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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第一章
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そっか、マギア無いの忘れてた

 ビール樽というのはなかなかに重い。

 この中に何杯分のビールが入っているのか。数えたこともないけれど、気にはなる。そしてこの一つの樽から、黄色いビールの部分と、白い泡の部分が抽出されてくるのが不思議。白い泡もビールなのだろうけど。

 とにもかくにも、このビールという大人の飲み物を、いずれ私も飲む日がやってくるのだろうかと考えると、そんな人生は嫌だなとなんとなく思う。

 お酒に頼る人生は嫌だ。

 それは昔の父を見ていたから。

 あれを飲むということは、父のスイッチが入ることを意味していたから。人を変えるという印象が焼き付いて離れない。


「郷田さんに頼めばよかったな」


 重すぎる樽を持ち上げながらぼやく。

 私は自分が女だからとか、女子高生だからとかいった言い訳は大嫌いで、男女関係なく自分というものに責任を持って生きていきたいと思う。

 でも力だけはダメだ。こればっかりは身体の構造が違う。


「ビールなんて、大っ嫌い……」

「そんなこと言うなよォ」


 と、声がしたと思った瞬間、身体が後ろに引っ張られた。

 容赦のない引っ張りに身体が痛みを感じる。くるくると身体が回って、尻もちをついた。

 顔を上げると、昨日の恐怖がそのまま停止から再生されたかのように、全身が凍りついた。

 そこにいたのは、昨日の取り立ての男だ。

 名前は――忘れた。

 頭に包帯を巻き、左腕は骨折したのかギプスを巻いている。

 そしていつになく、その目は血走っていた。


「――」


 恐怖で頭が回らない。言葉が出てこない。


「昨日は、ありがとうやで~」


 言葉とは裏腹に、憎しみの籠った声で男は言う。


「目が覚めたら病院のベッドやったわ。愛車もスクラップなってるし、親父には殺されかけるで散々だったんだ~。あ、こっちの腕のは親父にやられたの」


 調子よく話しているが、笑えない。

 ほとんど事故みたいなもので、取り立てとしての彼に問題はあったわけではないだろうに。なのに、一度のミスで腕まで折られるのか。


「本当はね、バイト先とか家まで押しかけちゃいけないんだけどね、でも我慢なんねぇから来ちまったァァァッ!!!!」


 突然狂気を(はら)んだように叫びだす。

 この男はいつもそうだ。へらへらして親しみやすいかと思いきや、突如狂ったように叫びだしたりして困惑させらせる。掴みどころがないと言い換えてもいい。

 改めて、この男が向こうの世界の住人であることを思い知らされる。

 向こうの世界。これこそがまさに異世界だ。


「あー興奮してきた」


 男は言って股間を触ったあと、ポケットからナイフを抜き出した。

 とてもあっさりと、何のためらいもなく。


「さ、さ、さ、金! 金! 金ェェェェェッ!!」


 突きつけれるナイフの先端に、後ずさるしかない。

 死ぬ。殺される。

 それしか頭の中に浮かばない。


「俺優しいからさァ。志津香ちゃんちに遠慮して、取り立て抑えてたじゃん?」


 どこがだ。


「でもさー。もう親父に誤魔化し効かなくなってきたから、これまでの分まとめて取り立てさせてね?」

「い、いくら、ですか?」


 涙目でようやく答える。

 ここは大人しく払おう。これ以上の抵抗は本当に殺される。


「100万」

「え?」

「100万。今まで取りたてで抑えてた分」

「そんな……」

「あと抑えてた分の手数料と、今回の慰謝料」


 そんな無茶苦茶が、あってたまるか。

 なのに。

 間違っているはずなのに。

 動けない。何も言い返せない。鼻先に突きつけられたナイフが、言葉を奪う。

 私の意思を弱らせる。


「払えないなら~」


 と、鼻歌を唄うように言って、男はナイフを私のシャツの胸元へと押し当てた。

 そして、谷間の隙間をナイフで引き裂いた。


「っ!?」


 そのままナイフは腰のベルトの部分までシャツを引き裂く。

 露わになりかけた下着を、両腕で隠した。


「売るしかないね~その身体ァァァッ!! アッハッハッ!!」


 狂ったお化けピエロのように笑う。

 お化けの方が、どれだけマシだったか。


「嫌……嫌……!」

「志津香―」


 そこに、間抜けな声が飛び込んでくる。

 あまりにも場違いな。


「あ、いた」


 裏通りから顔を出したのは、やはり兄の創太だった。

 本当に、面倒なところに現れる。


「えーっと……」


 当然、兄は現状を見てただならぬことが起こっていると悟る。

 妹がナイフを持った男に襲われているのだから。


「あー……」


 取り立ての男もまた、冷静になったのかそう彷徨(さまよ)う声を漏らす。


「お兄ちゃん、悪いけど立て込んでるからあっち行ってくれない? 今見たことは忘れて」

「無理、かなー。そいつ、俺の妹なんで」

「は?」


 ぎょろっと、取り立ては私を睨んだ。


「兄貴ィ? 兄貴は7年前に行方不明なったんちゃうんか」

「戻ってきたんです……昨日」

「昨日!? タイムリーやな~……ん、昨日?」


 なにかを思い出したように、男は今度は兄を睨んだ。


「お兄さん、もしかして昨日、黒塗りの車の前飛び出なかった?」

「ん、ああそれ俺です。すみません、慌てて」


 どんな感情なのだろうか。察することもできないが、取り立ての男は嬉しそうに口角を上げる。


「そっかそっか。志津香ちゃんのお兄さんか~。じゃあ他人事じゃないね。家族のためにお金、返してくれなきゃね~」


 くるくると、器用にバタフライナイフを回しながら、男は兄に近づいて行く。


「や、やめて……」

「やめてって、それは無理でしょ~。お兄さんも、きちんと一から叩きこんであげなきゃ。俺らのこ、わ、さ、を!!」


 男がナイフを横なぎに振るう。

 それは、本当にギリギリのラインで兄の目の前を横切る。


「お」


 しかし、兄は瞬きもせずに動かない。男は少し驚いた。


「なんだ、ビビらないじゃん」

「いや、だって当てる気なかったですし」


 嘘つき。怖くて動けなかっただけのくせに。

 また、恰好をつけている。

 こんな時まで厨二病が抜けないのか。逆に褒めてやりたい。


「じゃあ当てるゥゥゥゥゥ!!」


 今度はナイフを縦に振り下ろす。

 兄はその瞬間、何を思ったか手を前にやったが、すぐに後ろに身を下げた。

 つーっと、兄の右腕あたりから血が漏れた。


「なに、今ナイフ手で止めようとしたの? え、なんで? 馬鹿なの?」


 男は挑発するように言って、また笑う。


「そっか、フォトン無いからマギア使えないの忘れてた」

「ま、まぎ……?」

「世界が違うといろいろ不便だなー」

「せ、世界……? アハ、アハハハハハッ! え、何、この子面白い! 痛々しい!! 志津香ちゃんのお兄さん最高!!」

「……」


 どうしようもなくいたたまれない気持ちになり、視線を下げる。

 どうして私が馬鹿にされなければいけないのか。

 どうしてこんな人間に、私の人生を汚されなければいけないのか。

 (けが)されなければいけないのか。

 エンガチョだ。エンガチョしてやる!


「こっちの世界にも、くだらない悪党ってのはいるんだな」

「へー、ちみはどこの異世界たんに行ってたのかなー?」

「でも向こうの悪党には信念があった。生きるためっていうね」

「はあ? おいらだって生きるためにやってるんですけどー?」


 ナイフを振るう。兄はそれを軽く避ける。

 再びナイフを振るう。しかしそれも兄はいともたやすく避けた。


「ん? んん?」


 まるでヤナギを切りつけるような手ごたえの無さに、男は異変を感じ始める。

 三回目、四回目。

 一つ一つが人を殺めるに値するそれを、男はためらいなく振るい続けるが、兄には当たらない。

 五回目。


「えっ」


 間抜けな男の声。

 それも仕方がない。なにせ、振り下ろしたナイフを、兄が人差し指と薬指で白羽取りしたのだから。

 男はその時、初めて真顔になり眉間にシワを寄せる。


「なに、お兄さん格闘技とかやってるわけ?」

「まあ、一通りは学んだかな。大体は実地訓練だけど。フォトンが薄いところだと、この体一つで切り抜けるしかないんでね。死に物狂いさ」

「なーにをわけわかんねぇこと言ってんの。カッコつけちゃって〜。避けてばっかでつまんないゾ♪」

「いや、ちょっと考えてたんだ」

「なにを?」

「どうすれば、殺さずに済むかって」


 男はきょとんとした。

 そして案の定、高笑いを始める。


「こここ、殺すって、お兄さんが、俺を?! 僕ころしゃれるのォォォッ??」

「まあ、こっちの世界での手加減がわからないから、やりすぎてしまうかも」

「ならやってみろやオォイッッ!!!」


 ――と。


「あい?」


 ――ナイフが、高く空に飛んでいた。

 それは私の目の前に落ちてくる。

 男を見る。ナイフを振り上げた状態で止まっている。

 手にナイフは、ない。

 というより、腕が、肘から先の腕が、真下に向かって折れ曲がっている。

 ありえない方向に、捻じ曲げられている。

 男は、遅れてそれを見た。


「え、おいおい……アアアアアッッッ――――」


 叫んだ。痛みに。

 だがすぐに、兄が男の懐に飛び込み、顔の辺りで素早く手を動かしたかと思うと、悲鳴が止んだ。止んだどころか、男が力を失ったように兄にその身を預けて沈黙した。


 なにが、起こったの?


 私が理解できぬまま、一瞬でその場は静寂を取り戻した。

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