、瞬きをしたらスマホを掲げる男の目の前に立っていた。
「写真OKだよ。撮れるならな」
また光った。
私には一瞬一瞬、光の筋が右へ左へと浮かび上がっているようにしか見えない。
だがその光が通ったところにいたチンピラたちが、わけも分からぬままに上空にその身を投げ出される。
次々と。
あっけなく。
まるでポップコーンのように。
「おいおい! 何遊んどんねん! そいつ取り押さえろやァ!!」
出戸の怒号に、チンピラはわらわらと周囲を見渡すが、しかし誰一人として兄の姿を捉えきれない。それはもはや、光を相手にしているかのようで。
「う、上だ!」
誰かの声に見上げると、確かに神々しく光る兄が立っていた。
空に。
「立ってる……」
背からはシンディのそれと似た翼が生えている。
兄が右手を宙に掲げると、そこに光が寄り集まっていって、白い剣が出来上がった。
「シンディ、加減してくれよ……ダメだ。殺さない……そうだ、葉っぱの上の虫を優しく手に取るくらいの力で……違う、食べるな」
何かぶつくさとシンディと喋っているようだったが、ここから見上げている限り、やはり独り言にしか聞こえない。
「死なせないでくれよ……ロスト・ネイション!」
最後のは、技名だろうか。
とにかくそう宣言した兄が白く閃光し、一筋の光の矢となって地面に突き刺さった。
激しい光の爆発と爆風が起こる。
なんとか遠くにいた私は被害に合わず、すぐに目を開けて今起こった出来事を見遣る。
そこはまるでクレーターでもできたかのような穴が地面にできており、周囲にいた数十もの屈強な男たちが散り散りにグラウンドの端まで吹き飛ばされ横たわっていた。
兄の姿が見えない。見えないクレーターの底を見ようと穴に近づいてく。
と。
バサッ――と、何かが飛び出してきて、尻餅をつく。
それはドラゴンに戻ったシンディと、背に乗った兄で。彼らは私の傍へと降り立った。
『キュウッ!』
「おいこらシンディ! やりすぎだって!」
『キュゥ……』
「これ、どうするの?」
クレーターというか、もはや縦穴だ。底は見えず暗い闇だけが続いている。
学校のグラウンドにだ。
「ひ、久しぶりで昂ったんだよな?」
『キュウッ! キュウッ!』
「はははっ、実は俺もだよ」
彼らには緊張というものがないのだろうか。
いや、そもそも緊張するほどのことでもないのだろうか。
タァッン――と、乾いた音が響き渡った。
まるで爆発のような音に何事かと思って音のした方を見ると、数名のチンピラが、こちらに銃口を向けているのが見えた。
そのあと兄を見遣ると、兄を守るようにシンディの白い翼が覆いかぶさっていた。
「嘘……銃?」
「わけのわからない化け物を連れてきやがって! なめてんじゃねェぞっ! 殺せっ!」
舐めることをやめたのだろう。男たちはそれぞれに銃を取り出し、それらをすべてこちらに向けた。それと同時に、兄が私の体を引き寄せ、さらにその兄をシンディがさらに守るように覆いかぶさった。
巨大なドラゴンの体に包まれたその向こうから、発砲音が何度も何度も響き渡る。
少しして音が止んだ。
私は強く瞑っていた目を開く。すると次第に月の光が漏れ入ってきたと思ったら、私たちを守ってくれていたシンディの体が、地面へと倒れた。
「シンディ!」
その白く美しい体からは、斑点のように赤い血が流れ出ている。
「キュ、キュゥ……」
まん丸で大きな瞳が、辛そうに細められる。
「だ、大丈夫なの?」
「あっちの世界には銃がないからな……シンディの体がここまで傷つけられることなんてほとんどなかった……早くあっちの世界に戻してやって治療しないとマズイ」
「でも、どうやって……」
「まずはこの場を制圧して――」
タァッン――再び銃声が鳴り響く。
それは兄の足元に着弾していた。
「さすがに、君でも銃弾は避けられへんやろ~?」
銃口を向けていたのは出戸だ。
周囲よりもひときわ大きい、銀に輝く銃を。
「チャカ出させられるとは思ってもみいひんかったけど……この際しゃーないわ。相手がバケモンや。モンスターハンターやな。げははっ!」
「……おま――」
兄が口を開いた瞬間、今度は銃弾が私の足元へと突き刺さる。
「喋んな。これ以上余計なことはさせへんでェ」
「……」
「想定外の被害やったけど、そのみょうちきりんな生き物……売ったら高くなるやろ。プラマイ、プラや。ラッキー」
ゲハゲハと、出戸は場にそぐわぬ笑いを見せる。
「おしかったなァ、さっきの白い鎧のままやってたら勝てたかもしれんのに。余裕ぶって解くから形勢逆転や。まさか銃までは持ってない思ったか?」
「……」
「ああそうか。喋れへんのやったな。悪い悪い……ほな二人とも自分で脱いでくれるか? こっちの人数もえろう減ってもうてな」
「……」
「はよせんかい。お前の妹ハチの巣にすんぞ」
それを合図に、銃口のすべてが私を向いた。
超人的な兄であれば、銃相手でもなんとかなるのかもしれない。
でも、私は……。
「はよ脱げ。ジ・エンドや」
要求された兄が、すっと立ち上がる。そしておもむろに上着を脱ぎ始めた。
すると、その体を目の当たりにした男たちのこめかみに、わずかに汗が流れた。
「なんや、それ」
兄の全身には、見るに耐えないくらいの傷が残されていた。
そのせいで体の形が歪になっている箇所も少なくない。向こうの男たちの顔の傷や指先の包帯なんて比較にならない。
人体として活動しているのが不思議になるくらいの。
「お前、よう生きとるな……」
「……俺もそう思う」
あまりの光景に、さすがのヤのつく人たちも唖然とする他ないのだろう。
もはや超えてきた一線のレベルが違いすぎる。
「前言撤回や。お前はヤバイ。ここで殺す。おいっ!」
神妙な面持ちになった出戸の合図で、私を向いていた銃口がすべて、兄に向けられた。




