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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
最終章
72/85

生きていく覚悟

 人の体はいとも容易く空を舞う。

 ――のだろうか。それは私の知っている人間と違う。

 私が今まで生きてきた常識と違っている。

 中性的な顔立ちで、白い肌。まるでアプリで加工したのではないかと思うほど綺麗な顔をした、元いじめられっ子の芽木(めぎ)貴彦(たかひこ)の体が宙を舞った。

 彼の体はまるで高跳び選手のように校門を飛び越え、高校の敷地内――グラウンドの真ん中へと落ちた。

 ぐしゃり。


「どうした?」

「おい。どっから落ちてきた」

「なんだこいつ」


 グラウンドには、校門前にいたチンピラの数と比べ物にならないほどの数の、色とりどりのスーツを着た屈強な男性たちがいた。

 ちらほらと若い顔も混じっていたが、過半数は社会人男性で、それは表の世界の人間には見えなかった。

 彼らは不意に天から降ってきた白目を剥き顔全体が真っ白になった芽木を見下ろす。


「こいつ、出戸(でと)さんの使いっ走りか」

「なんで空から降ってくる?」

「知るかよ。んなことより、前。出戸さんが話すぞ」


 ざわついていた一同が、言葉を止めて正面――体育祭などで校長が登るお立ち台へと目をやった。


「いや~、待ってたで~」


 開口一番の幹部の言葉。

 しかしそれは状況に則さないもので、一同は頭にはてなを浮かべる。


「ずっとずっと……あの時からこの日を待ってた」

「おい、出戸さん何言ってんだ?」

「知らねえよ。駄弁(だべ)ってると蹴り殺されんぞ」


 再びざわつき始める中、しかし出戸はただ一点――校門を見据えて喋る。


「安心してやァ。まだ写真はばら撒いてへんわ……俺はな、決めたんや。写真よりももっとおもろいもんがあるってなァ。それはな、お前ら兄妹の展示会や。なァ、嶺創太」


 ようやく、出戸が別のだれかに向かって話していることを悟り、全員が後方を振り向く。

 そして、校門から歩いてくる一人の姿を見つける。

 百はくだらない屈強な男たちの視線。それはまるで壁のように私を寄せ付けない。


「志津香。お前は入るな」


 校門の手前でおののく私に、兄はこちらを振り向かずに言う。


「そこから先は戦場だ。怪我するかもしれない」

「でも……」

「安心してくれ」


 振り向いて、あえて笑顔を見せてくれる。


「お別れは済んだかァ」


 前方から不快な声。出戸が卑しい笑顔でこちらを見つめてる。


「見てみ、校舎のとこ」


 出戸に言われて暗くなった校舎を見上げる。

 そこには以前から『陸上部全国出場』という白い垂れ幕が掛かっていたが、その文字がゆらゆらと変化していることに気が付く。

 いや、違う。

 あれは文字の手前に何かがあって、その陰が揺れているんだ。


「……そんな……」


 目を凝らし見ると、それがよく見知った存在であることが分かった。


「北田、くん」


 衣服を一切まとわず、全身を赤く染め上げ、腫れあがった顔。

 もはや見る影もない彼が、屋上からロープで吊られている。


「君らはこれから俺らにボコられて、全裸に剥かれて校舎の上から吊るされる。ああなるんや。三つ並べたら壮観やで。明日の朝には学校中が大歓喜や。これは、学校史に残るでェ」

「ひどい……!」

「ひどいことあらへんがな。こいつは借金全額を賭けた挑戦をした。でもミスった。てことはその分の罰は受けるやろ? ノーリスクハイリターンな賭けなんぞあるかいな。借金倍にしてあげてもよかったんやけど、それはさすがに可哀想やから今回はこれにしたったわ」

「外道め……!」

「ふ~。志津香ちゃんからそうやってあからさまに罵られるんは初めてやなァ。気持ちええわァ……今まではずっと押し殺しとったんやろ? 殺したいって思っとったんやろ?」

「ええ。憎くて憎くてしょうがなかったわ。あなたのために常にブラックキャップを持ち歩いてた時期もあるもの」

「ブラックキャップ……? ふ、ふふはは、俺はゴキブリかいな? なんやそれおもろいやんけ! はっはははははは!!! ……ええがな」


 覚悟、できてるんやな? ――出戸はいつものように、ひときわ凄んで言う。

 本能に植え付けられた恐怖。それがぐちゃぐちゃとかき回され――。


「志津香。俺の背中を見てろ」


 前に立ちふさがるように兄が立つ。

 大きな大きな背中を私に向けてくれる。

 止まりそうになっていた息が、吹き返すように戻ってくる。


「うんっ」


 兄は一歩前へと踏み出した。


「あ~怖い怖い。お兄ちゃん怖いわァ。そんな目で見んとってくれるか。興奮しすぎてイッてまうやろ~?」


 警戒するように立ちはだかる、百を超える男たち。


「俺はこの世界に戻ってきて学んだことがいくつかある。一つは生きるのが大変だってこと。毎日働いて、お金を稼いで、こつこつ生計をたてていく。剣振り回して生きるよりも安全だけど、大変だと思った」

「剣、なァ」

「もう一つはどの世界でも悪意は絶えないってこと。法整備や倫理観が整っていてもいなくても、どこにだって悪意は芽生えるし、他人を餌にして生きるハイエナみたな存在は必ずいるってこと」

「ハイエナ……ゴキブリよりはええなァ」

「そして、最後は……やっぱり何より血を分けた家族が大事だってこと」


 兄は、そういって黒いシャツの中に入れていたペンダントを抜き出した。それは私が愛ちゃんの家から持ち帰ったもので、それを先程兄に返した。

 クロスに竜が巻き付いたそれを、兄はしっかりと右手で握りしめた。


「愛した人もいる。かけがえのない友だっている。俺はこっちに戻ってきてもそれを捨てきれなかった。心はまだ向こう側にいた。自分が輝かしく生きられる世界が本当の世界なんだって思ってた。……でも、志津香に怒られて、必死で生きる姿を見てそれじゃあダメだって思い知らされた」


 兄はペンダントの紐をぶちりとちぎり、ペンダントを前方に掲げる。


「俺はこっちの世界に生きていく。家族と一緒に。嶺創太として」

「だから、なんやねん? なんの宣言や」

「シンプルに、言いなおそうか」


 そしてゆっくりと手を開き、ペンダントが地面に落ちていく。


「お前ら全員、覚悟はできてるんだろうな」


 地に落ちたペンダントが一度グラウンドの土の上を跳ね――。

 そして――――激しく天へと光の柱を突き上げた。


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