これは復讐だった
人生とはなにか。
それを問い出すと、人はすぐに哲学だなんだと揶揄を始めてまともに考えることをしない。
でも確かに、答えの無いものにこだわってしまってもしょうがないというのも事実だ。
だから人生とはなにか、それを論じることはないけれど。
でもたしかに、今日たしかに私の人生は終わりを告げた。
ううん、違う。
私の人生は、終わっていたのだ。
兄が家を飛び出したあのときから。
そんなことをぐるぐると考えながら、私はまるで放浪者のように無作為に街を歩いていた。
だが本当に無作為というのはないようで、私は自分の身体が覚えているままにある方向へと向かっていたらしい。
大衆居酒屋『二軒目』。
ここを辞めたのは――辞めさせられたのはつい先日だというのに、すでにそこは懐かしくて。
家に帰ることができない私の帰巣本能は、第二の家へと赴いていた。
ここで何が変わるわけでもない。
ここが私の人生を救うわけではない。
なんの答えも救いもないけれど。ここが傷ついた私の拠り所なのだとそう本能が語りかける。
以前私のせいでぼろぼろにしてしまった店のガラス窓はきれいに戻っていた。どうやら修理費用を払えたらしい。煌々と明るく照らされる店の看板に、あのまま店が潰れるかと思っていた私はホッ胸を撫で下ろす。
もはや他人だというのに、僅かに笑顔がこぼれ出る。
その時、店の裏口から人が出てきて慌てて隠れる。それはビール樽を持ったバイトの人。私が知らない人だ。あれから少ししか経っていないというのに。
「ハルちゃん、一人でやれる?」
「……店長」
遅れて出てきた姿に胸が暖かくなる。
店長だ。所々に怪我の手当の様子が見られるけれど、どうやら健在のようだった。
よかった……本当によかった。
「お客さん待たせてるし急ごうか」
「はーい!」
店長と新しいバイトの女の子は、新しいビール樽を持って中へと入っていく。あの様子だと、どうやら貸し切りの宴会が入っているのだろう。人件費さえも切り詰めていたのに、持ち直したみたいだ。
――と、そこで私は愚かな考えを巡らせてしまう。
私は、もう受け入れてもらえないのだろうか。
そんなことを申し出れた立場でないのはわかっている。店の修繕費だけでも数百万はかかっただろう。私の顔も見たくないかもしれない。
でも、私にとってはやっぱりここは家なんだと、改めて思う。
私の人生にとって、家族のようなもので。切っても切り離せない存在で。
時間が経った今、もし、土下座でもしたら許してくれるかもしれない。また一から、無給で頑張るくらいの気持ちを見せれば、もしかしたら。
そう思った瞬間、また裏口が開く。
まるで合わせたかのように店長が出てきた。店長は少し上機嫌な様子で、先日見せた怒りは微塵もにじませていなかった。
今しかない。
そう思い私は建物の陰から一歩前に踏み出した。
「テンチョ〜」
その時だった。
裏口から、もう一人。
「アイスピックどこ〜?」
「あれ、カウンターのとこ置いてなかったっけ?」
息が止まった。
目の前の光景に、理解が追いつかない。
そこにいたのは。店長と楽しげに会話をするその人物は。
「芽木……!」
どうして。
先日あの男が、この店を襲って店を壊し、店長や郷田さんに怪我をさせたのではなかったか。
その男がどうしてここで。この店で。
「それにしても助かりましたよ、芽木さん」
「ん? 何の話?」
私の存在に気が付かず、二人は裏口で会話を始める。
「店の修繕費持ってもらって」
「何だその話〜? 元からその予定だったでしょ? お芝居のお手伝いしてもらう代わりに、店は新築みたいにきれいにしてあげるって」
「まさか関係ないとこまでキレイにしてもらえるとはね。あの冷蔵庫も最新のやつでしょ? 申し訳ない」
「まあまあ。持ちつ持たれつっしょ? 今後は俺らでこの店贔屓にさせてもらうから、いろいろ融通きかせてよ?」
「あはは、もちろんですよ! でもほら、あれだけは……」
「あれ?」
「その、ほら、薬とか、ああいうのはちょっと……」
「それはダイジョーブだって。あくまで健全に使わせてもらうよ」
「ほんと助かります。出戸さんにもよろしく言っておいてください」
「うい〜。そんなことよりテンチョーも飲むよー!」
「はいはい」
会話はそこで終了し、芽木、店長の順でまた店内へと入っていく。
隠れていた建物の死角で、私は天を仰いだ。
「芝居、か……」
今の話から理解できることは唯一つ。
私は、ここでも騙されていたんだということ。
芽木は出戸の手先で、全てはあの男の仕組んだことで、私はあいつの手のひらの上で転がされていたということ。
なんのために?
決まってる。私をとことん追い詰めて、追い詰めて追い詰めて、楽しむため。
私からすべてを奪って、弄んで、お金だけじゃなくて僅かな幸せまで奪うため。
今思えば、遊園地で芽木らがちょっかいを出してきたことから始まっていたんだと思う。
それはきっと、自分がされたことへの復讐なのだろう。
出戸は、兄にこっぴどく仕返しをされしばらく静かになっていた。それはあの男の言う通り、失敗続きで仕事を干されていたんだと信じていた。
でも違う。
やつは、虎視眈々と復讐してきていたのだ。
暴力では敵わないから。外堀を破壊していき、私を孤立させた。
まるで木の根のように、見えないところからじわじわと侵食してきていたんだ。
そして、仕事を、仲間を、そして最後にはお金を奪った。
すべてを、奪われた。
あいつの復讐は、完成したんだ。
「もう、やんなっちゃう……」
乾いた笑いがもれる。
地面に座り込んだその時、スマホがブルリと震えた。
見るといくつか北田くんからのメッセが届いていたが、それに返す気は起こらない。何を、なんて返せばいいか。
軽蔑されるのは嫌。
すると、北田くんのメッセの間に、別の人からのメッセージが届いているのを見つける。
それは、私の親友からのメッセージだった。




