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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第七章
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すべての元凶

『志津香ちゃ~ん』


 気味の悪い高い声で、スクリーンの中の出戸(でと)は私に手を振る。


『大丈夫か? 怪我していないか?』

「……どうして、あなたが……」

『どうしてもこうしてもやないで志津香ちゃん。一から十まで俺が仕込んだことやもん』

「仕込んだ?」


 北田くんを見る。彼は申し訳なさそうに私から視線を逸らした。


『北田、説明してやれや』

「……はい」


 出戸から声が発せられる度に、北田くんの体がびくりと揺れる。

 命令された北田くんは、ようやく私を見据える。


「うちも出戸さんのとこにお金を借りてるんだ」

「そうだったの……?」


 彼は両親の不仲に耐えかねて、親戚の家に居候しているだけと聞いていた。そこで自分の生活費は自分で稼ぐために、働いているのだと。


「……ある時、出戸さんに言われたんだよ。同じクラスの(みね)を、風俗に落とすよう手伝ってくれたら、借金は取り消すって……」


 それは私にしたのと同じ手口。

 そしてそれは、嘘。


「そんで、嶺に近づいたんだ。出戸さんに言われて嶺のお兄さんのことを調べたり、うまく信頼を得てこっちの仕事に誘導したりな」


 愛ちゃんの話と繋がる。

 出戸は兄に直接的な怨恨がある。正体不明の兄のことを調べて、何か脅す材料を探っていたのだろう。


「じゃあ、初めから? 私をだますために?」

「……」


 答えない。沈黙はいつだって肯定だ。


「何か言ってよ!」

「……そうだよ」

「さい、ていっ!」


 持っていたペンを北田くんに投げつける。それは北田くんに当たる前に床に落ちた。力が入らない。怒りよりも、もっと別の感情に支配される。

 

「信じてたのに! 北田くんならって!」

「うるさい! 俺だってなりふり構ってらんねーんだよ! 俺だって借金まみれの人生は御免なんだ! 親がしでかしたことを、どうして俺が背負わなきゃいけないんだ! 俺は普通に生きたい! 普通に幸せになりたいんだ!」

「だから、一緒にって……」

「甘いよ嶺。この社会は弱肉強食。幸せになりたければ、誰かを蹴落として這い上がらなきゃいけない。台がなかったら、上に登れない。だろ?」

「それも出戸から言われたことでしょ? そんなこと信じて、騙されてるのがわからないの!?」

「人のこと言えないだろ! 嶺だって同じ事して、這い上がろうとしたじゃんか! 相手は詐欺師だったから問題なかったかもしれないけど、嶺だって自分が幸せになるために人を利用したんだろ!?」

「……っ」


 返答に窮する。

 そうだ。その通りだ。

 私は、自分のことを棚に上げて北田くんを批判していた。


『そーいうところやで~、志津香ちゃん』


 割って入るのは、いつだって不快な声だ。


『セルフサービングバイアスっちゅうやつやな。まるで自分が悲劇のヒロインみたいに。常に自分は正しくて、問題の原因を常に外に探してる。借金は親のせい。お母さんが倒れたのは心が弱いから。家族が崩壊したのはお兄ちゃんのせい。お父さんが死んだのもお兄ちゃんのせい……私は悪くない。私は被害者だ。私は幸せになるべきだ……ほんまにそうかいな?』

「……どういう、意味?」

『家族崩壊させたのは君やろ?』

「え?」


 唐突に、この人は何を言い出すんだろうか。

 馬鹿みたいな声が漏れてしまった。


『無知ってのは悲しいな~志津香(しつか)ちゃん』

「何を言って……」

『お兄ちゃんが引きこもったのは、両親がよくできた君だけを溺愛してたからや。学校でいじめられたのは引き金でしかない。まあ子供にはよくあることやな』

「そんな……」

『それに()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それは、違う……お父さんは、自暴自棄になって、お酒を飲んで車で山道から転落して……」

『お母さんは周りにそう伝えてるらしいなー。ほんで君にもそう言い聞かせてきた。でも調べたらちゃうみたいやったで?』

「……え?」


 眉根が険しくなる。


『真冬に志津香ちゃんがお兄ちゃん探して家出して、ちょうどその時吹雪もきとったらしいわ。ほんでお父さんは志津香ちゃんを探しに、車で飛び出した。志津香ちゃんならそこ行くやろーって、家族の思い出の生熊山(いぐま)遊園地に向かって、その道中凍った道の上を滑って――』



 山道から転落した。

 その光景が目に浮かびそうで、目を強くつむってかき消す。



「嘘……嘘よ!」

『嘘やない。志津香ちゃん。君の家を壊したのは誰でもない。君自身や』

「……う、そ……」


 否定したい気持ちとは裏腹に、声がか細く弱っていく。

 自分自身が、それを間違っていると確信できない。


『人間小さい頃の記憶ってのは容易に書き換えられるんやなー。君もすっかり記憶から消し取ったんやろ。でもそれって幼かったからか? それとも、忘れたかったからか?』

「やめて!」

『だから家族だけでも助けてやったらどうや? 君がそこにサインしてうちで働いてくれれば、間違いなくお金は稼げる。今度は嘘やない。ちまちま勉強して就職してはした金なんか稼ぐくらいなら、今からその体使って大金稼げばいい。その気になれば一年で借金は返せる。ほんであとは家族孝行したったらええやん? それが君がやるべき善行で、なにより君に課された人生の課題や』


 だって、君が壊した家族やもん。

 トドメのように出戸はそう付け足す。それはあからさまな挑発だったけれど、今の私には痛いほどに染み渡る言葉で。


「嶺……」


 北田くんが、しゃがんで私に声をかける。その声は、以前のように穏やかなものに戻っていて。


「俺、今更嶺のためにって言うつもりはないけど、でも、多分一緒に頑張ってやれると思う。ここで、この肥溜めで、一緒に頑張ろうぜ」


 彼は落ちたペンと紙を拾い、私の目の前の床に置いた。


「……」


 全部、私のせいだったんだ。

 誰のせいでもない。この人生を用意したのは、私自身で。

 お父さんが死んだのも、お母さんが宗教に嵌まったのも、お兄ちゃんが引きこもったのも全部。



 全部、私のせい。



 目の前に置かれたペンを手に取る。


 これが、償いだというのなら。

 これで、少しでも恩返しできるというのなら。

 たとえそれが修羅の道だったとしても。

 私に選ぶ権利なんてない。


「……ごめんね。お父さん……」


 ペンを紙の上にゆっくりと走らせ――――。




「ちわーっす、三河屋(みかわや)で~っす」




 背後から間抜けな声が響く。

 みかわや? どこかで聞いたことのあるフレーズに、全員がその声――部屋の入口を見遣った。

 そこにいたのは。


『嬉しいわァ。ここで会ったが百年目やなァ……嶺創太(そうた)ァァァァッッッ!!!!』


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