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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第七章
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これはあくまで清掃です。

「いつもいつも、君は遅れてくんのがえらい好きやな」


 入口付近で立ちつくす兄に、出戸(でと)は興奮交じりの声で言う。

 しかし兄はそれに応対せず、私を見つめる。

 だが何を言うわけでもなく、そのまま視線を周囲に移した。


「なんなのあなた?」


 社長が警戒心を持って尋ねる。


(みね)の……兄貴だ」


 答えたのは北田くんだった。


「ああ、彼が行方不明だった……ここに何しに来たの? ここへのエレベーターはもう止まってるはずよ?」

「自分、清掃員なので」


 言って、兄は胸元の通行パスを見せる。確かに恰好は清掃員のもので、その両手には清掃道具を乗せたカートを押している。

 社長は兄に近寄り、通行パスを手に取った。


「あら、本当にうちのじゃない。新しく雇ったのかしら? それがシノのお兄さんなんて、とんだ皮肉もあったものね」


 そう社長がため息交じりに言うと、聞いたメンバーたちが大いに笑いだした。

 笑っていないのは、私と、出戸と北田くん。


「おーいお兄さん~早く掃除してくれる~?」

「ここ、ここ、ジュースこぼしちゃって」


 メンバーの男子たちは笑いながらそう言って、コップに入っていた飲み物をわざと床にこぼす。女子たちは「やめなよ~」などと言いつつも、顔では楽し気に笑っている。


「はい」


 あからさまな挑発に、私はひやりとしたが、しかし兄はおとなしくそう返事をしてメンバーの方へ寄っていく。そしてカートから雑巾を取り出し、床に膝を付けて地面を噴き出した。


「なになに、めっちゃ忠実じゃん」

「うけるんだけどっ」

「じゃあお兄さんこっちもお願いしまーす」


 今度は傍にあったゴミ箱を横に倒す。

 中に入っていた紙コップなどがあたりに散乱する。


「……はい」


 再び言われた通りに片付けを始める兄。

 目深にかぶった帽子で目はちゃんと見えないけど、彼が何を考えているのかわからない。

 本当に、たまたま清掃員のバイトでこのオフィスに?


『ずいぶん殊勝な態度やないか……嶺創太。お前どうせ、妹を助けに来たんやろ?』


 出戸がスクリーン越しに挑発する。


「……」

『無視かいな。でもええねんで。俺にやったときみたいに、暴れてくれても』

「……」

『でもなァ、ちょっとでも抵抗したら、志津香ちゃんの恥ずかしい写真、学校とネットにばら撒いたるで』


 ひらひらと、スクリーンの向こうで出戸が写真をはためかせる。


『えっろい写真や。男子はしばらくはこれで夜寝られへんやろなァ』

「……」

『おい、強がってんちゃうぞ』

「……」

『おォいこら!! 無視してんちゃうぞッ!!』

「……」

『わかったわ。北田ァ』

「は、はい!」

『志津香ちゃん、服脱がせ』

「え……」

『はよ脱がさんかい!!』


 怒号に縮み上がる北田くんが、意を決したように私に近寄る。

 もはや彼の目は血走っていて、さっき見た太陽は陰っていた。


「やめ、て……北田くん」

「うるさい」

「こんなの、私の知ってる北田くんじゃない」

「嶺が俺の何を知ってるんだよ」


 そう。何も知らない。

 実は、何も知らなったんだ。

 彼が私に見せていたすべては偽りで。

 抵抗する私に、北田くんは強引に私の制服のブラウスをつかんだ。そして、それを一気に左右に引き裂く。

 まるで漫画のようにボタンが吹き飛びながら胸元があらわになる。

 私は反射的に身をひるがえして胸を床に向けて隠す。

 北田くんは私の体を無理矢理起こして、スクリーンの出戸に向ける。必死に胸元を両手で抑え、下着を隠すことしかできない。


『あほか北田。俺のカメラはそっちちゃうやろ』

「あ、そか……すんません!」


 慌てて北田くんは私の体を90度ほど回転させる。確かに部屋の天井の隅に、監視カメラが付いていた。あれでこちらを視ているらしい。


『これから一枚ずつ服を脱がしてくで~。みんな楽しんでや~』


 出戸が言うと、男子メンバーたちが湧きたつように騒ぎ出して、私の正面へと走ってきた。


「ぬーげ! ぬーげ!」

「バカじゃん、漫画かよ」

「これっておさわりありですかー?」

『触ったらあかんよ。大事な商品やさかい。その代わり、写真はオッケーやで』


 再び沸き立つ男子たち。女子のメンバーはそれを呆れたように見ていたが、特に私を助けてくれる素振りは見せなかった。

 兄は……まだ床を片付けている。


『ほな北田ァ、今度はスカートまくろか』

「……はい」


 北田くんの手が、私の太ももに伸びる。そしてスカートの裾をつかんだ。


「やめて! お願い!」

「……じっとしてた方が、すぐ終わるから」

「いや……!」

「おいおい北田早く~!」


 向けられるカメラ。

 その奥にある不快な笑顔。

 なんだここは。こんな世界があっていいのだろうか。

 違う。ここが私が自ら飛び込んだ世界。


『さあ、今日はパーティーや――――あ?』


 と、出戸から間抜けな声が漏れる。

 スクリーンを見ると、出戸が困惑したような顔をして、目をきょろきょろとさせていた。


『あれ、なんや、おい、画面消えたぞ』


 どうやら向こう側の画面にこちらが映らなくなったらしい。


『なぁのんちゃん! 急に画面映らへんようなってんけど!』

『知りませんよ~』

『これネットで買うてくれたんのんちゃんやろ?』

『違いますよ~。隣の電気屋さんで店員さんが適当に揃えてくれたやつで~す』

『お前、そんなん絶対ぼられてるやろ! これいくらしたんや』

『30万くらいですね~』

『さっ……高すぎるやろ! こんなポンコツに30万!?』

『だって出戸さん適当でいいって』

『ま……まあそやけど……これが30万かァ……』


 のんちゃんという人物に心当たりがある。出戸の会社の受付をしていた人だ。ということは出戸は先程の会社にまだいるらしい。


「出戸さん。声は聞こえますか?」

『ん、ああ聞こえるで!』


 社長が冷静に質問すると、出戸から反応が戻ってくる。


「音声は拾ってるけど、映像が映っていない?」


 理由を探ろうと全員が監視カメラを見る。

 すると、監視カメラの下で脚立に乗っている人物がいた。

 それは兄で、兄は監視カメラを真反対の壁際に向けていた。


「あなた、勝手に何してるの?」

『なんや、なにがあったんや?』

「今日の営業は終了しました。これから清掃作業に入ります。作業員以外はすみやかに退出をお願いします」


 兄が脚立から降りつつ、事務的な言葉を吐く。


「勝手なことしないでもらえる?」

「仕事ですので」

『おい、カメラ戻せ!』

「私はこのオフィスの社長よ?」

「ビルの管理会社に依頼されています。何かある場合はそちらまでご連絡ください」

『こそこそ喋るなて! おい! 今どうなってんねん!』

「そもそも清掃は今日じゃないはずよ。警備員呼ばれたい?」


 押し問答の後、兄は帽子のつばをつまみながら、小さく息を吐く。


「仕事柄汚れは見逃せなくてね。耐えかねて掃除しに来たんです。見た感じですと……やはりここはずいぶん汚れているみたいです」

「つい昨日清掃が入ったところなのだけど?」

「いえいえ。あるでしょ。とても汚くて醜くて、人前に出すのもはばかられるくらいの、汚物が」

「……そういうこと」


 兄の言わんとするところを察し、社長が小さく笑う。

 同じく察したであろうメンバーの男子が一人、立ち上がった。


「いいから帰れっつってんだろ!」


 そして兄に詰め寄っていく。


「やれやれ……じゃあ、清掃を始めますか」


 そう呟き、被っていた帽子を脱ぎ捨てた。

 すると、兄に掴みかかった男子メンバーが、兄の体を掴む直前に力を失くし、前のめりに地面に倒れこんだ。


「っ!?」


 今何をしたのか、全く見えなかった。

 兄の強さはよく知っている。でも、これまでのように大きな武器を振り回して敵を圧倒してきたのと違う。

 本当に、今兄が何をしたのかわからなかった。

 突っ立っていたようにしか見えない。

 倒れこんだメンバーの顔を見る。白目をむいて泡を吹いていた。


「な、なんだお前……おい、止ま――」


 兄が残った男子メンバー二人の間を通る。すると、兄が通り過ぎただけで二人は同じく力を失くしたように地面に崩れた。

 まるで兄から気絶させる毒でも発せられているようで。


「なっ……何したんだよ!!」


 私を掴んでいた北田くんがおののきながら叫び散らす。


「君は……志津香の友達の……」

「来るな! それ以上来たら、妹の写真ばら撒くぞ!」

「……そうか。君もか……」


 しかしそんな脅しに兄は止まらない。

 一歩ずつ近づいてくる。


「俺は、悪くない! 生きるために仕方がないんだ!」

「ああ、君は悪くない。きっと、つらい環境だったんだろうな」

「……っ」

「堕ちる人間には、堕ちるだけの理由がある。そしてそのほとんどは自分の力じゃどうしようもないものだ。その気持ちは俺にもよくわかるよ」

「俺……俺……」

「でもだからって、身内を傷つけられて黙っていられるほど、こっちだって寛容じゃない」


 そのセリフを最後に、二人の会話は終わった。

 兄が目の前に来たのと同時、北田くんが私を掴む力が消え、彼もまた床へと転がった。

 糸を切られたマリオネットのように。


『おい! いい加減になんか言えや! のんちゃん、これ音声も切れてるんか!?』

『知りませんよ~』


 出戸の声だけが響く中、兄は静かに場を制していく。すでに兄以外の男は立っていない。

 兄はゆっくりと今度は視線を社長に向けた。


「薬、それとも毒かしら……? 何をしたのかはわからないけど、こんなことしてどうなるかわからないの?」

「……あくまで、清掃ですので」

「ここは法治国家なのよ。暴力では解決しないわ」


 社長は臆せず堂々と言う。


「私を襲うなら襲えばいい。でもそれは何の解決にもならない。シノの弱みはこちらで握ってる。どうする? ここで頭を下げて謝罪するなら、見逃してあげる。もちろん、シノには下で働いてもらうわ。お兄さんはうちの警備でもどうかしら。少し借金完済が早まるわよ?」


 兄は一歩一歩近づいていく。

 いつものようにゆるりと、相手に向き合ったことを後悔させるように。彼は止まらない。


「出戸さん!」

『お、やっと聞こえた! なんや! 今どうなってる?!』

「写真をばら撒いてください! こいつ、止まる気が――」


 ぷつん、と社長も電池が切れたように地面に崩れた。

 残っていた女の子のメンバーたちはいつのまにかいなくなっていて。

 その場には、私と兄だけが――と、入口の扉が開いた。そこからはぞろぞろとスーツを着た人たちが現れる。見るからに素行の悪そうな。あからさまにあちらの世界の人たち。

 5人、10人、どんどんと増えていく。


「まずいな。暴力は禁止されてるのに」


 兄は驚いた様子も見せず、頭をポリポリとかいた。


「好き放題やってくれたな……出戸さんからの命令や。貴様ら半殺しにして、妹の写真学校中ばら撒いたるで!」


 一触即発の空気が張り詰める中、兄は後方に跳ね、私の側へと着地する。


「ちょっと目を瞑っといた方がいい」


 今度はなにをする気? 

 そんな不安が的中した。兄は私を小脇に抱えて、あろうことか大きな窓に向かって走り出した。

 そして、窓を強引に割り、地上百メートルはあろう大空へと飛び出した。

 

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