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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
35/85

はじめての

 未だ母の問題の記憶が色濃く残る駅前に、正午、私はたどり着いた。

 以前見たときとは違い、休日の昼間ということもあって人は多い。若い人たちも多いみたいで、私は待ち合わせている北田くんがどこにいるか必死に視線を配る。


「お、オッス!」


 まるでどこかの小学生のような言葉で話しかけてきたのは、案の定北田くんだった。

 どこか視線がおぼつかず、以前と同じように革のジャケットを着ている。


「悪い、待った?」

「ちょーベタなやりとり」

「マジでな」


 そういって硬い顔を破顔させてくれる。

 まるで女の子みたいで可愛い。


「み、嶺……あっと、今日の服可愛いな!」

「え。そうかな?」


 言われて見下ろすが、特におしゃれしてきた覚えはない。ただのボーダーのシャツに、ロングスカートだ。


「ありがとう。北田くんも……似合ってる」


 ていうかよく見たら遊園地にの時とまったく同じ格好だ。

 寸分の狂いもない。


「マジ? ありがと。すっげー嬉しい」

「それで、バイト先はここから近いの?」

「えーっと、うん。近いんだけど……」

「だけど?」

「13時からなんだ」

「そうなの? あと1時間もある」

「も、もしよかったらさ、昼飯でも食わない? おごるからさ!」

「そんな、悪いわよ」

「いーのいーの! 実はもう予約しててさ、こっち!」


 まるで北田くんが準備した筋書きの上を歩かされている気分だ。

 導かれるままに駅から離れるように歩いていく。


「嶺はさ、フレンチって好き?」

「ふ、ふれ……? 料理の、フレンチ?」

「そ」

「好きかどうかというより、ちゃんとしたもの食べたことないかも」

「マジ? よかった!」


 よかった、のか?

 その返答はいささかおかしくはないだろうか。初めてなんだから、口に合わない可能性もあるのに。それとも一口に美味しいと思えるのだろうか。本物のフレンチとは。

 でもなんというか、北田くんはまるでNPCのように返す返答を決めているかのようだ。

 まあ本日は招待される立場なので、ここはおとなしく従っておこうと思う。


「ここ、ここ!」

「え……」


 2,3分ほど歩いてたどり着いたのは、綺麗にフランスの国旗が店頭に掲げられている、立派な門構えのお店だった。

 多分、行こうと思ったことがないどころか、住む世界が違い過ぎて視界にすら入ってこないレベルの高級感だ。

 ていうか、メニューが外にない!

 もう一度言わせて。

 メニューが外に載ってない!!


「こ、ここ……高いんじゃ?」

「大丈夫大丈夫。今日は俺がおごるから」


 私の制止を気にもとめず、北田くんは店内に入っていく。

 北田くん。こういう店に来慣れているのだろうか。


「いらっしゃいませ。北田様でございますね?」


 入るやいなや、おしゃれスーツを身にまとったスタッフがイケボでそう言った。


「え、なんで……あ、はいそうです」

 

 いま北田くん、なんでわかったの? って顔してた。

 いや私も思ったけどさ。予想するに、完全予約制なので店側もある程度この時間に来店する人を把握しているのかもしれない。

 静かな店内をスタッフについて進み、店の奥の丸テーブルに座らされる。

 読んで字のごとく、本当に座らされた。椅子を引いて、座んなさいと促されたのだ。

 恐縮ここに極まれり。


「本日は国産和牛のランチコースでよろしかったでしょうか?」

「はい!」


 あからさまに緊張を隠せていない北田くんに笑いそうになる。

 慣れているようだったが、そうでもないみたいだ。


「北田くん、無理してない?」

「な、なんでだよ? してないって」

「ほんとに? 今からでもお店変えても……」

「大丈夫! 本当に安心して!」


 そう強めに言われたらうなずくしかない。しかしそのロボットのように固くなった表情を見ていたら、安心するものもできない。

 すぐにスタッフが戻ってきてドリンクを尋ねる。北田くんが小さい声で、「水も有料なんですか?」と聞いていたのは聞いてないフリをする。

 その後二人分の水と、前菜が届けられる。

 見たこともないようなきらびやかなお皿に、見たこともないような形の料理が乗っている。

 もはや普段私が食べているものからすれば異世界だ。「少なっ」と北田くんがぼやいたのも聞いてないフリ。


「ん、美味しい!」

「ほんとに? すっげー嬉しい!」


 確かに量はあまりないが、一度口の中に入れれば食材の芳醇な香りが広がり、私を厳しい現実から解き放ってくれる。そんな錯覚。大げさだけど。


「北田くんって、いつもこんなところでデートしてるの?」

「してないしてない! ほんとデートとか初めてだから!」

「ん?」

「ちがっ! デートじゃないな! ごめん!」

「ちょっとびっくりした」

「め、迷惑だったよな?」

「そんなことないよ。でも、たしかに傍から見たらデートに見えるんだろうね」


 本当なら、今頃私はこうやってデートとかを重ねて青春を楽しんでいたのだろうか。

 そんなありもしない現実を妄想する。


「でも意外。北田くんって、モテると思ってた」

「んー。確かに結構告白はされるけど」

「なにそれ自慢?」

「違うくて!」

「冗談よ。でもじゃあなんで彼女作らないの?」

「……嶺は作れるか?」

「え」

「同じだよ。俺も、自分のことで精一杯で、彼女作っても遊びに行ったりする時間もお金もないんだ」


 そっか。そうだった。

 北田くんもまた、私と同じでお金に困っているんだった。

 たしか両親が離婚協議中で、その間親戚の家に居候しているんだったっけ。迷惑を掛けないように生活費は全部自分で稼いで親戚の家に入れているとかなんとか。

 すごすぎる。というか偉すぎる。


「ごめん、不躾(ぶしつけ)に」

「いやいや! そういうんじゃないから! ただ、学校にいてもみんな、どこか俺と生きてる世界が違うっていうか。見てるものが違うっていうか。別にどっちが良いってことじゃないんだけど」

「それすっごいわかる」

「マジ?」

「うん。みんなは受験とか恋とかに必死で、本当に目の前のことに向かって全力で青春してるけど、私は先のことばっか考えてて、今月の収入がいくらで〜将来はどんな仕事について〜とか……嫌になっちゃう」

「そうそう! わかってくれる人がいてちょー嬉しい!」

「そうよね。こんな話できる人、他にいないもの」

「そ。みんな軽くバイト頑張ってね〜とか、一人で稼いでてすごいね〜とか言うけどさ、どんだけしんどいと思ってんだって話しだよな。悪気はないんだろうけど……俺達だって青春したいっつーの」


 北田くんから漏れた最後の言葉は、まごうことなき本音だったのだろう。言葉に妬みにも似た熱がこもっていた。

 そしてそれは私の胸にもちくりと針を刺す。


「難しいよね。でも、こういう人生なんだって思うしかない」

「まーな。でも意外とそういう人生を恨んではいないよな」

「あ、わかる。なんていうか、今は今で充実してるっていうか」

「なー! うわ、嶺もおんなじこと考えてるんだ! なんかわかんないけどすっげー嬉しい!」


 にっかーと、北田くんはこれまでの笑顔とは一段と違う、心の底からの笑顔を見せた。

 その笑顔はとても眩しくて。

 ほんのりと、私の胸が熱くなる。


「って、待って、もうこんな時間」


 時計を見ると、すでに12時50分を指していた。

 そろそろ店を出ないと間に合わない。


「え、うそ! でもまだメイン来てないよな?」

「うん。あとどれくらい出てくるの?」

「メインとデザートと……あ、店員さん」

「はい。なんでしょう」

「メインとかってまだ出てこないんすか?」

「コース料理ですので、順番にお出ししておりまして……メインでしたら今から調理してもらっても5分程度はかかるかと」

「まじっすか……」

「いかがいたしましょうか?」


 北田くんが私を見る。

 どうやらコース料理が初体験なようで、料理の出る速度やタイミングなどを把握していなかったようだ。確かに、普通のレストランなら1時間もあれば食事を終えて少し談笑して店を出られる。


「すみません。お会計で」


 少し悩んだ後、北田くんはそう言った。

 黒毛和牛のメイン料理……食べたかったなあ……。

 とは言えず、帰りの支度を始める。今更だけれど、こんなラフな格好で来たのが恥ずかしい。周りを見ると、ほとんどのお客さんが、ドレスとは言わないまでも小奇麗な衣装でまとめていた。

 ふと、北田くんがお財布から万札を取り出し、支払するのが目に見えた。


「え、そんなにするの!?」

「大丈夫だから。俺、結構稼いでるんだ」

「ほんとに……?」


 学生の身で、恋仲でもない何気ない友人との昼食で、一万円。

 それはうちの半月の晩御飯代だ。

 勿体ない。そう思ってしまう自分が卑しい。


「じゃあ行こっか」


 支払いを終えた北田くんについて店を出る。

 丁寧に見送ってくださる店員の方々に恐縮しつつ。


「ふう」


 なんとなく息を吐いた。なんというか、張っていた気が開放された感じ。


「ありがとうね。北田くん。こんなところ連れて来てもらって」

「もう謝るのなしー! 俺が嶺と来たかったの。こっちこそ付き合ってくれてありがとうな」


 そう言って北田くんは歩いていく。

 先程ジワリと感じた胸の熱さが、まるで心電図のように再びとくんと波打つのがわかった。

 今度は勘違いじゃない。

 でもその初めての衝動に、戸惑いが隠せない。

 だから私はそれを誤魔化すように、早歩きで北田くんを追いかけた。

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