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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
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理不尽

 久しぶりに出会った芽木(めぎ)よりも、その背後に目をやる。

 そこには先に入った兄と、その目の前に巨大な男が立っていた。それも先日マイホーパークで見た、たしか、シューエンとかいう台湾人だ。

 二人は一触即発の様相で睨みあっている。

 私は芽木に視線を戻した。


「ここで、なに、してるんですか?」

「なにって、志津香ちゃんに、い、や、が、ら、せ」

「――っ!」


 馬鹿に、して――。

 一瞬で自分の中に火がともるのがわかった。

 そこで、気付く。


「まさか、うちを警察に通報したのも……」

「さーて。何の話かな? ね、シューエン」


 芽木がとぼけた様子で後ろを見遣るが、シューエンは微動だにせず兄を睨んでいる。

 今にも襲いかからんという姿勢だ。


「ホントにシューエンは喧嘩が好きだなあ。もうちょっと待って。今志津香ちゃんと話しているから」

「なんで、こんな嫌がらせを?」

「この間、マイホーパークでの続きがしたくって」

「続き……?」


 ただの一方的な暴力だったのに?

 私たちが傷つけられたのに?

 それに何の続きがあるというのだろうか?


「俺、一度目を付けた奴は、とことん追い込まなきゃ気が済まないんだよね~」

「ふざけて……!」

「ふざけていないよ。これが俺の楽しみな――」


 ケラケラほくそ笑むその顔に、冷や水を浴びせてやった。

 傍にあった水の入ったコップを、思い切り。

 綺麗に整えた顔に水を浴びせられ、芽木は沈黙する。そしてしばし黙った後、


「シューエン」


 そう小さく呟いた。

 すると、微動だにしなかったシューエンが、傍にあったテーブルを思い切り蹴りつける。するとそれはまるでクッキーのように真っ二つに折れた。


「やめてくれ!」


 店長が悲痛な声色で叫ぶ。

 青白い顔で、その顔には年甲斐もなく涙目を浮かべている。


「なんなんだ君たちは! 志津香ちゃんの友達なのか!?」

「ち、違います店長!」


 あまりにも説得力の無い。

 店長が私を見る目は、芽木らを見るそれと変わらない。

 私は無法者で、怪物か。


「ぐあっ!」


 しかし、店長の顔にシューエンの長く太い腕が伸び、その顔を鷲掴みにする。

 そしてなんと、そのまま店長の身体が浮き上がる。


「やめて!」


 そのあと数秒間ジタバタとしていたが、次第に店長の動きが無くなり、すぐに動かなくなった。

 シューエンが手を離すと、店長の身体が床に落ち、その口からは泡が吹き出ていた。


「イイのか?」

「やっちゃって」


 芽木に確認すると、シューエンは兄に向き直った。

 そしてゆるりと兄に歩み寄り、素早く拳を縦に振るった――が、兄がそれをさっと身を引いて避ける。


「っ」


 一瞬、シューエンの顔が驚きが浮かび上がった。だが二振り、三振りと、続けざまに拳を存分に振るう。兄はそれをぎりぎりのところで避けつつ、落ちていた椅子をシューエンに向かって足で蹴りつけた。

 シューエンは一瞬その椅子につまづいてよろけたが、態勢を持ち直し、その椅子を足で破壊する。

 それはもはやモンスターだ。

 行く手を阻む障害を、力づくで破壊し進み続ける。

 そこらのやんちゃな人間、では済まされない。

 この男は、そんなちんけな枠に収まりきらない。


「オマエ、やっぱり前は本気を出シテなかったな?」


 ほとんど訛りのない日本語で、シューエンが兄に問う。


「出せなかったって言った方が正しいかな」

「……」

「シューエン、だったっけ。その殺気、悪くないよ。あっちの世界だったら、傭兵で重宝されただろうな」

「どウシて闘わなイ?」

「志津香と約束したからな。こっちでは暴力は振るわないって」


 その後、彼らの間に交わされる無言のやりとりを、私は理解することができない。

 強者の二人にしか通じないなにかで通じ合っているのだろう。

 すると、シューエンが先ほどとは比べ物にならない勢いで踏み込んだ――腕だけではなく全身をひねり拳を打ちつける。しかし兄はまるでふわふわと宙を舞う綿のようにその拳を避け続け当たらない。シューエンが振り回す拳は、椅子を、机を、そして壁をも破壊していく。

 それはまるで、重機のようで。

 それに捕まれば一貫の終わりなのに、しかし兄がそれに捕まるようには思えなかった。不思議と、当たる気がしない。


「せっかく良いパワーを持ってるのに、勿体ないな。こっちだとそれで十分に勝てるからだろうけど、俊敏さが足りない」

「オマエ……!!」


 以前とは逆に、余裕綽々(しゃくしゃく)の兄に対しシューエンの顔色が芳しくない。

 シューエン自身も困惑しているのだろう。


「314」


 その時、芽木が不意にそう言った。

 するとその瞬間、軽快に動いていた兄の動きが止まり、当たるはずの無い拳が、兄の脇腹を力強く打った。兄の身体は呆気なく吹き飛び、壁にぶつかって止まる。

 声にならない悲鳴が上がる。

 片膝をつく兄は口から小さく血を出していた。


「ちょっと、どうしたの……?」

「314。聞いたことない?」

「314?」


 何の数字だ。

 芽木の言いたいとすることがわからな――あ。


「お母さんの……病室の番号……!」

「そ。気持ちよさそーに眠ってたなー」

「嘘……だめよ、お母さんに手を出さないで!!」

「おー怖い怖い。可愛いのに。まだ何もしてないよ。まだ、ね」


 相変わらずの顔でほくそ笑む。

 憎たらしいのに、絵になるように綺麗だと思ってしまうのが腹立たしい。


「どうして……私たち何か悪いことした? 貴方たちに迷惑をかけた?」

「いーや。なーんにも」

「そんなの、理不尽じゃない!」

「志津香ちゃんさ。世の中、理不尽なんだよ?」


 答えに、なっていない!


「警察に通報するわ!」

「いいけどーできるの? 今丁度警察から逃げてきたのに」

「それは……」

「志津香、大丈夫」


 葛藤する私の思考に、兄の言葉が割って入ってくる。


「俺は大丈夫だから。母さんを見に行ってくれるか?」


 そう言い切るや否や、兄の顔をシューエンの足が蹴りあげる。

 まるで丸太のような脚に蹴り上げられた兄の体は、郷田さんと同じく床に転がった。


「だってさ。お兄さんのことは放っておいて、早くお母さんの様子見に行った方がいいんじゃない? もしかしたら、点滴に余計なものが入ってるかも?」


 全身が総毛立った。


「志津香、早く!」


 兄が叫ぶ。

 さすがの私でも、このまま兄を放っていくことはためらわれたが、しかしお母さんを放っておくわけにはいかない。私はそのまま踵を返して店を飛び出した。


          〇


 店から病院は遠くない。

 5分ほど走ったところにある市立病院に入る。面会時間は終わっているが、無理矢理母の入院する3階へと上がっていって、扉を開け放った。


「はァ……はァ……」


 母はそこで静かに眠っていた。

 近づいてみるけれど、きちんと呼吸もしていて、ただ眠っているだけのように見える。

 ただ素人の私には本当にそれが正しい理解なのかはわからない。


「面会時間は終了してますよ?」


 私を追って入ってきた看護師が言う。


「お母さん、その、大丈夫ですか?」

「?」


 私の言いたいことがわからなかったのか、看護師は一瞬はてなを浮かべたが、すぐに母に近づいて調べてくれた。


「問題ありませんよ。もしかして悪夢でも見ましたか?」

「……いえ」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 どうやら芽木のあれはただの脅しだったようだ――なんて落ち着いている場合じゃない。

 それであれば心配すべきはただ一つ。


          〇


 再び5分走り、『二軒目』に戻ってくる。

 当然先ほどと変わらない様子で、店の外には割れたガラス片が飛び散っている。

 先程開け放ったままの裏口から中に入る。

 目に入ってきたのは、ひとつ。

 芽木もシューエンも店長も誰もいなくなった店の真ん中に転がる、兄の姿。


「ちょっと……」


 遠くから見てもわかった。

 兄が全身に受けた暴力の数々が、尋常ではないことを。

 それはまるで血ダルマと言ってもいい程に赤く染まっていて。

 無残な姿と、そう称していい程だった。


「ちょっと」


 近づいて、動かない兄の身体をゆする。


「嘘……嘘よ……」


 動かない。

 兄の身体は一切反応しない。

 触れた指に、血だけが付いて返ってくる。

 しかしよく見ると、兄の胸の辺りが小さく上下していることに気付いた。

 生きてはいる。

 良かった。


「出てってくれ」


 不意の声に振り向くと、そこには店長が立ってこちらを見ていた。

 まるで幽霊のように佇む姿は、私がよく知る明るい店長とは全く違う。

 肩には郷田さんを抱えている。


「店長、私……」

「出てってくれ!!」


 叫ばれると言葉が詰まる。

 何より、店長のその目が、私の声を出なくさせる。

 父のように温かかったその表情は、もうどこにも見られない。


「聞いて、ください……私は……」

「こんなめちゃくちゃにされて、暴力沙汰まで起こされたら、うちはもうおしまいだよ。泣きっ面に蜂ってやつ。修繕費すら払えない」


 店の経営が芳しくなかったのは聞いている。

 だから私のシフトも減らされている。

 しかし、ここは私が働ける唯一の場所で、第二の家で。


「け、警察を……!」

「呼んで犯人捕まえて、それであんな子どもたちに何百万ってお金が払えると思うか? 何年待てばいい? それまでこの店はどうやって切り盛りしていく?」

「でも……そうだ、店長、私手伝いますから! バイト代なくても、お店立て直すの手伝いますから!」


 だから、私を見捨てないでください。

 私をこの家においてください。


「出てってくれ」


 変わらない店長のその冷たい言葉に、もはやなんの抵抗も意味がないことなのだと思い知らされる。

 取りつく島もない。

 それでも、店長の怒りはまっとうだと思う。私が、この悪意を呼び寄せたのは事実なのだから。

 絶望に打ちひしがれる暇もなく、私は動かない兄の身体を持ち上げる。

 重い。しかしそんな泣き言は言ってられない。兄を引きずるように店の玄関へと向かう。

 そして、もう二度と敷居をまたぐことは許されないであろう『二軒目』を、私は振り返ることなくあとにした。

 

 私は、たった今ひとつの家族を失った。


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