すべての元凶
『志津香ちゃ~ん』
気味の悪い高い声で、スクリーンの中の出戸は私に手を振る。
『大丈夫か? 怪我していないか?』
「……どうして、あなたが……」
『どうしてもこうしてもやないで志津香ちゃん。一から十まで俺が仕込んだことやもん』
「仕込んだ?」
北田くんを見る。彼は申し訳なさそうに私から視線を逸らした。
『北田、説明してやれや』
「……はい」
出戸から声が発せられる度に、北田くんの体がびくりと揺れる。
命令された北田くんは、ようやく私を見据える。
「うちも出戸さんのとこにお金を借りてるんだ」
「そうだったの……?」
彼は両親の不仲に耐えかねて、親戚の家に居候しているだけと聞いていた。そこで自分の生活費は自分で稼ぐために、働いているのだと。
「……ある時、出戸さんに言われたんだよ。同じクラスの嶺を、風俗に落とすよう手伝ってくれたら、借金は取り消すって……」
それは私にしたのと同じ手口。
そしてそれは、嘘。
「そんで、嶺に近づいたんだ。出戸さんに言われて嶺のお兄さんのことを調べたり、うまく信頼を得てこっちの仕事に誘導したりな」
愛ちゃんの話と繋がる。
出戸は兄に直接的な怨恨がある。正体不明の兄のことを調べて、何か脅す材料を探っていたのだろう。
「じゃあ、初めから? 私をだますために?」
「……」
答えない。沈黙はいつだって肯定だ。
「何か言ってよ!」
「……そうだよ」
「さい、ていっ!」
持っていたペンを北田くんに投げつける。それは北田くんに当たる前に床に落ちた。力が入らない。怒りよりも、もっと別の感情に支配される。
「信じてたのに! 北田くんならって!」
「うるさい! 俺だってなりふり構ってらんねーんだよ! 俺だって借金まみれの人生は御免なんだ! 親がしでかしたことを、どうして俺が背負わなきゃいけないんだ! 俺は普通に生きたい! 普通に幸せになりたいんだ!」
「だから、一緒にって……」
「甘いよ嶺。この社会は弱肉強食。幸せになりたければ、誰かを蹴落として這い上がらなきゃいけない。台がなかったら、上に登れない。だろ?」
「それも出戸から言われたことでしょ? そんなこと信じて、騙されてるのがわからないの!?」
「人のこと言えないだろ! 嶺だって同じ事して、這い上がろうとしたじゃんか! 相手は詐欺師だったから問題なかったかもしれないけど、嶺だって自分が幸せになるために人を利用したんだろ!?」
「……っ」
返答に窮する。
そうだ。その通りだ。
私は、自分のことを棚に上げて北田くんを批判していた。
『そーいうところやで~、志津香ちゃん』
割って入るのは、いつだって不快な声だ。
『セルフサービングバイアスっちゅうやつやな。まるで自分が悲劇のヒロインみたいに。常に自分は正しくて、問題の原因を常に外に探してる。借金は親のせい。お母さんが倒れたのは心が弱いから。家族が崩壊したのはお兄ちゃんのせい。お父さんが死んだのもお兄ちゃんのせい……私は悪くない。私は被害者だ。私は幸せになるべきだ……ほんまにそうかいな?』
「……どういう、意味?」
『家族崩壊させたのは君やろ?』
「え?」
唐突に、この人は何を言い出すんだろうか。
馬鹿みたいな声が漏れてしまった。
『無知ってのは悲しいな~志津香ちゃん』
「何を言って……」
『お兄ちゃんが引きこもったのは、両親がよくできた君だけを溺愛してたからや。学校でいじめられたのは引き金でしかない。まあ子供にはよくあることやな』
「そんな……」
『それにお父さんが死んだのも君が原因やろ』
「……それは、違う……お父さんは、自暴自棄になって、お酒を飲んで車で山道から転落して……」
『お母さんは周りにそう伝えてるらしいなー。ほんで君にもそう言い聞かせてきた。でも調べたらちゃうみたいやったで?』
「……え?」
眉根が険しくなる。
『真冬に志津香ちゃんがお兄ちゃん探して家出して、ちょうどその時吹雪もきとったらしいわ。ほんでお父さんは志津香ちゃんを探しに、車で飛び出した。志津香ちゃんならそこ行くやろーって、家族の思い出の生熊山遊園地に向かって、その道中凍った道の上を滑って――』
山道から転落した。
その光景が目に浮かびそうで、目を強くつむってかき消す。
「嘘……嘘よ!」
『嘘やない。志津香ちゃん。君の家を壊したのは誰でもない。君自身や』
「……う、そ……」
否定したい気持ちとは裏腹に、声がか細く弱っていく。
自分自身が、それを間違っていると確信できない。
『人間小さい頃の記憶ってのは容易に書き換えられるんやなー。君もすっかり記憶から消し取ったんやろ。でもそれって幼かったからか? それとも、忘れたかったからか?』
「やめて!」
『だから家族だけでも助けてやったらどうや? 君がそこにサインしてうちで働いてくれれば、間違いなくお金は稼げる。今度は嘘やない。ちまちま勉強して就職してはした金なんか稼ぐくらいなら、今からその体使って大金稼げばいい。その気になれば一年で借金は返せる。ほんであとは家族孝行したったらええやん? それが君がやるべき善行で、なにより君に課された人生の課題や』
だって、君が壊した家族やもん。
トドメのように出戸はそう付け足す。それはあからさまな挑発だったけれど、今の私には痛いほどに染み渡る言葉で。
「嶺……」
北田くんが、しゃがんで私に声をかける。その声は、以前のように穏やかなものに戻っていて。
「俺、今更嶺のためにって言うつもりはないけど、でも、多分一緒に頑張ってやれると思う。ここで、この肥溜めで、一緒に頑張ろうぜ」
彼は落ちたペンと紙を拾い、私の目の前の床に置いた。
「……」
全部、私のせいだったんだ。
誰のせいでもない。この人生を用意したのは、私自身で。
お父さんが死んだのも、お母さんが宗教に嵌まったのも、お兄ちゃんが引きこもったのも全部。
全部、私のせい。
目の前に置かれたペンを手に取る。
これが、償いだというのなら。
これで、少しでも恩返しできるというのなら。
たとえそれが修羅の道だったとしても。
私に選ぶ権利なんてない。
「……ごめんね。お父さん……」
ペンを紙の上にゆっくりと走らせ――――。
「ちわーっす、三河屋で~っす」
背後から間抜けな声が響く。
みかわや? どこかで聞いたことのあるフレーズに、全員がその声――部屋の入口を見遣った。
そこにいたのは。
『嬉しいわァ。ここで会ったが百年目やなァ……嶺創太ァァァァッッッ!!!!』




