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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第六章
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決心

「借金を帳消しにしたる」


 その言葉だけが強く脳裏に焼き付いた。

 それは借金取りの出戸(でと)さんが私に言ったセリフ。真面目に、ふざけずに。

 しかし世の中そう甘くない。

 もちろんそれには条件がついていた。


「今度うちの会社の得意先の社長が、『カレカノ』を利用する。キャバとかやない、普通の女の子が好きなやつやねん。せや、ロリコンや。

 でな、今度さりげなくそいつを誘導して、志津香ちゃんを指名させる。向こうは志津香ちゃんのことはなんも知らん、安心してや。

 ほんでその社長と機嫌よう遊んだってほしい。

 同業者ちゃう。いわゆる建設会社の社長や。グレーやけど一応堅気の人間や。

 そこで一つ頼みごとや。

 そいつの持ってる携帯をうまいことパクッてほしい。なんでかは知らん方がええ。

 とりあえず携帯盗んで――ガラケーちゃうでスマホな――その中にあるメールを見てほしいねん。こっちの想像通りなら、ある会社とやり取りしてるはずや。それを転送かなんかして俺の携帯に送ってほしいねん。

 え? スマホで撮影? たしかにそうやな。そっちの方が早いわ。

 じゃあやり取りの画面を写真に収めて俺に送ってくれ。大丈夫、志津香ちゃんから盗み見られたってわからんようにする。それは絶対や。こんなことに堅気の女の子関わらせたってオヤジに知られたらそれこそ殺される。

 なんでこれで借金チャラにできるかって?

 まあ利権やなんやって大人の話や。早い話が、相手会社とのやり取りを潰してこっちのもんにしてまえば、うちが儲けられる。しかもかなりの額で、長期的な関係になれるんや。

 それが実現できたらオヤジの中の俺の株も戻って、もっかい優位な立場に立てる。そうしたらうまいこと手を回して借金なんてなかったことにしたるわ。

 ほんまかって?

 志津香ちゃんな。知らんかもやけど、志津香ちゃんちくらいの借金なんて、正直ちっさい案件やねん。世の中もっとバカがおって、おっきいお金が動いとる。オヤジも志津香ちゃんとこの借金なんてあることも知らんで。そんなもん書類一枚シュレッダーかけたらしまいや。

 書類があるか?

 志津香ちゃんしっかりしてるなー。ほら、そう言われる思って持ってきたわ。借用書。せや、俺を助けてくれら、契約完了ってことでこれを返したる。燃やすなり破るなり好きにしてええ。

 お母さんが入院したのは聞いてる。いろいろ入用やろ。お兄さんかて戻ってきて、やっとちゃんとした家族に戻ってもええんちゃうか?」


 それだけ話して、出戸さんは最後に私を竹井山駅前まで送ってくれた。

 信じるわけがない。

 そんなうまい話があるはずがない。

 出戸さんが嘘をついているか、もしくは思っている以上に危険な仕事だ。

 そうなんだけれど、しかし私には出戸さんの申し出が甘い蜂蜜のように魅惑的に感じてしまう。ともすれば蜂に刺されるとわかっていても、手を伸ばしてしまう。

 するすると。

 そろそろと。

 手が引き寄せられそうになる。


「誰か……止めて……」


 駅前のマクドナルドの二階。そのテーブル席に突っ伏し、一人つぶやく。

 時間も時間だからか、店内には誰もいない。

 誰かと話したくてスマホを見つめる。数少ない連絡先の中で愛ちゃんを見つけるが、すぐにスクロールの彼方へとやる。

 愛ちゃんに迷惑はかけたくない。

 そこで気づく。私は肯定し背中を押してくれる人を探していることに。

 

「おつー」


 とくんと心臓が跳ねた。

 顔を上げると、バイトを終えた北田くんが機嫌よさそうにこちらを見下ろしていた。


「どしたの? 大丈夫?」

「う、ううん大丈夫! おつかれ!」


 慌てて髪を整えなおす。

 北田くんは私の前の座席に座った。


「悪い遅れちゃって。延長入っちゃってさ」

「すごいね。人気」

「あなたすっごくいい! あと30分だけ付き合ってちょうだい!」


 北田くんはそうやって、お客様のおばさんのモノマネをした。

 顔芸まで加えて、おもしろい。


「なにそれ、濃ゆいね」

「めっちゃ濃かった。嶺は時間通り?」

「うん。1時間だけ」

「へー珍しいな」


 北田くんはポテトをほおばりながら何気なく言う。


「そうなの?」

「うん。基本120分からだからなー。60分だとあんまり時間ないし」

「そうだね……」


 十分だったけれど。

 あまりにも濃い60分で。


「どんな人だったん? 嶺の相手」

「え? どんな人……ちょっと変人っぽいけど、実はしっかり考えてていろいろ抱えてる人、かな?」

「なにそれっ、嶺のお兄さんみたいじゃん」


 そう言われれば。私の身近には変人ばかりだった。


「よしよ~し。勉強勉強!」


 北田くんはカバンから教科書を取り出し広げ始める。


「北田くんはさ、大学行くの?」

「俺? もちろん行くよ? 今度の模試である程度可能性見いだせないと激ヤバだと思ってるけど」

「あはは。まあ余程難関じゃなかったら、まだまだ大丈夫よ」

「嶺も大学行くんだろ? 穂田が言ってた」

「うん。お金のことがあるから、まだ様子見だけどね」

「そっかー。それはあるな。俺も国公立で奨学金免除狙ってるから、私立とかは無理だなー」


 こういう時、北田くんはさりげなく大人だ。

 大体の人はここで、借金なんてなんとかなる、とか、授業料免除のところ受ければ? とか言ってくる。それはなにも悪意はないものなのだけれど、しかし、と思う。思ってしまう。

 だが北田くんはそれをわかっている。だから軽々なことは言わない。

 お金はそれほどにシビアなものなのだとわかっているから。

 それがどれほどに助かっているか。


「でも一緒に頑張ろうな! 今は苦しいかもだけど、働けるようになったら自分の人生を持てるんだし!」


 彼はニヒヒと笑う。

 まるで小学生の子供のように。

 まるで小さい頃の兄のように。


「自分の人生、かあ」

「そうそう。面倒なしがらみなんか抜け出して、一から自分だけの人生を歩むんだ」


 考えたこともなかった。

 私の人生は家族とともにあって、マイナスを返済していくことが人生だと思っていたから。

 それをリセットして、自分だけの人生なんて……。

 あるのだろうか。

 あって、いいのだろうか。


「俺、嶺となら頑張れると思う。こうやって互いにしかわからない価値観共有して、互いに秘密ごとを共有して、なんかこれって心の友って感じしない?」

「……うん。ちょっとわかる」

「っしょ!? みんな俺たちのこと大変そうとか思ってるだろ? だから俺たちでこっそり勉強しまくって、めっちゃいい大学合格してやろうぜ! そんで合格して言うんだ、お前たち何してたんだーって!」


 って、それは嫌なやつか。最後のは無しで。

 そう北田くんは付け足してまた笑う。


「ううん」


 でも私は、そんな北田くんの謝罪をあえて否定する。


「言ってやりましょ。いい大学行って、いい仕事就いて、みんなを見返してやるんだから」


 そう強く思ったから。

 自分の人生を、歩んでみたいと思えたから。

 こんな私にも、別の人生を歩める可能性があるだって教えてもらえたから。

 北田くんに。


「おうっ!」


 だから私は、差し出されたチャンスに手を伸ばしてみようっと決心した。


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