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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第四章
32/85

そして兄がなくなった。

 朝起きると、兄がいなくなっていた。


「あれ……?」


 誰もいない家にぽつりと佇む。いつもは開いているカーテンが閉まっていて、木漏れ日がそこから漏れこんでいた。部屋を照らすのは窓からの僅かな明かりのみで、とても暗い。

 昨日の件があってから、母は精神的なものから体調を崩し入院している。

 私もどう接していいかわからなくて、その方が気楽ではあった。

 だがしかし、同時に兄との共同生活が始まるのかと思うと、それはそれで頭が重く先が思いやられる気分だった。

 でも、その兄が、朝起きたらいなくなっていた。

 いなくなっていたというのは、姿が見えないと言う意味ではなく、そう、まさに家を出て行ったのだ。寝るだけのスペースだった3畳ほどの畳部屋からは兄の私物が一切消えていて、そしてなによりテーブルの上にメモのようなものが置いてあった。


――迷惑かけた。


 汚い字でそれだけ書いてあれば、それが兄のものだとわかる。

 そしてそのあまりにも言葉足らずな物言いも、奴の厨二病的なセンスなのだと露骨に伝わった。


「はぁ……あっそ」


 母が宗教にのめり込んでいた件で、私はあえて兄を責めはしなかったが、やはりその起因とするところは兄であり、彼は彼なりにそこに気付いて身を引くことにしたのだろう。

 あれだけサバイバル技術があるのであれば、いくらでも一人で生きていけるだろう。

 だから私は、別にすっきりした気分にはならなかったけれど、それなりに納得して受け入れた。

 誰もいなくなった家はちょっとさみしいけれど。

 なんて思ってしまう自分に気付いてしまう。


          〇


「え、お兄さん出て行ったの!?」


 教室に入り愛ちゃんに今朝のことを伝えると、愛ちゃんが周囲も気にせず叫んだ。


「ちょっと、静かに」

「ああ、ごめん……でも、お母さんが良く許したね」

「お母さんは、今体調崩しちゃって寝込んでるから大丈夫」

「そっかー。まあ、家族とはいえ7年も疎遠だったんだから、いまさら家族に戻るってのも難しいよね」

「まあね。私はせいせいしたからいいんだけど」


 伸びをする。最近洗濯をしていなかったから、キャミソールを着ていない。そのせいで制服の隙間からお腹が出ることに今気づく。

 慌てて腕をおろした。


「お志津、今日ブラ透けてる」

「しっ!!」


 愛ちゃん、何言いだすんだ。

 周りを見ると、耳ざとく聞いていた男子数人と目が合った。


「もしかして……下もズボン履いてない?」

「キラキラした目で何言ってるの? 変態親父!」

「むほほほほ。今日はお志津の動きから目が離せない」

「こいつ……」

「何の話?」


 割り込んできた男子の声に、姿勢を正す。

 それは北田くんで、彼に話しかけられたのは随分と久しぶりな気がする。


「お志津のエッチな話」

「ちょっと!」

「え」


 北田くんの顔が私よりも真っ赤に染まる。

 まるで女子みたいで意外だ。


「ま、まさか嶺さん、彼氏できたとか?」

「違う違う! そういうんじゃないだから!」

「どうかな~。そうかもしれないしそうじゃないかもしれないし~」

「え、え、え、マジでどっちなの? いや、単純に興味があるだけで……!」

「愛ちゃん!」


 おちょくる愛ちゃんを睨むと、愛ちゃんはぺろりと舌を出した。


「嘘よ。安心しなさい。お兄さんが家を出て行ったって話」

「え、そうなんだ? ……って、安心ってなんだよ」

 

 北田くんが小声で言って、こつんと愛ちゃんを小突いた。


「そんなことより北田、お志津に謝ったら?」

「謝る?」

「そ。こいつ、遊園地でお志津のこと助けられなかったことめっちゃ後悔してんの。それでその後話しかけられなくて」

「お、おい穂田(ほだ)!」

「あ、そうなの?」


 そういえばそんなこともあったな、なんて思い出す。

 だから北田くんは私を避けていたのか。


「気にしないでいいよ。それくらい。先輩って、逆らえないよね」

「嶺……」


 北田くんが捨てられた子犬のような目でこちらを見つめてくる。

 なになに。どうしたの。


「ほんと良い奴だな! 俺、あの時びびって動けなくて……」


 しかも泣き出してしまった。


「ちょ、北田泣くな!」

「だってさ~、俺ずっと後悔しててさ~、嶺に嫌われたんじゃないかって……」

「全然嫌いになんてならないよ? ああいう時の気持ちわかるし」

「うん。そうなんだけど、そうなんだけどさ~」


 どうやら涙は止まらないらしい。

 北田くんは意外と人情系というのか、涙もろいらしい。

 もっとしっかりものでイケメン男子って感じなのかと思ってたら、案外小動物系の可愛いタイプだった。

 北田くんは、本当にいい人なんだなって思う。


「悪い。俺、泣いてばっかで、だっせー」

「ううん。そうやって素直に感情を出せるのは、素敵だと思う」

「マジ? ……ありがと」


 ごしごし、と涙を拭き払う北田くん。

 まるでアニメのような動きばかりで、見ていて楽しい。


「そういえば聞きたかったんだけど、あの遊園地で会った人ってバイト先の先輩なのよね?」

「え……うん。そうだけど?」

「失礼だったら申し訳ないんだけど、北田くんって何のバイトしてるの?」

「あ……えーっと……」

「あ、ごめん。答えにくかったらいい」

「なんで、気になる?」

「気になるっていうか、あの芽木(めぎ)って言う人高級ブランドばっかり着てたし、北田くんも自分で生活費と学費稼げてるみたいだから、割のいいバイトなのかなって」

「お志津、他のバイトに興味あるの?」

「うーん。ずっと雇ってくれてたバイト先が最近うまくいってないみたいで、バイトすぐにあげられちゃうのよね。それで、新しいバイトを探してもいいかなって」


 本音を言えば、母の入院費など突発的な出費が重なったこともある。

 今はとにかく収入を増やしたい。


「あくまで参考だけどね? 聞いてみたいなって」

「そっか。ごめん。でも俺のバイトって男しかできないようなのだから、嶺にはちょっと……」

「ううん。だと思ってたからいいの」

「だったらお志津、私の恋人にならない?」

「……何言ってるの愛ちゃん」

「愛人でもいいよ」

「もっと嫌よ」

「ヒモでいいから」

「どんどん腐っていってる! 私は健全に仕事をして稼ぎたいの!」

「きゅぅん」

「犬か」


 叱られた犬のようにしょげてしまった愛ちゃんを机の下で蹴る。


「愛ちゃんにはあいつがいるでしょ」

「あいつ?」

「ほら、今日出て行った」

「……あーお兄さん? そうだった!」

「忘れてたな」

「違うくて。それとは別で、お志津を飼いたいの」

「だから犬か!」


 もう一度蹴っておいた。

 少し強めに。


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