よーい、スタート
「お志津! おまたおまたのおまたじゃくし!」
今日は学外での模試である。
少し離れた駅まで赴いて、そこにある大きな専門学校の中で行われるらしい。
模試は受験生にとって勝負の場なんだけれど、それでもまだ受験モードに入っていない高校2年の私たちにとっては、ひとつのイベントのようなものでしかなく。学外で行われるこのイベントに、すれ違うクラスメイトたちの顔もどこか浮かれ顔だった。
そして当然、穂田愛ちゃんも。
「ごめそごめそ。朝出るの遅れちゃって」
「寝坊?」
「うーん、ちょっとね」
そう顔を上げた愛ちゃんの顔を見て悟る。
「愛ちゃん……お化粧してたんでしょ」
「えっ」
「胸元もいつもよりボタン一つ開いてる」
「えへへ~。だってせっかく学外なんだし、おしゃれしたいし? いろんな学校の人が来るらしいから負けてらんないわ」
「何で勝負しに来てるのよ」
「いい男捕まえて嫁ぐのも、女の立派な生き方でしょ?」
そうかもだけど。
でもそっち路線で決めるには早くないかな。
今の時代、共働きも多いんだし、自分でもある程度稼げるようにならないと。
少なくとも私は働きたい。
「てか愛ちゃん、ほんとにうちのあれはもう冷めたのね」
「うちのあれ?」
「あれよ、ほら、こないだ戻ってきた」
「……あー、あー! お兄さんね! いやいや、お兄さんはお兄さんで狙ってるんだけどね? ただ一つに絞る必要はないっていうか、いろいろ候補を作ってもいいかなって」
「なにそれ、ひどい」
まあ兄なので、どうでもいいと言えばどうでもいいんだけど。
でも腐っても家族なわけで。
「いやいや、待って。ちょ待ってよお志津! 違うの! ほら、正直あんまり相手されてないし、できちゃったらできちゃったで、お志津も困るじゃんのすけ?」
「じゃんのすけって……じゃんのすけだけど」
ともかく、飽きたんだなとわかった。
女心は秋の空というけれど、愛ちゃんは基本的に惚れっぽくて冷めやすい。
「そんなことより、お志津はどうなのよ?」
「どうって?」
模試の会場が見えてきたところで、愛ちゃんに肘で小突かれる。
正面を見遣ると、かたまった男子生徒たちが会場に入っていくのが見えた。
その中に、北田くんの姿をとらえる。
「どどど、どうってなによ」
「お志津恋愛処女でしょ?」
「は、はあ!?」
その言葉を親友から聞かされることになるとは。
フラッシュバックしてしまった。
「今まで好きな人なんていなかったでしょ?」
「いないわよ! 今もいない!」
「う、そ」
「もうやめてって!」
熱くなる顔を冷ますように手で仰ぐ。
「違うの。まだそういうんじゃなくて……」
なんていうか。
「好きとかそういう感情は、わからなくて……でも自然と目で追いかけちゃうってだけで……」
「お志津」
「な、なに?」
「か~わ~い~い~!!」
むぎゅりと抱き着かれる。
いちいちコミュニケーションが濃い。
ていうか香水くさい。
「は~な~れ~て~!」
「無理! 愛おしすぎてフル勃起!」
「朝から何言ってんの!?」
「私に任せて! ねっとりじっくり愛撫してあげるから!」
「何の話してるのよーーー!」
朝からお盛んな愛ちゃんであった。
そのままちょっかいを出してくる愛ちゃんをあしらいつつ、会場に入る。エレベーターであがり、狭い廊下を進むと、指定された教室が見えてくる。
途中様々な制服を着た他校の生徒も見かけたけれど、ここは私たちのクラスメイトだけの部屋のようだった。なれない場所で緊張していたけれど、少しだけほっとする。
受験票に書かれた自分の番号を探し、その席につく。
学校の机と違って白くて冷たさを感じる。
でもなんというか、新しい世界みたいで気が引き締まる。
すぐに試験管と思われる人が3人ほど入ってきて、感情のこもらない声で説明をはじめる。高校受験の時と同じ感じだ。
ある意味で、成績だけがものを言うシビアな世界。
私は、今日からここで戦っていく。
みんなと同じ、舞台の上で。
「それでは秒針が12になったら始めます」
試験管が時計を見下ろす。
全体に緊張感が走る中、私はふと何かが動くのを目の端にとらえた。
斜め前方を見ると、北田くんが鉛筆を試験管に見えないようにふるふると振っていた。気づいた私と目が合う。
彼は口パクで何かを言った。
それはきっと、「がんばろうな」と言っているのだとわかった。
それだけで、まるで神様の加護を受けたかのように凛と強くなれる。内側から、やる気があふれ出てくる。
秒針が12に近づいていく。
私は正面を見据え、小さく深呼吸した。
「やるぞ」
試験を始めるチャイムの音が鳴り響いた。
よーい、スタート。




