些細な違和感
JKリフレ。その言葉をニュースでよく耳にしたことがある。
それは主に、よくない理由で。
再度モニターを見ると、ガラスで遮られただけの小部屋で男性と私と同じくらいの女の子たちが楽し気に話している。
ある部屋では楽し気に会話して。
ある部屋ではマッサージをして。
ある部屋では添い寝をして。
そしてある部屋では――。
「っ」
私は見ていたくない光景に視線を逸らす。
幸い、監視モニターからは音声が聞こえないようだった。
「やっぱ嶺にはきつかったかな……」
「きき、きついって、これって風俗よね?」
「ん~まあそうとも言うけど……」
「そうとも言うって……北田くんも、やってるの?」
「ああ、メンズも別のフロアにあるんだ。女子より需要は少ないけどな。でもいい稼ぎになる」
「そんな……」
嘘だ。
嘘だって言ってほしい。
「わかってる引かれるって。でも嶺、わかってほしい。みんな好きでやってるわけじゃないんだ。みんな仕方がなく、お金のために働いているだけなんだ」
「それは、わかるけど……」
「普通に返していったって、借金の利息分だけ返して元金が減らないのが目に見えてるだろ? だったらその分仕事を増やすか? 無理だろ? 俺たちは特に、受験勉強しながらなんだ……時間的にも体力的にも限界がある」
だったら効率よく稼ぐしかない。北田くんは付け足すようにそう言った。
するとその時、待機室内のスピーカーから割れるような声が響く。
「ミレンさんミレンさん。15番60分お願いしまーす」
「は~い」
妙にリズミカルなスピーカーの男性の声に、ミレンさんが慣れたように立ち上がり、奥の非常口と書かれた扉の先へ消えていく。私にウィンクをして。
「ここで待機して、呼ばれたらあの先にあるエレベータから客のいるフロアに行くようになってるんだ。隠しエレベーターだから警察とかにはバレない」
「警察……やっぱり、違法なの?」
「表向きは合法だよ。健全なお店。絶対大丈夫。俺も一年やってるけど全然大丈夫だから」
北田くんはそう言って私の手首をつかみ寄せる。
それは少し強引で。
「嶺、これ」
そして傍のテーブルに連れていき、そこに一枚の紙を広げた。
文字が多く瞬時になにかわからなかったが、「契約書」という文字は読み取れた。
「ここにサインしてくれたらいいから」
「で、でも……」
「俺、嶺と一緒に大学行きたいんだ」
彼はなんの迷いもない瞳で私を見つめる。
まるで今私が抱いている感情がおかしいかのように。
心が押し負けそうになる。
「北田くん……」
「大丈夫だって。表向きは普通にお喋りや添い寝だけするだけなんだ。もし無理矢理変なことされそうになったらスタッフが助けてくれる。それに、借金返したら足を洗えばいいだろ? たった一年なんだから、みんなもやってるんだから、大丈夫! なぁ?」
待機室にいるメンバーを見遣る。彼らはそれぞれに明るく返事をしてくれる。彼らもまた、何か後ろめたいことをしているわけではなさそうで。
そして彼は、私の肩を強く寄せる。
「大丈夫。絶対。嶺は俺が守るから」
「……」
「一緒に、幸せになろう?」
ああ。
私はバカなんだと思う。
本当に、バカだ。
私は差し出されたペンを手に取った。
みんなと一緒なら。
北田くんと一緒なら。
そう思ってしまう自分がふがいなかったけれど。
でも、たった一年。たった一年だけ頑張れば。私は北田くんや愛ちゃんと一緒に大学に行って当たり前で幸せな人生を送れる。そこからやり直していけば――
「……っ」
ペン先を契約書の上に乗せたところで止める。
そしていま思いついた違和感を頭の中で推敲する。
すぐに答えにたどり着く。
圧倒的におかしい点に。気づいてしまう。
「どうした? 嶺?」
「北田くん……どうして知ってるの?」
「え?」
「私の借金が一年で返せる程度だって、どうして知ってるの?」
恐る恐る私がした質問に、室内の空気が止まった。
しんと、まるで時が止まったかのように静まり返る。
「え、いや、だって借金なんてだいたいそんなもんだろ?」
「なんて? そんなもん? どうして借金をしたことのない北田くんがそんなことわかるの?」
「待って待って。嶺、落ち着こうぜ。まずは契約書にサインしてから……」
「本当のことを言って!!」
私が叫ぶと、北田くんは言葉を失ったように押し黙った。
その顔は困惑に満ちているけれど、でもどこか嘘を取り繕おうとしているようにも見える。
見えてしまう。
「いいからサインしろよっ!!」
「――」
視界が激しく揺れた。
頭を強く上から押さえつけられ、机に押し付けられる。
「い、いた――」
「お金稼げるんだからありがたくサインしろよ!」
北田くんは、私のペンを持つ右手を持ち、それを契約書の紙の上に押し付ける。
彼の腕力は、見た目からは想像もつかないくらいに力強く、私なんかでは解くことができない。
「どう、して……北田くん……!」
「おいおい、北田」
「無理矢理はよくないよ~」
「傷つけたらおこられっぞ」
待機室にいたメンバーの人たちから、まるで茶化すかのような声が届く。
それはとても冷静で、今のこの状況をおかしいだなんてこれっぽっちも思っていない。
「うっせーーー! サインさせたらいいんだよ!」
「や、やめてっ!」
腕の力だけでは解けないと、私は全身を横に倒すことで拘束を解く。机が倒れる音が響く。
私は北田くんを見上げた。
彼の太陽のような目は、今はまるで鋭い下弦の月のように暗く、私を見下ろしていた。
これは……本当に、北田くん?
「何してるの」
騒音に気付いたであろう社長が、待機室に入ってくる。
「しゃ、社長!」
親にすがるように寄ろうとする私に、社長は同じく冷たく一瞥して北田くんを見る。
「北田くん。困るわ。こんな強引なやり方じゃあ、正当な契約にならない。それに恐怖は女を醜くする。店に出しても売れない人形になるだけよ」
「社、長……?」
綺麗な容姿をした社長の、綺麗な声が紡ぐ言葉が、私には理解できない。
北田くんは少しおびえるように社長を見つめ、
「で、でも……嶺にバレて仕方がなく……」
「……なるほど」
社長は小さくため息をつく。
そしてスマホを取り出し、どこかに電話を掛けた。
「オーナー。ええ、はい、どうやら嶺志津香の件が失敗したようで。……わかりました。お願いします」
失敗。その単語に、北田くんが小さく反応を示す。
社長が電話を切ると、すぐに室内のスピーカーがどこかに繋がるような音がして、
『北田ぁ、やってもうたなぁ~』
声――。
それは私の本能に植え付けられた、不快感を催す。
「嘘……よね?」
見る。北田くんを。
でも北田くんは、おびえるように目を泳がせている。
「す、すみませんした!」
『なんでバレたんや~?』
「借金の返済、一年もあれば終わるって……言っちゃって……」
『あほかいな! それ額知ってな言えへんやんけ! お前俺と繋がってる言うようなもんやろ?』
「すみません、つい……」
『お前なぁ、俺が考えた完璧なシナリオを台無しにおって……アホンダラボケコラァァァッッ!!!!!』
そのスピーカーの声は、突然叫びだし、あまりの大音量にスピーカーの音が割れる。
その不快な音と怒号に、その場にいた社長以外の全員が縮み上がった。
『北田ァ、借金帳消しの件は無しや』
「そ、そんな……」
『ボケナスは下がってろ。そんなことより俺はシンデレラにちゃんと挨拶せなあかんやろ』
怒りに満ちていた声音が、少し軽妙なトーンになる。
それは私がよく知る。
すると、JKリフレの店内を映していたスクリーンの映像が切り替わった。
そしてそこに映し出されたのは――。
『じゃ~ん。志津香ちゃん、王子様やで~』
「……出戸……!」




