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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第六章
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指名入りました

 待ち合わせ場所は駅の傍にある駐輪場の路肩だった。

 この手のサービスを利用する人たちは、あまり目立つことを好まないらしく、いつも人通りの少ない場所を選ばれる。とはいえ女性を一人そんなところに追いやるのもいろいろと問題になることが予測されるため、近くまでは男性スタッフが車で送ってくれて、お客さんと問題なく待ち合わせできるかを見守ってくれている。

 もし相手側に問題があれば、メンバーは助けを求めることもできる。

 特段問題なくサービスを開始できる場合は、その場で専用アプリで「開始」ボタンを押すことで会社にそれが通知され、サービス時間のカウントが開始される。時間の10分前にはアプリに通知が来て、終了時間を知らせてくれる。その際に、延長する場合は指定の時間の延長ボタンを押すことでカウントが延長される仕組みである。

 ちなみに、デート中に問題が起こった時など用に、緊急を知らせるボタンも用意されている。仮にそれが押せない状況でも、終了時刻を知らせる10分前の通知に返答をしなければ緊急的な対応をしてくれる。

 などなど、こういった場所で働く若い人たちへの配慮に富んだ仕様となっている。

 これは私が実際に働いてみて知ったことで、感心したことでもある。

もっとこういう仕事は大ざっぱで金勘定ばかりに力を入れていると思っていたから。働くスタッフの身の安全や福利厚生などを一番に考えていることが驚きであり、カルチャーショックだった。

 トイレの倉庫で着替えてたのが懐かしい。

 あれはあれで、温かい思い出なのだけど。

 そう浮かび上がる後悔を振り払い、指定された待ち合わせ場所に赴く。


「どこ?」


 人っ子一人いない。

 いるのは駐輪場を管理する定年を過ぎてセカンドライフを気ままに送るおじさんくらい。それも暇なのかテレビを見ている。

 周囲を見渡す。誰もいない。送迎車の運転手に視線をやるが、彼は今日発売の週刊少年誌に夢中になっていた。

 仕事しなさいよ。

 その時、プップと私を呼ぶような車のクラクションの音がする。

 見遣ると、傍の折れた先の道に一台車が停まっていた。目を凝らすが、スモークガラスで中がよく見えない。

 するとしびれを切らしたのか、今度はヘッドライトをピカピカと光らせた。

 明らかに私を呼んでいる。


「車はダメって書いてあるのに」


 この苛立ちを既になんど覚えたことか。

 本当に人と言うのは規約を読まない。ルールを守ることすらできない。

 そう呆れながら車に寄っていくと、ゆっくりと窓が縦に開きだした。


「すみません。車はNGなんで――」


 声が、詰まった。

 一瞬、息ができなくなり、思考が停止する

 そして瞬時に、私の脳は「逃げろ」と叫んだ。


「声出すな」


 そう、久しぶりに聞き覚えのある声で言われ、私はまるで調教された犬のようにその指示に従ってしまう。


「久しぶり。志津香ちゃん」


 にたーと、運転席の男は笑う。

 その歯はいくつかが金歯になっていたが、しかしその憎たらしい顔だけは、変わらない。

 忘れるわけもない。

 それは私の借金を取り立てに来ていた男。

 兄に完膚なきまでに負かされて、あれ以来恐れをなしたのかまったく私の前に現れなかった。

 なのに。

 今。


「なにしてんの志津香ちゃん。早く乗って」

「す、すみません……車はダメでして」

「はやく、乗って」


 怒っているのか笑っているのかもわからない細い目でじっと見つめられる。

 後ろを振り返るが、未だ送迎車の運転手は少年漫画に夢中だった。私はポケットの中の支給スマホを確かめる。

 ここで、緊急事態発生ボタンを押せば――。


「ポケットの中で何してんの? なあ?」

「え、その……」

「見せてーなー」


 手が、震える。

 ただスマホを取り出して、送迎車で待つスタッフを呼ぶだけなのに。

 私はゆっくりとスマホを取り出した。


「お、なんやこれでサービス開始の押しらせするんや? ほな早く押してや? 開始ってボタン」


 別に強制はされていない。

 だから私はゆっくり指を画面に持っていく。

 この男からは画面が見えない。「開始」ボタンを押す振りをして、「緊急」ボタンを押せば。

 男の顔を見る。

 彼は薄く笑っている。

 その顔を見るだけで、私の身体は、手は、指は、まるで蛇に睨まれたカエルのように動かない。


「わかってるよね?」


 関西弁と標準語を織り交ぜて話す人を小馬鹿にした様は、以前と変わらない。

 始めはそれを変な人だくらいにしか思っていなかったけれど、私の身体にはその軽妙な様がある種のトラウマとして刻み込まれている。

 心を、身体を、縛り付ける。


「はい」


 私は黙って「開始」ボタンを押した。

 するとその通知が届いたのか、送迎のスタッフは自分のスマホを確認したあと、車をUターンさせてその場を離れて行った。

 離れて、いって、しまった。


「ほな楽しくドライブしよか」


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