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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第七章
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本当の救世主

愛はなによりも強し。

ツイッター▶︎飯倉九郎@E_cla_ss

 死にたいと思った。

 思春期真っ盛りの子供が言うような、フレンチな死にたいじゃなくて。

 本気で。死んでしまいたい。

 もっと正確にいうなら、リセットしたい。

 人生を、やり直したい。

 家族が仲良くて、兄は学校で人気者で、両親は隙あらばデートして、でもたまに喧嘩して、私は反抗期で、友達とお化粧やテレビ番組、そして恋愛トークをして。

 そんな普通な人生に、生まれ変わりたい。

 死にたいんじゃなくて。

 その先に進みたい。


 行く当てもなく歩き続けていた。

 帰る勇気も、家族に顔を合わせる勇気もなかった。 

 この逃避行の先に、すべてがなかったことになる、そんなゴールがあるんじゃないかって、ありもしない希望にすがりつく。

 ここはどこだろうか。

 多分冷静に見ればわかるんだろうけど、今の私には判然としない。それはきっと、知っているどこかの場所であるということを認識したくないから。

 精神的逃避行。それ以上の何物でもない。

 追い詰められた私に、逃げる場所なんてないのに。

 誰も、助けてなんてくれないのに。


「嶺!」


 背後からかけられた声に、とくんと心臓がまるで息を吹き返したかのうように脈打つ。

 おそるおそる振り返る。


「……北田、くん……」


 北田くんが、自転車にまたがりながらこちらを見つめていた。

 その顔は少し困惑しているようで、私の青ざめた表情に、それが私かどうかわからなかったからだろうと推測する。

 私は自分の赤く腫れた目を見られないように、再び背中を向ける。

 すると背後から北田くんが、乗っていた自転車を倒す音が聞こえてきた。

 そして少し遅れて、私の体を背後から何かが包み込む。


「え……」

「嶺。心配した」


 彼は、疲れ交じりの、だけどとても優しく熱のこもった声で言った。

 そして私を抱きしめる力を強める。

 体が、心が、締め付けられる。でもそれは、痛くない。


「ずっと連絡返ってこないし、穂田から話聞いて、俺、めちゃくちゃ心配した」

「北田くん……」

「ずっとずっと心配してた……! もしかしたら、嫌われちゃったりしたのかなとか、あんなメッセ送って怖がられたのかなとか……」


 そこでようやく、北田くんから例の写真が送られてきていたことを思い出す。


「私……あれ……」


 愚かにも弁明しようと口が動く。

 まだ私には綺麗に見られていたいという欲が働くようだ。こんな時まで、たくましいと思う。

 でも――。


「俺、なんも気にしないから」

「……え?」

「もし嶺が変なことしてたとしても、でも俺、ぜんっぜん気にしないから!」


 さらに、北田くんは私の体を抱く腕に力を込める。

 まるで逃がさないと言い張るように。


「俺って、ほんとバカでさ、家族にも、親戚にも、そんで友達にも迷惑かけまくっててさ、自分の生き方とかが正しいのかわかんなかったんだ。でも、嶺と会えて、俺なんかよりも嶺の方が大変だから一緒にされたくないだろうけど、でも俺、初めておんなじ境遇の人間と出逢えて、死ぬほどほっとしたんだ。ああ、俺も頑張ろうって」

「……うん……」


 それは私も同じ。

 自分だけが苦しいんじゃない。自分だけが不幸なんじゃない。

 そう思ってしまう自分がいた。

 北田くんに、心を寄せる自分がいた。

 これは、恋なんだって、そう思った。


「俺だって、綺麗な生き方してきたわけじゃない……こんなこと言うと嫌われるだろうけど、実は俺も、デートした人といかがわしいところに行ったことがある」


 それは、とても勇気ある告白だった。

 でも不思議と私はそれが気分悪くはなかった。

 好きな人がそういうことをしていたと知らされても。


「今では超反省してるけどな。でも、あの時は目先のお金のために無茶することもあったんだ。だから嶺はおかしくない。何も間違ってないし、恥ずかしく思うことなんて何もない」


 なんでこんなにも、この人の言葉は、声は、私の中にしみこんでくるんだろう。

 私を温めてくれるんだろう。


「だから嶺」


 そう、北田くんは私から少し体を引き離し、私を反転させ振り向かせる。

 彼の手は震えていて、そしてその目は緊張に震えていたけれど、でも煌々と輝いていた。

 まるで、太陽のように。


「俺と一緒に頑張ってほしいんだ。ここでめげずに、これから、俺と、一緒に……」


 その声には、一片の曇りもなかった。


「私……とんでもない間違いをおかしちゃったのよ?」

「なんだっていい! そんなの気にしない!」

「借金もたくさんある」

「一緒に返していけばいい! 二人で、折れそうな時は片方が支えて、そうやって二人三脚で歩いていけばいい!」


 なんでこの人は、こんなにも。

 頼っていいわけがない。押し付けていいわけがない。

 でも私にとって、彼のような存在が、とてもうらやましく、とても欲していた。

 彼こそが、私の人生に足りないものだったんだ。


「甘えても、いいのかな?」

「いい! 甘えてほしい!」

「……うん……」

「嶺!」


 嬉しさのあまりか、北田くんが私を抱きしめる。今度は正面から。

 少し痛い。けれど、熱くなった頭が痛覚を麻痺させているようで。痛みよりも興奮の方があふれ出てくる。

 こんな状況なのに。

 幸せを感じてしまう。


「み、嶺……」


 と、再度体を引き離し、北田くんが私を見つめる。今度の目は凛々しくはなく、少しうるんで緊張に支配されている。

 そして。

 彼はあろうことか。

 その唇を、私に。


「だめ」


 むぎゅ、と彼の近づいてくる顔を片手でさえぎる。


「んぐっ! な、どうして?!」

「そういうのはちゃんと手順を踏んでから!」

「そ、そんな~」


 雰囲気に誤魔化されると思ったのだろう。いや、少なくとも普通に考えたらそういう空気だっただろう。映画だったらここでキスしてエンドクレジットが流れてたと思う。

 でも、そういうのは、私にはまだちょっと早い。


「だって……は、恥ずかしいじゃない……」


 だからしょうがないのだ。


「あ、あっはっはっ!」


 私を見て、北田くんが大きな声で笑い始める。

 誰もいない夜道に、彼の声が響き渡る。


「だよな! そうそう! これでこそ嶺だ! 俺、嶺が許してくれるようになるまで我慢する!」

「……うん」

「よしっ! じゃあ帰ろっか?」

「それが、帰りたくなくて……」


 一瞬で現実に引き戻される。

 家には帰りたくない。絶対に。


「何言ってるんだよ? 嶺の家は、他にもあるだろ?」

「え……?」

「行こう! 『カレカノ』でみんなが待ってる!」

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