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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
36/85

日給2万円

 北田くんの後ろをついていくと、竹井山でも一際大きなビルの入り口にたどり着いた。これは近くを通る時に、必ず目に入るほど、この街のシンボルとなっている。


「ちわーっす」


 入口に立つ警備員に、北田くんは慣れたような挨拶で通り過ぎる。

 大人の男性相手にいささか軽い挨拶には思えたが、そう言われれば私も警備員さんに丁寧に挨拶することはないかもしれないと気づく。今度からは気を付けよう。


「このビル? 北田くんのバイト先って」

「そう。このビルの最上階に事務所があるんだ」


 そう言われて傍にあった各階の案内掲示板を見遣る。

 CMでもよく目にするような大企業のロゴが並ぶ中、


――『カレカノ』


 そんな見慣れないシンプルなロゴが、10階から最上階の15階までを支配して一際目立っている。


「かれかの?」


 なんとなくその名前に嫌な予感を覚える。

 とはいえ、ここまで来て詳細を聞いて帰るとは言いづらい。

 鼻歌を唄う北田くんの背中に声を掛けるかどうか迷っていると、エレベーターは最上階へとついた。


「おはようございます!」


 北田くんが、野球部顔負けの大声で挨拶してフロアへと入っていく。

 すると、複数人の声が重なって返事が戻ってきた。

 ガラス張りの向こうでは、大量の電話のコール音が鳴り響き、大勢の電話対応スタッフが机を並べて電話応対を行っていた。

 テレアポとか、コールセンタースタッフとか、そういうのだろうか。


「こっちこっち」


 言われて北田くんの後をついていく。コールセンターらしきを横目に右に曲がり、廊下を進む。その先の扉を開けると、中から華やかな香りが私を包み込んだ。

 扉の向こうには、複数人の男性が待機していて、そのすべてがイケメンと言っていい部類の男性たちばかりだった。爽やかイケメンから中性的なイケメン。そして筋骨隆々なイケメンや、髭面の渋めのイケメン。様々なジャンルの男性たちがそこに集っていて、世の女性がここに来れば必ず一人は好みを見つけられそうだった。


「北田くん、ここって……」


 おそるおそる声を掛ける。

 北田くんはまるで安心しなよと言いたげにニコリと笑う。


「ここが俺のバイト先」

「えーっと、もしかして……」

「まー、いわゆる、レンタル彼氏?」


 言ってから北田くんは恥ずかしそうに頬を掻く。

 まじか。

 まじかまじかまじか。

 なんとなくその存在はネット広告とかで知っていたけど、なんとまあ。こんな身近にその存在があったとは。


「もしかして、引いた?」

「え、ううん! ただ、そういうのってほら、やましいことをするイメージが……」

「全然全然! ほんとそういうことしないから! めっちゃ健全なバイトなんだって!」


 できるだけ平静を保っても、顔に怪しみがにじみ出ていたのだろう。北田くんは焦ったように弁明を繰り返す。


「ほらー。だからあんまり言いたくなかったんだよな……」

「ごめん」

「ううん。しゃーない。そういう偏見は覚悟の上だから。でも、それでも働き甲斐のあるところだから、嶺にも紹介してやりたかったんだ」


 言われて見渡す。

 確かに小汚いビルの一室に事務所を構えている印象だったけれど、ここはとても綺麗で清潔感もあり、働いている人たちの顔からもやましさは垣間見えない。

 むしろ華々しく、現代のハーレムのような。

 いや、かつてのハーレムを見たことはないのだけど。


「ただ説明するだけだと、偏見で断られてたと思うから言わなかったんだ。でもこうやって実際に見てもらえたら印象も変わるかなって思って」

「まあ、たしかに」

「だろ? ここで働いてる人たちもみんな良い人ばっかりで、ほんと楽しいんだ」

「あのこないだの先輩も?」

「あー芽木(めぎ)さん」


 と北田くんが視線を壁にやると、そこには大きな顔写真が5枚程張り付けてあり、その右上に1から5の数字がふってあった。

 そしてその1番の写真は、忘れようにも忘れられない、あの芽木という男だった。


「芽木さんはうちのナンバーワンなんだ。仕事も半年先まで埋まってて」

「そうなの……」

「月100万は稼いでるらしい」

「ひゃっ……」


 間抜けにも開いた口が塞がらない。

 月100万って、私のバイト代が月平均6万として、えーっと、わからない。単純な計算なのに頭がワニワニパニックで計算もできない。

 どうりで高そうな服ばかり着ていたわけだ。周囲を見渡しその姿を探す。


「安心して。芽木さんは完全指名制だから、事務所には寄らずに直接スマホで仕事を受けてるんだ。だからここには来ない。いたら嶺を連れてこないよ」

「そうだったんだ。ありがとう」

「それに、この仕事ってバイト仲間同士の交流って必要なくてさ、完全に個人で動けるから(わずら)わしい人間関係とか無くて楽なんだ。だから芽木さんに怯える必要もない」

「あ、それは嬉しいかも」

「だろ? それにこういうバイトしてるから、大半の人はわけありでさ。なんか、俺だけじゃないんだって少し安心する」


 部屋を案内しながら説明してくれる北田くんの横顔を見る。

 彼はふと、学校では見せない微笑をたたえていた。

 それは同年代の男子たちとは違う、どこか大人びた。


「でも、ここ男性ばっかりじゃ……?」

「あ、うん。この階は男子のフロアなんだ、下の4階分は女子の待機フロアになってる」

「4倍も!?」

「うん。やっぱこういうのって女性の方が需要があるみたいでさ。でも俺のパスだと女性のフロアに入れなくて。男子と女子で関係を持たないように、完全に分断されてるんだ。乗るエレベータも違ったり」


 たしかに。

 イケメンと美女が顔を合わせれば、その行きつく先は明白だ。


「結局何をするところなのかしら?」

「想像通り、注文を受けたら出勤して、顧客と指定された時間一緒にデートするだけ」

「注文……」

「あ、ごめん。俺たちは商品だから、ついそういう感覚に慣れちゃって……」

「指名とは違うの?」

「指名ってのはこの人がいい、っていう注文になるから、それはまた別。芽木さんとかのクラスになれば指名が当たり前だけど、普通のメンバーはフリーで注文されて相手の好みに合わせて派遣される」

「北田くんは?」

「それが、最近ちょっとずつ指名されるようになってきたんだ! まだまだ弱い顧客ばっかだけど、これからどんどん指名を増やしてナンバーワンになるのが夢なんだ!」


 力強く語る北田くんに、少し生きている世界の違いを見せつけられる。

 成績とか恋とか、そんなものをすっ飛ばして、彼は大人の世界を歩んでいるんだと。


「それで……いくらぐらいもらえるんだろ? その、普通のメンバーで」

「普通だと、日給で2万円くらいかな」

「にっ……ほんとに?」

「ほんとほんと。もちろんシフト次第で変わるけど。指名されるとプラスで少し上がる感じかな。そんでこの仕事の一番おいしいところなんだけど」


 北田くんがその顔を近づけて、私の耳にだけ聞こえるように話す。


「いわゆるお小遣いってのももらえるんだ」

「お小遣い?」

「そう。一緒にデートした顧客から、ご飯とかもおごってもらうんだけど、それとは別にお小遣いもらったりすることもあるんだよ。実際これは会社には内緒なんだけどな。だから芽木さんなんかも給料とは別にお小遣いだけで数千万貰ってるとかもらってないとか」

「えぇ……」


 さすがに額が跳ね上がりすぎてついていけない。

 数千万というワードは私には刺激が強すぎて驚くことすらできやしない。


「この間、顧客に買ってもらった車も乗せてもらったし」

「うっそ……なんかそれって……」


 ホストクラブじゃん。

 それが喉元まで出かかって、飲み込む。

 実際そうなのだろうけど、でもその本拠地である種彼らをけなすようなことは言うべきではないのも分かってる。失礼だ。


「まあうちの説明はこんな感じ。何か質問とかある?」

「これって、本当に健全なのよね?」

「それは絶対! こういう仕事をやっかみで知りもせず悪い噂する人もいるけどさ、ここで1年働いた俺が断言するよ。絶対健全。それに、やればやるほど給料に反映されるのってすっげーやりがいがあるんだぜ? 昔やってた新聞配達なんて、どんだけ頑張っても時給800円だったもん」


 そう言われると、少し心が揺らぐ。

 給料の高い安いは別として、確かにどれだけ頑張っても、忙しかろうが忙しくなかろうが時給が変わらないということに違和感を覚えていた。雇われる身で偉そうだけど。


「まあいきなりは決められないだろうから、またいつでも声掛けてよ」

「うん」


 それだけ話して、私たちはフロアを後にした。

 エレベーターを降りる間、北田くんは楽しそうに仕事の話しをしてくれる。

 彼は本当にここにやりがいを覚えて、本気で向かっているのだろう。

 そんな彼の仕事を、どこかやましいことのように考えてしまう自分が酷く情けない。


「ホントは嶺を紹介したくなかったんだけどなー」

「そうなんだ? どうして?」

「だって、嶺ならめっちゃ指名入るもん。命かけてもいい」

「そんなことないよ。私、話しべただし」

「絶対そんなことない! だって嶺めっちゃ可愛いじゃん!」

「え」


 エレベーター内で、北田くんの喋りがとまる。

 そしてボンッ、と北田くんの顔が赤く爆発するのが後ろからでもわかった。

 すぐにチンと電子レンジのように音がしてエレベーターの扉が開く。


「い、行こっか?」

「う、うん」


 顔を真っ赤にして横を歩く北田くんに、何故か私の顔も赤くなる。

 なんだこれは。

 なんなのだこの気持ちは。

 自分が自分じゃないみたいで気持ち悪い。


「今日は来てくれてありがとうな」


 駅前まで来たところで、北田くんがそう言って距離をとる。


「うん。こっちこそ楽しかった。フレンチも、ありがと」

「あ、あれは忘れて……なんか巧くリードできなくて」

「ああいうバイトしてても慣れないものなのね」

「俺ってどっちかってとペットみたいな扱いでリードしたい顧客に需要あるから」

「なにそれ。……でも、北田くんってすごいね」

「え、そうか?」

「うん。すごい。立派。私なんかより、ずっと大人してる。見習わなくちゃ」

「そう言われると、なんかすっげー恥ずかしい」


 妙な沈黙が走る。

 なんだ。

 なんなのだこの空気は。

 私にはわからない。わかりたくない。


「嶺のお兄さんのことだけどさ」

「え? 急にどうしたの?」

「いや、家出てったって聞いたから」

「あー。そうなの。やっとね」

「うん。他人の家のことだから口を出すべきじゃないのはわかってるけど、俺の経験上、ちゃんと面と向かって話してみてもいいんじゃないかなって思う」

「それは、どういう……」

「お兄さんがどういう経験をして、何を考えて、どうしていきたいのか、それをちゃんと聞いて、それから判断してあげるといいかもってこと。とりあえず嫌いだからって条件反射で突き放すと、後悔することもあるから」

「……それは、仕事の経験上?」

「それもあるけど、うちも複雑な家庭だから。おとんとおかんがいがみ合ってるの見て、めちゃくちゃ苦しくてさ。ちゃんと話し合えたら、変わるのになーって」


 言って、彼はまた微笑する。

 それがどうしようもなく悲しく、そしてどうしようもなく愛おしかった。


「そう、だね」

「って偉そうなことは終了! じゃあ今日はありがとう! 俺今からシフト入ってるから! じゃあ!」


 恥ずかしさを誤魔化すように、走って去っていく北田くん。

 その背中に小さく手を振り返した。


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