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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
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ベタ

 案の定バイトが早く終わった後、私は家に向かわずある幹線道路沿いを走っていた。

 なんとなく自転車で走りだしたかった、なんて青春してるわけじゃない。この幹線道路を進んでいくと、その先には以前愛ちゃんと訪れたプリン屋さんがある。

 とはいえ今の時間は既に夜もふけっているので、プリン屋さんが開いてるわけがない。しかもこの時間に食べたら太る。

 私が用事があるのはその道中にある、何気ない森林だ。


「ここ……だったかな?」


 自転車を停める。

 確か以前、ここの柵を越えて林に入ったのだ。愛ちゃんと私が巨大な猪に襲われ、それを兄に助けられた、あの場所だ。

 暗い。

 以前はまだ夕暮れ時だったから足元が見えたが、今はまったく見えない。確かすぐに急な坂があったから気を付けなければならない。

 黒くなった木々に手を掛けながら、着実に道を進む。こんな地元の森林で行方不明になどなりたくはない。


「いたっ」


 次の木の移ろうと幹に触れた瞬間、指先に鋭い痛みが走る。

 なにか尖ったものに触れたのだろう。血がじわりと指先に広がった。


「もうっ。どこなのよ……!」


 しばらく進むと、ほぼ90度近くせりあがる斜面が目に入った。そしてそこに、黒い穴が開いている。

 近づいて行くと、そこは洞穴となっているようだ。

 おそるおそる中を覗き込む。中はそこまで深くないようだ。しかし洞穴の中はよりいっそう暗く、月明かりすら入り込まないためまったく何も見えない。


「おーい」

  

 小さく声を掛ける。

 声が反響するだけで、返事は戻って来ない。


「おーい!」


 より強く反響するだけで、やはり返事は戻って来ない。


「違うか……」


 と、諦めて後ろを振り返った時だった。


「っ!?」


 びっくりしすぎると人は声が出ないらしい。心臓が止まるかと思った。

 そこには全身黒づくめの人間が立っていて、その顔も半分は黒い布で覆われていた。


「って……」

「こんなところに何しに来たんだ、志津香」


          〇


 パチパチと、目の前で火が木々を焼く音が洞穴内に響き渡る。


「この辺の木は湿っててあまり(たきぎ)に向いてないんだ。近いうちに少し場所を南に移さないと」


 言いながら兄は私の隣へと座る。ソファもテーブルもない、洞穴内の地面に。


「お、美味そうだ。志津香も食うか?」


 たき火の上で焼かれていた魚を取り、兄は嬉しそうに私を見遣る。

 私は返事もせずに、嫌悪感ある顔で首を横に振った。

 そばの溜池ででも獲ったのだろうか。


「こんなところで、野外生活してたの?」

「ん……ああ。よく分かったな、ここが」

「あなたが行きそうなところがここしか思いつかなかっただけ。ここにいなかったら警察に届け出るつもりだった」

「そんなんじゃあ俺は見つからないぞ」

「私にすぐ見つかってなに偉そうに」

「見つかってやったんだ。志津香ってのがわかったからな。匂いで」

「匂いで?!」


 スンスンと自分の制服を匂う。

 バイト終わりとはいえ、消臭スプレーで徹底しているから臭くはないはず。


「それで、どうして家出てったの?」

「まぁ、俺はこっちの方が性に合っててさ」

「あっちの世界でもこんな生活してた?」


 私がそう口にすると、兄は少し驚いたように私を見た。


「ああ」

「……なに、してたの? その、向こうの世界で」

「どうしたんだ。そんな話、興味ないんだろ?」

「興味はない。でも」

「でも?」

「知っておかなきゃいけないとは思う。聞いてから、非難する」

「結局非難はするのか」


 魚にかぶりつき、兄は小さく笑う。


「7年前、俺は友達にからかわれたことが原因で、家に籠もるようになった」


 知ってる。そんなところは飛ばせ。

 そう出かかったけど、今日はそんな自分を律する。


「ずーっと部屋の中でゲームして、アニメ見て、ネットして、まあ、それで充分だと思ってた。いずれきっとどうにかなるって思ってた」


 愛ちゃんの予想は遠からず当たっていたらしい。

 なんてくだらないことを思いだす。


「でもある日さ、ネットで知り合った女の子が、学校での楽しそうな思い出を話すのを聞いてられなくて切れちゃったことがあったんだ」

「なにそれ、さいてー」

「だな。でも当時の俺は被害妄想に支配されてて、当たり前を生きる人たちが憎くてしょうがなかったんだ。でもそれは間違いなく、嫉妬(しっと)の裏返しだった」

「うん」

「で、俺が取った行動が180度反対で、だったら外に出てやろうじゃんかって思い至って、窓から伝って家の外に出たんだ」

「あーだから」


 そう言われると、兄が失踪した時の状況に説明がつく。


「そんで自転車に乗って、とりあえず遠くに走り出した」

「どこに行ったの?」

「覚えてるか。昔家族で何回も行った生熊(いぐま)山の上の公園」

「……あー、そんなとこあったね」


 言われて思い出した。

 生熊山の頂上には、公園という名の小さな遊園地がある。本当に小さな遊園地で、アトラクションも小学生まで向けといった感じの。


「大人になるとそんなに遠くないんだけどな。当時の俺からしたら大旅行だ」

「自転車だったら相当かかるわね。3時間くらい?」

「志津香大好きだったろ?」

「小さい頃はね。行きたいって何回も泣きわめいてた……またなんでそんなところに?」

「多分、家族の想い出の場所だから、きっと親が見つけに来てくれるって思ってたんだと思う。つまり、俺は家族の同情を買うために家出したんだよ。俺はこんなに悩んでるんだぞーって」

「なにそれめんどくさ」


 そんなことのために私たちの家族は崩壊したのか。

 怒りよりも呆れる。


「我ながらそう思うよ。でもあの時の俺は本気だった。世界が俺を見てると思ってた。そんで自転車こいで山のぼって、でも途中で諦めた」

「なにそれ」

「諦めが早かったんだ。夜風に長時間あたって汗かいたら冷静になって、そんなしんどい思いしてまで遠くに行く必要あるかって」

「逃避行すら妥協するのね」

「あははは。まあとにかく、そうやって生熊山の途中で諦めたのはいいんだけど、夜だったから引き返すのも億劫でどうしようかって迷ってた。で、車でも通らないかなって思って待ってたらようやく来て、ヒッチハイクでもしてみようかと車道に出たら、そのトラックに()かれた」

「え」

「そんで気付いたらあっちの世界にいたんだ」

「え、ベタ」

「そうか?」

「びっくりした。テンプレもテンプレじゃない。そこまでの説明必要あった? 漫画だと編集に切られるところよ?」

「そうか……ベタなのか……」

「そもそもなんで轢かれるのよ」

「黒い服着てたから……夜だったし」

「やっぱ馬鹿じゃない」


 そう言われるとあの時から兄は黒い服を好んで着ていた。

 闇の王だとか、ブラックナイトだとか、そんなことを剣を振り回しながら言っていたことを思い出す。

 闇の王が闇に溶け込みすぎて轢かれた。

 なんか落語でありそうな話だ。


「まあ導入はいいわ。それで、その、あっちの世界に行ったのね」

「ああ」


 兄は懐かしい思い出を思い起こすように、静かに目を閉じた。


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