サムズアップ
繁華街をしばらく走ると、ショッピングセンターなどが立ち並び夜だというのに眩く光る交差点に出た。人通りも多く、根波田さんに見つかることもないだろう。
そこから地下に入り、家の最寄り駅まで直通の地下鉄へと乗り込む。
電車の扉が閉まって動き出し、私はようやく一息つく。
「……濃すぎた」
今日は本当に。
人生初のラブホテルもそうだけど、男の人にあんなことされるのもそうだし、なにより最後狩里さんが登場したのが濃い。
天下一品のこってりよりも濃い。
濃すぎて、胃もたれだ。
残すから残飯として廃棄処分してほしい。きちんと高熱処理してもらって、灰にして。
ていうか狩里さん、ストーカーよね。
始終私を監視してたってことよね。
めっちゃ怖いんだけど。
社長に言っといた方がいいかな。もう二度と会わない方が良い気がする。このままだと日常生活にまで入り込んできそうだ。
電車に揺られながら、スマホを取り出す。きちんと動画が撮れていることを確認し、それをメールに張り付けて出戸さんに送る。
――と、送信ボタンを押す手前で止める。
良心の呵責がないわけではない。このボタン一つで、私が知らない何かが変わってしまうのだ。誰かが迷惑を被り、誰かが悲しい思いをする。
すでに私は根波田さんに迷惑をかけているわけで。あの人自体は悪い人ではないはずだ。ホテルの中までついていった私が悪い。
私は悪にまみれてしまった。
いつのまにか。
でも言い訳はできない。
自分の自由を、未来を勝ち取るために、何かを犠牲にしなければいけない。
それをわかっていて、この件に応じたのだから。
「何をいまさら……」
えいや、とボタンを押す。
送信中を告げる輪っかがぐるぐると回り始め、進捗を示すゲージが左から右へと溜まっていく。
そして、「送信完了」の文字が出た。
「……」
しばらくすると、メールが届く。
見るとそれは出戸さんからで、本文にはサムズアップの絵文字がぽつんと置いてあった。どうやら動画は無事届いたようだ。
すぐに二通目のメールが届く。
「ご苦労さん。ほな約束通り」
と、添付されていた動画を見る。
すると、先日私に見せた借用書を出戸さんがライターで火を点けていた。紙はあっという間に燃え尽きて、それはただの黒い灰となった。
こんなにも、あっさり。
「はあ……」
何かが抜け出るように、大きなため息が出る。
思っていたよりも、解放感なんかはなかった。
人生が変わった感じはしなかった。
私を苦しめていたものが、ただのあんな紙切れ一枚で、そんなものが燃えたところで実感が湧くはずもなく。
「そうよね。これから、よね」
変わるんじゃない。変えるんだ。
私は今、ようやくスタートラインに立てたのだ。
恥ずべき汚点ができたかもしれないけれど、でもここからそれを挽回していけばいい。いかなきゃいけない。そしてもし、万が一、謝罪できるチャンスがあれば、迷惑をかけた人たちに謝ろう。
立派な大人になって。
そこまで考え至って、すぐにまぶたが重くなった。
目を開けているのも、しんどくて。
全身が、休むことを、望んで……。
意識が……途絶えた。




