語られる真実
「目を開けると、そこは荒野のど真ん中だった。煌びやかな花や街なんかなくて、可愛いヒロインやラッキースケベなんてなくて、ただっぴろい茶色の荒野が延々と広がっていた。初めは異世界だなんてはしゃいでたんだけど、どんどん現実を思い知らされた。
生きる厳しさを。
水一滴見つけるのに一日使った。
草一本見つけるのに一週間使った。
眠れる場所を見つけるのに一ヶ月使った。
そうやって生きるためだけに脳のすべてを使っていたら、不意に目の前に巨大な山が立ちはだかった。火を吐き続けるその山に、それでも俺は新しい何かに興奮して、ありもしない希望にすがりつくように山の中へと入った。
そこで出会ったんだ。
白い竜と。
洞窟の最奥で、それはフォトンの檻に囚われていた。
明らかな人工物に興奮した。でもすぐにそのドラゴンが動かないことに気が付いた。
そう、すでに死んでいたんだ。
大きな鎖に繋がれて。
でもその懐から、白くて小さなドラゴンが顔を出した。
死んだドラゴンには子供がいたんだ。
怯えるように俺を見るドラゴンに近づいて行って、ドラゴンを囲っていた檻の支柱を倒して助けた。
俺はそいつにシンディという名前を付けた。
当時大好きだったアニメのヒロインと同じ名前だよ。
シンディとは言葉が通じないから意思疎通は難しかったけど、でも俺にとっては生き延びるための唯一の希望だったから、必死に意思疎通を図った。
何度も殺されかけたけどね。
でも紆余曲折を経て、背中に乗せてもらえるくらいになったんだ。
空を飛んだのはその時がはじめてだった。
シンディに乗って近くの街に行ったら、邪竜を解放した大罪人として蔑まれ、国を滅ぼす稀人だと命を狙われた。
白い竜は災厄を呼ぶ存在で、数百年前にかつての大魔導師が命をかけて封印をしたらしい。そのために何万という人たちが死に、世界が一丸となってやっと封印できたそうだ。
どうして俺にその封印が解けたかって? 異世界はすべてフォトンという元素で成り立っていたんだ。でもその摂理に当てはまらない存在だった俺は、あらゆるフォトンを退ける力を持っていたんだ。
ゲームの中に、リアルな人間が飛び込んだみたいな感じ。プログラムされていないこともできちゃうから、制限を受けないというか、その世界の摂理に従う必要がなかった。
フォトンによる魔術マギアで文明を築いていたその異世界――アインヴェルトでは、フォトンが通じない存在というのはとてつもなく脅威だったらしい。
なんだかんだでそうやって危機を脱しつつ、戦い方を覚えながら必死にシンディと生きていたら、気が付いたら聖竜騎士セカンドエレメント――そんな字がつけられてた。
俺はシンディと一緒に七つに割れた大陸を縦横無尽に旅をした。
囚われのお姫様を救った。
いがみ合う姉妹の戦争を止めた。
人間を支配し奴隷にする巨人族を倒した。
太古から生きる魔導師の集団を壊滅させ世界の転覆を防いだ。
ドラゴンの大群を導いて人間と和解させた。
雨が降らない土地に雨を取り戻した。
大陸を支配する宗教団体の支配から人々を解き放った。
そうやって無我夢中で進んでいたら、7年の月日が経っていた。
たくさんの仲間と、たくさんの敵がいて。
たくさんの思い出ができていた。
生きてるな、ってそう感じれた。
でもすべてを終えた時、まるでゲームのエンディングを迎えるかのように、その時は来た。
フォトンを持たない俺の身体が、フォトンで成り立っている世界に拒絶され始めたんだ。いや、今思うと初めから俺の消滅は始まっていたんだと思う。
別のゲームから来た存在に、そこに存在する権利はない。
異物であった俺は次第にあちらでの存在権を失い、だんだんと自分が世界から押し出されていることを自覚した。
平和になった世界。
心を通わせた仲間。
愛した人たち。
永遠の平穏を期待していた俺には、あまりにも唐突で受け入れがたい事実だった。
でもそれが、世界の選択だったんだ。
俺はこの世界で暮らすために異世界に連れてこられたんじゃない。この世界を救うために連れてこられたんだ。
そして役目を終えた今、俺はいるべき場所に戻る。
それが摂理。
だから皆にお別れをして――。
そして――。
俺はここに――。
この地球に戻ってきた――。
〇
長く語り終えた兄は、異世界から戻って来るかのように、ゆっくりと目を開いた。
「そんで戻ってきたら、車に追い回される志津香を見つけたんだ」
少し笑いながら言う兄の顔を、見つめる。
正直つっこみたいところはたくさんあったけれど。
しかしそう話す兄の顔からはそれが冗談だとはうかがえない。
茶化すことを、はばかられる。
「じゃああなたは、異世界を救ってきたってこと?」
「まあそうなるかな。救いたかったわけじゃなくて、結果的にそうなってただけだけどな」
「そう」
今の話をどこまで信じていいのかわからず、かといって以前のように馬鹿にすることもできず、二の句が継げない。
「本当なの?」と聞いたところで、どれだけの意味があるだろうか。
異世界を証明するなんて、悪魔の証明みたいなもので。
「そのおっきい剣も、あっちの世界のものなの?」
「ん? ああそうだ。聖黒竜剣セインツブラック。太古の昔から世界を恐怖に陥れていた邪竜の根源、黒い竜の遺骸から作ったんだ」
言われて見ると、その剣は鈍く光り輝いていて、少し黒みがかった鋼の色をしている。
「調べたら、きっとこの世界にはない物質でできてると思う」
「その剣は消えないの?」
「わからない。もしかしたら俺と一緒で、少しずつ消えていっているのかもしれない」
兄はそう言いながら、愛おしそうにその剣を撫でる。
「あ、だからマイホーパークでドラゴンについて饒舌に語ってたのね」
「そうそう。テーマパークだけど、ちょっとあっちの世界に帰ったみたいで楽しくなっちゃって」
「フリーフォールに興奮してたのも」
「シンディに乗ってた時を思い出しちゃって」
「なんか全部つながった」
馬鹿馬鹿しいことを適当に言っていたようで、一貫性はあったらしい。
「じゃあこの間探してたペンダントって……」
「ああ。あれも向こうのものだったんだ。ある人からもらったもので、大事なものだったんだけどな……」
「見つからないの?」
兄は黙って首を横に振るう。
ある人がどういった人なのかは、容易に予想がつく。
「多分、ペンダントも消えたんだと思う。小さいものだったから、こっちの世界から消えて向こうに戻ったんだ。世界は、異物を拒絶する」
「じゃあこの間、フォトンを感じたって、学校に来てたのは?」
「それも俺の勘違い。帰ってきたばかりで感覚が狂ってたんだ。俺の身体やセインツブラックとかについたフォトンに反応してたんだろうな。それに、どこかであっちの世界に帰る方法を求めてたんだと思う」
でも、それはもうありえない。
「このまま向こうの世界に囚われていたら、ダメだって思った。俺はもう役目を終えて、この世界に戻されたんだ。あちらの世界に行くことは二度とないだろう。志津香の言う通り、こっちでまっとうに生きていく術を得なければいけない。そのために、セインツブラックもペンダントも全部タンスにしまって前を向こうと誓った」
だから押入れの奥にしまっていたわけか。
見えないように。未練を思い起こさないように。
それは兄なりの前進だったのだろう。
「でも、7年間死と隣り合わせで過ごしてきた生活を変えるのはなかなか難しくてさ。何もない森の中で暮らしてると、少しだけ向こうにいた時と同じ気持ちになれて落ち着くんだ」
「それで家を出たの?」
「それは……これ以上家族に迷惑はかけられないって思ったから。一人で生きていくことはできるから、少し距離を置いて暮らすのもありかなって。俺の歳だったら一人暮らしをしててもおかしくないだろ?」
「大学生か社会人ならね。野生に帰るためってのは普通じゃない」
「あはは。志津香はいつも厳しいな」
「そうならないと生きていけなかったのよ」
兄は焼き魚を食べ終えたあとの木の棒を折り、たき火の中へと放り込んだ。
たき火は先ほどから勢いを一切衰えさせず轟々と燃えている。こんなのは小学生の修学旅行のキャンプファイヤー以来だ。
私は勢いをつけて立ち上がった。
「ほら、帰るわよ」
「え?」
「え、じゃないわよ。こんなところで野宿生活なんて、この世界で許されると思ってるの? すぐに噂になって警察が来ちゃうわよ」
「大丈夫。絶対ばれないから」
「ばれるばれないじゃないの。ここは他人の土地で、勝手に住むことは許されないの。この洞窟も、その枝も、靴の裏に挟まった小石も、誰かのもの。日本国憲法の庇護の下に生きる一人の国民として、少なくとも身内の不正は見過ごせない」
兄は私をぽかんと見上げる。
まるでツンデレヒロインになったような気分だ。
そんな可愛らしいものではないけれど。
「俺が戻っても、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない。少なくとも今の厨二病無職ニートのままじゃね」
「ニート……」
「でも変わろうとしてるんでしょ。その殊勝な態度には一定の評価はしてあげる。それに、あなたがいなくなったらお母さんが悲しむ」
「……」
「お母さんに、二回も息子を失う悲しさを味わってほしくない」
「……そう、だな」
ふと笑い、兄はすくりと立ち上がった。そして片足でたき火の火を踏み消す。
熱くはないのだろうか。
「帰ろう。家に」
「そ、の、か、わ、り!」
立ち上がった兄の顔に、人差し指を押し付ける。
「な、なに?」
「暴力は絶対禁止。これは約束して」
「……でも、時には戦って守らなきゃいけないだろ?」
「だとしても! あなたがこの世界で生きていくことを望むなら、この世界のルールに従わなきゃいけない。そしてこの世界では、暴力は許されてない」
念入りに、子供を躾けるように兄の目を捉える。
「もう二度と、お母さんを悲しませないで」
トドメのようにそう言うと、兄はそれ以上何も反論はしてこなかった。




