表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
42/85

しっかりしてよ

 やってみればわかるけれど、一人の人間を運ぶというのはなかなかに難儀なことで、それが大の男を女一人で運ぶとなればなおさらだった。

 店にはいられないと兄を引きずり出したは良いけれど、結局店を出て一分進んだところで私の力が尽きた。兄の身体はもちろん、肩にかけられた大剣が重すぎる。捨て置こうかとも考えたけれど、後からネチネチと言われそうだったからそれはとどまった。

 幸い凍えるような寒さというわけでもないので、程よく涼しい風が通り居心地は悪くない。

 でもこんな道端でいつまでもいられないと思い、どうにか移動手段を考えたが、私には車を運転できず、かといってこの状態でタクシーに乗るわけにもいかない。

 病院に行ってもいいが、兄は現在行方不明中で、確か母曰く保険証がない。あきらかに高額になる治療費の事を考えると足がすくむ。

 最終的に思考を巡らせた私が連絡を取ったのは、朝川診療所。母が勤める診療所だ。

 こんな時間に無駄だろうと思いつつ連絡を取ると、朝川先生は私の泣きそうな声にいたく心配してくださり、わざわざ車を出して迎えに来てくれた。

 そのまま何も聞かず診療所まで連れて行ってくれ、そして兄をベッドに寝かせたあと傷の手当などをしてくれた。ここが外科で助かった。


「あの……」

「治療費なら大丈夫。今回は特別じゃよ」


 私が言いたいことを瞬時に理解してくれて、しかも慮ってくれる。

 世界にはこんなにいい人がいるんだと素直に心が洗われた。

 すると、朝川さんは黙って私にハンカチを手渡した。


「拭くといいよ」


 言われて意味が分からず鏡を見る。

 すると私の目からは涙が溢れていて、今にも目から飛び出してきそうだった。

 言われるまで気付かなかった。

 ハンカチに顔を埋め、涙を吸いあげる。


「すみません。いきなり」

「緊急には慣れとるよ」

「母の事と言い、ご迷惑ばかり……」

「ふむ。君は、いささか自分で物事を背負いすぎじゃないかい?」

「え?」

「たった17の女の子なのに。お母さんの事とか、借金のこととか、大きなものを背負いすぎじゃないかと思ってね」

「仕方がないんです。そういう、運命なんです」

「君くらいの子供なら、そんなもの知っていても背負わず、誰かに任せちゃって自分の事ばかり考えるものだよ」

「……でも、任せる誰かがいないんですよ」

「それは任せる気がないだけじゃろ。君は誰も信用してないから」


 突然の辛辣な言葉に、返答を失ってしまう。

 朝川先生の目はよぼよぼに皺が入った年相応のものなのに、その奥に佇む黒い瞳は吸い込まれそうなほどに凛としていて、飲み込まれそうになる。


「お母さんも言ってたよ。志津香ちゃんは立派だけど、何でも自分でやろうとするから心配だって。私が母親として頼りないからかなーって。そう笑ってたよ」

「お母さんが……?」

「少し肩の力を抜いた方がいい」

「でも、私がしっかりしないと……」

「辛かったら誰かを頼ればいい。世の中なんとかなるもんだよ」


 言って、最後に朝川さんは破顔して優しく笑う。

 もう齢60は超える人にそう言い切られてしまうと、私なんて子供には反論もできない。


「して、察するに喧嘩か何かかな? それにしては度が過ぎていると思うけど」

「そんなところです。その、怪我は治りますか?」

「血は出ているけど、傷はさほどでもないから大丈夫だろう。随分鍛えられてる身体だ。理想的と言ってもいい……警察には?」


 私は黙って首を横にふった。

 安易に通報していいものか迷っている。もし通報するとすれば店長がしているだろうし、私がしたところで事態を余計にこじらせそうだから。

 なにより、母が人質にされている。

 あれは、そういうことなのだろう。だから彼らは法など度外視にして暴れ回ったのだ。もしもの時の保険を用意しているから。


「ん」


 その時、兄がうめき声をあげて目を覚ました。


「ああ、志津香」

「なんでそんなにのんびりなのよ……」


 まるで寝起きのように落ちつている兄に唖然とする。

 心配していた自分が馬鹿みたいだ。


「なんだ志津香、泣いてたのか? 俺のために?」

「な、泣いてないわよ! ありえない!」

「……ここは?」


 ようやく兄と朝川先生が目を合わせる。


「ああ、朝川さんの」

「久方ぶりだの。まだ寝ておいた方がいい」

「ああ、いえ、大丈夫です。もう血も止まったので」


 そう言って兄はばりばりと肌に付いたガーゼや点滴針などを取っていく。

 朝川先生は驚いてあたふたしていたが、少し兄の身体を見てその顔付きが鋭くなる。


「なんと……驚異の快復力じゃ」

「自己治癒能力は極めたので」


 兄は腕をぐるぐると回して健康であることをアピールする。

 そう言われれば、まぶたの大きなコブまで消えている。一、二時間程度でここまで快復することはまずないだろう。


「どうして、抵抗しなかったの?」

「志津香が喧嘩するなっていったんだろ?」

「そうだけど……普通、自分が殺されかけてまで守ること?」

「別に殺されかけてないからな。本当にやばかったら抵抗してたさ」

「気絶してたくせに」

「そうした方が早く終わるからな。志津香が戻って来る前に終わらせたかった……とはいえ気絶したふりだとあのシューエンって男は気づくからな」

「狙って気絶するとかどこのゴキブリよ」


 見るからに死にそうだったんだけれど。

 本人が大丈夫というからには大丈夫なんだろう。


「どうして……こんなことされなきゃいけないんだろ」

「?」

「私たち、何にもしてない。ただ真面目に生きてるだけなのに。あんな面白半分で、人生めちゃくちゃにされなきゃいけないの?」

「あはは……たしかに世の中、理不尽だよなあ」


 ふと、兄が含んだように言って笑った。

 明らかな空気感の違いに困惑する。


「でも生きるってそんなもんだ。悪意や理不尽は絶えないし、人間が生きるってのはそういうのと戦い続けるってことなんだ」

「なに……? あんなやつらを肯定するの?」


 私を、否定するの?


「違う。あいつらはあいつらで、いずれ淘汰(とうた)される。でもすぐに新しい悪意が生まれて、理不尽が襲ってくる。いちいち悲観していたら体力が持たない」

「だからって、平気な顔して生きていけっていうの? 達観して見て見ぬふり? そうやって生きるのが当たり前だって、異世界で学んできた?」


 嘲笑するように言ってやる。

 私は子供だと思う。


「ああ」

「もう! もうもうもうもうもうっ!」


 傍にあったタオルの山を取り、兄へと投げつける。

 兄はそれを避けもせず何枚も顔に食らっていた。


「なによ! わかりきったような態度とって! あんた一方的に殴られてるのよ!? 馬鹿にされて、傷つけられて、お母さんを人質にまでされて、それで何の感情もないわけ!?」

「母さんも志津香も、まだ傷ついてない」

「時間の問題よ! 今すぐなにか手を打たないと!」

「落ち着け。じゃあ俺にどうしてほしいんだよ?」

「それは……わかんない!」


 わからない。

 警察に頼ればいいのか、泣き寝入りすればいいのか、やり返せばいいのか。

 私は答えを持ち合わせていない。


「あんたもお母さんも、いっつもマイペースでのほほんってしてて、いっつも私だけイライラして、焦って……お願いだからもっとしっかりしてよ……なんで私だけ……」


 私を、子供でいさせてよ――声に出せない言葉を、胸の内で消化する。こんな弱音を吐きそうになった自分が怖い。

 このままでは、どんどんと弱音や愚痴が口からこぼれ出てきそうだ。

 私は理性を優先する。


「帰る」


 私はまた出そうになった涙を飲みこんで診療所を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ