ラッキースケベ
最悪の朝だった。
目を開けた瞬間にそう悟る。
「気持ち悪い……」
結局あのまま寝てしまったようだ。
眠れはしたが、お風呂に入っていないから身体が気持ち悪い。口臭も気になる。
「お風呂……」
本能でそう呟いて階段を降りる。
安アパートだからか、40年前の建築デザインだからか、安全性を度外視した急こう配な階段を降りていくのはなかなかに危機感を煽る。初めの頃は手をつきながら慎重に降りていた。
下まで降りて、1階の様子をうかがう。誰もいない。
母はまだ寝ているだろう。兄も……か?
ひとまず安心し、浴室の前に立つ。
――と、そこで一瞬考える。中に入って兄がいてキャッと言うラッキースケベ状態はごめんだ。私が女なので、ラッキースケベにはならないけど。
確認のため、耳を澄まして中の様子をうかがう。シャワーの音はしない。
大丈夫だ。
がちゃり。
「え」
私ではなく、先に浴室の扉が開かれた。向こうから。
そして出てきたのは、兄だ。
濡れた髪から水をぼとぼとと落としながら、きょとんとした顔で私を見ている。
そしてその腰には何も巻いていない。
フル〇ンだ。
「なっ――」
自分でも顔が真っ赤に染まりあがったのが分かる。一気に体温が上昇した。
プランプランと揺れるそれに、目が釘付けになる。
「お、どうした?」
「ど、どうしたじゃないわよ!! 前隠して!!」
目をぎゅっと瞑り、反転しながら叫んだ。
「髪もタオルで拭きなさいよ! 床が濡れて痛んじゃうでしょ!!」
「ん? あー悪い。そっか、向こうだとあまり気にしなかったからつい……」
「気にしないとかどんな環境よ!」
「気にしないというか、仲間が光術で水気を飛ばしてくれてたんだ。だから自分で拭く癖がついてなくて」
「仲間?」
「ああ。スカアハってやつでさ、めちゃくちゃ頭が良くて、国の筆頭軍師を担ってたんだ。当然多彩なマギアも使いこなせて、器用に生活に応用させてたんだ」
「またその話……」
「その子の便利さに慣れちゃってたよ」
「待って、その子って言った? 女の子なの?」
「ああ。女の子だ」
「女の子に真っ裸を拭かせてたの!?」
「そう、なるな……変か?」
「変! 変態! 正気じゃないわ!」
「ん。そう言われればそうかもな。こっちじゃ女の子とお風呂に入ることもほとんど無い……よな?」
「ないわよ!! もうっ、あっちとかこっちとか知らない! 馬鹿にするのもいい加減にして!? いいから早く着替えてよ!」
「悪い悪い……そんな怒るなよ」
そう慌てて浴室へと戻る兄。
私はようやく目線を前に戻した。
「タオル、どこなんだ?」
「右上の棚」
「あった。おーふかふかじゃん」
「なにそれ。タダで貰ったやっすいタオルじゃない」
「そうなのか? こういう技術はやっぱりこっちの方が進んでるなー。あっちだとペラペラのタオルしかなくてさ。まあそれよりもマギアの方が発展してるからしょうがないんだけどな」
「それ、やめてくれない?」
「え?」
「あっちとかこっちとか。そういう設定なんだろうけど、馬鹿馬鹿しいから私の前ではやめて。下らない妄言は聞き飽きたわ。今も、昔も」
ドア越しに、冷たく毒を吐く。
「今まで散々迷惑をかけてきたんだから、大人しくしててよ。私たちの日常を乱さないで」
「……」
返事は帰ってこない。
聞こえていないのかもしれない。
「悪い」
返ってきたのは、とても静かな謝罪の言葉。
そのしおらしさを見るに、やっぱり虚言癖だったらしい。
私はそれ以上返すことはなく、再び二階へと戻った。