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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第六章
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救世主

 息がうまくできない。

 切れそうになる酸素を求めて大きく息を吸い込む。


「結構いるんだよね、土壇場で逃げちゃう子」


 腰にタオルを巻いた状態で、根波田(ねはだ)さんはゆったりとした口調で話す。


「こっちがお風呂入ってる間に、財布からお金だけ抜いて逃げちゃうんだ。大人をバカにしてるとしか思えないよね」

「そんなつもりは……」

「そうなんだよね。確かに財布を確認したけど一円も抜かれてなかった。ってことは、怖くなった感じ?」

「……は、はい。やっぱりこういうの良くないかなって」

「シノちゃん処女だもんね?」

「っ」


 くだらない言葉に、顔が熱くなる。

 そんな言葉、さりげなく言わないでほしい。答えられるわけがない。


「これは俄然やる気が出ちゃうね」


 にやつく根波田さんの腰に巻かれたタオルがピクリと動いた。両足の付け根あたりに膨らみが目立つ。それがぴくぴくと動いていた。

 何、あの中に何を飼っているの?!


「お、お願いします。やっぱり今度にしませんか?」

「シノちゃん。このホテルの利用料いくらか知ってる? ちょっといいところだから3時間で1万3000円だよ? 君が今日僕とデートして稼いだお金くらいでしょ?」

 

 たか! 宿泊ならまだしも、たった3時間で……?


「それに、このまま帰るなら、僕はカレカノにこの件のクレームを入れる。禁止行為を行っていたと知ったら、どうなるのかな?」

「それは、でも、結局何もしてませんし」

「それを誰が証明できるの? 中世みたいに処女膜でも見せる?」

「そそ、そんな破廉恥(はれんち)な!」

「でしょ? 僕はいくらでも嘘をつくし、それに説得力を持たせることもできる。それに、真偽はさておき、こんな噂が学校や家にバレたらどうなるのかな?」

「っ!」

「もし、君が好きな人が知ったら?」


 この男が勝ち誇ったように余裕だった理由がわかった。

 ホテルに連れ込んだ時点で、既成事実は出来上がっていたのだ。あとはどうにでもストーリーを偽れる。そしてその偽りは、私の行動をことごとく縛り付ける。

 まったく隙の無い脅し。

 逃げ場のない。


「怖いの? 大丈夫だって、別に取って食おうってわけじゃない。ただのセックスだ。避妊もする。数時間後にはシノちゃんは大金を持って家に帰って、どんな服を買おうかなんてスマホとにらめっこしてる。僕は満足して家で布団に入って、いつも通り家族と一緒に休日に出かけるんだ」


 何も変わらない。

 何も起こりやしない。

 何も問題なんてない。


「……いい加減、諦めなって」


 扉を背に立ち尽くす私に、根波田さんは体を寄せる。


「まあ、ベッドにこだわる必要もないな」


 そう、私の頬に手を添えた。そしてそれが次第に首、肩、腰、そして私の太ももまで下りていく。


「あっち向いて」


 甘い声で言われ、根波田さんに背を向けさせられる。両手を冷たい扉につき、臀部(でんぶ)を突き出す態勢にさせられる。

 私の体はまるで電気を失ったロボットのように言うことを聞かず、ただ促されるままになってしまう。


「わかる? これが僕」


 臀部の割れ目に、何かが押し当てられる。

 想像したくない。

 この男を殴って、気絶させてでもここを出たい。

 なのに、どうして私の体は硬直して動かない。

 お願い、動いて――!



 コンコン、と扉が向こう側から叩かれた。



 根波田さんの動きが止まる。

 様子をうかがうように少し沈黙していると、


「すす、すみません。ルームサービスです」


 男性の声がそう届く。

 何のことかわからず根波田さんを見ると、彼もまたわからないようで首を傾げた。


「すみませーん。いらっしゃいますかー?」


 しびれを切らしたスタッフが、大きく扉をたたき始める。


「くそっ。部屋間違えてるな。高いホテルなのに、最悪だ」


 観念したのか根波田さんは私の体を奥に引き入れて、自分が扉の前に立つ。

 そして扉の中部にある小さな窓を開く。小窓の向こうには、スタッフの腰あたりだけが見えた。


「それうちじゃないんで、間違ってますよ」

「いえ、この部屋からご注文いただきましたので」

「は?」


 根波田さんが私を振り返る。

 しかし私も身に覚えがない。


「じゃあいいや、こっち渡して」

「大きいものなので開けてもらえますか?」

「大きい? なんなの?」

「三角木馬です」

「さっ……三角木馬ぁ?」


 ぷっと噴き出す根波田さんだったが、私は何のことかわからない。

 木馬? なぜそんなものが?

 根波田さんは再度私を見て、何かを思いついたように卑しく笑う。


「いいじゃん。ありあり。じゃあ今開けるよ」


 何かはわからないが、ろくなものでないのは確かなようだ。

 根波田さんは扉を開こうとするーーって、開くの? どうして? 私にはラブホテルの仕組みが全く分からない。

 がちゃり。

 おもむろに開いた扉。

 その向こうには三角木馬――なんかではなく。

 その姿は見覚えのある。


「あああああああああああ!!」


 扉の向こうから、奇声を上げて巨漢が乗り込んでくる。

 驚く暇もなく、根波田さんの体は後方へと吹き飛んだ。


「いっだ!」


 倒れこむ二人の男。

 根波田さんともう一人、その上にマウントをとった巨漢の男は。


「か、狩里(かり)さん!?」


『カレカノ』で常連の狩里さんだ。大天使カリエルだ!

 いつも私を指名してくれていたが、ここ数日は私も別の指名で忙しく会っていなかった。


「なに、なんなのお前!?」

「シノちゃまに近づくなぁぁぁ! 汚らわしい!!」


 興奮した狩里さんは、叫びながら根波田さんに拳を振り下ろし続ける。根波田さんは顔を守ろうと必死に抵抗している。


「シノちゃまは僕の物だ! 無理矢理ホテルに連れ込むなんて、クズだ!!」


 いや、違うけど!

 いつからあなたのものになったの!?


「ちょっと、落ち着けって! 僕は別に――」

「嘘だ! ずっと見てたんだぞ!! シノちゃまは俺が助けるんだ!!」


 ずっと見てたの!?

 こわっ!

 今の状況、結果的に助けてもらったわけだし、ある意味でヒーローのようにも見えなくもないはずなのに! でも、私は今全身で恐怖を覚えてる!


「シノちゃま! ここは任せて先に行って!」

「ありがと!」


 何のためらいもなく答えて、開いた扉から部屋を飛び出す。ひらひらと跳ねるミニスカートの裾は気になるけれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 理想的な救世主とはいかないようだった。世の中うまくはできていない。


「待て! 逃がさないぞ!」


 根波田さんが、狩里さんを押しのけてこちらに飛びついてくる。私は即座に扉を閉めた。すると鍵が閉まるような音がして、そのあと扉に根波田さんが当たる音が響いた。


「っつ!~! くそ! 開け! そうか、お金……」

「ああああああああああああああああああああああ!」

「お前しつこいんだよ! どけって!! ぎゃああああああああああ!!」


 扉の向こうから獣と戯れる根波田さんの悲鳴が響いてくる。

 そのあとドタバタと音がしていたが、それは次第に遠くなっていった。


「カリエル、ごめんなさい!」


 とりあえず、助かりました。あなたは私の天使でした。

 心の中で礼を言って、私はホテルを抜け出した。


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