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兄が異世界救って帰ってきたらしい  作者: 色川玉彩
第三章
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幸せって?

 竹井山からさらに二駅ほど家から離れると、山間部に巨大な建物が連なっているのが見えてくる。普段は電車で通り過ぎるだけの地域で、車内からその建物が見えてはいたが特別気にしたことはなかった。

 兄が止めたタクシーに乗ってその近くまできて、タクシーを降りる。兄が代金を払ってから遅れて出てくる。


「そのお金」

「ちゃんと自分のだよ」

「どこで手に入れたの?」

「いろいろ。大丈夫、悪いことはしてない」

「じゃあ説明できるでしょ?」

「……母さんからの小遣いだよ。無一文だと何かと不便だろうからって、少額だけど」

「もうっ」


 だから言いたくなかったんだ、と兄は眉を少しハの字にした。

 私もついこう小姑のように反感してしまうのは悪い癖だ。


「ここね」


 タクシーから降りてすぐの角を曲がると、巨大な白い建物の入り口が見えてくる。そこには守衛が一人いて、出入りする人をチェックしているようだ。

 そのまま素通りさせてはくれなさそうだ。


「どうするの? 色仕掛け?」

「一発目に出て来るアイディアがそれかよ」

「じょ、冗談でしょ! そっちは何かアイディアでもあるの?」

「こっちだ」


 兄についていくと、そこは建物の側面に位置する小さな門で、守衛はいないが当然閉められている。


「まさか」


 私が言い切る前に、兄はその門へと足を掛け、一足で門の上へとジャンプした。


「ちょっと!」

「大丈夫だから」


 兄はそう言って上から私に手を差し伸べた。引っ張り上げようというのだろう。


「そういう意味じゃなくて! 勝手に入ったら犯罪でしょ!」

「見つからなきゃ犯罪じゃない」

「わからずや」

「ほら、早く。本当に見つかるぞ」


 差し出された兄の手を見つめる。

 なんとなく、温かい気持ちになった。その理由を探ると、この光景に見覚えがあるからだった。

 小さい頃、よく兄の後ろを追いかけていたあの頃。木や遊具に先に登る兄に対して、私は怖くて下から見ているだけだった。そんな私に、兄はいつも手を差し伸べて引き上げてくれたのだ。

 温かい気持ちになった自分に嫌悪する。


「いらない」


 その手を無視して自分で門に手を掛ける。右足をかけ、一気に上へと上がる。子供じゃないんだから、これくらい一人でできる。バイト着のまま来たからズボンで助かった。


「おっやるじゃん」

「子ども扱いしないで。行くわよ」

「その前に、その前掛け外したほうがいいぞ」


 下半身を見下ろすと、バイトのままの前掛けをまだ着用していた。前掛けには筆のような書体で「おこしやす」と書いてある。

 たしかにこれでは目立つ。私は前掛けを外して門の外に放り投げた。


「これでいいでしょ。ほら行きましょ」


 兄を捨て置き、先に敷地内に降り立つ。

 そこは建物裏手の駐輪場で、視界も悪く忍び込むにはうってつけだ。


「違う違う」


 未だ門の上に立つ兄にそう言われ、はてなを浮かべる。


「違うって?」

「上」


 兄はそう言って門よりさらに上の木の枝を指さした。

 どういう意味?

 すると兄は門より2メートルは高いところにある太い木の枝に向かって飛び上がった。そのまま楽々と枝を掴み、その勢いのまま前方に向かって飛んだ。兄の身体はまるで重力など感じさせないように、華麗に建物2階の窓枠へと飛び移った。

 兄は2階の開いた窓からその身を中に入れる。すぐに向こうから顔を出して、私を手招きした。


「無理に決まってるでしょ!」

「意外といけるって」

「む、り!」


 小さく叫ぶ。なにが意外だ、私は猿じゃない。

 ていうかすごいなあいつ。どんな環境で暮らしていたのか少し気になってくる。ホントのホントに野生の中で育ったのでは。育ての親はオラウータンとか。

 私の抗議に業を煮やしたのか、兄は奥へと隠れていきしばらくすると1階の非常口が開いた。少しどきりとしたが、中からは兄が出てくる。急いで中へと身体を滑り込ませた。

 中は閑散としていて音ひとつない。真っ白な壁の廊下がまっすぐに続いていた。


「どうするの?」

「受付にでも行くか?」

「バカにしないで」

「悪い悪い。こっちだ」

 

 戸惑う私とは裏腹に、兄はまっすぐに廊下を進んでいく。


「ちょっと、もう少し慎重に行きなさいよ」

「大丈夫。この時間はほとんど職員もいないから」

「なんで知ってるの?」

「何度か忍び込んだ」

「常習犯?!」


 どうりで迷う素振りを見せないわけだ。


「これくらいなら、警備してないのと同じだよ。よくこんなので放置してるよな」

「戦時中じゃないんだし、こんなものでしょ。機密情報があるわけでもないし、そもそも忍び込むメリットがない」


 廊下を進むと、垂直に交わっている大きな廊下に出た。左手を見ると先ほど見た正面玄関が見える。

 兄はそのまま右手に曲がり、その先の大きめの観音開きの扉を目指した。まるで学校の体育館のようだ。

 しかしそこには入らず、その手前を右に曲がり、そこにあった階段から上にあがった。

 本当にこの施設を知り尽くしているらしい。

 中二階のようなところまで上がると、傍に中に入る扉があった。大講堂と書かれているから察するに、中には大きな空間が広がっているのだろう。


「今から中に入るけど、絶対に声は出すな。ばれたら厄介だ」

「言われなくてもわかってる。そっちこそ、かっこつけて飛び出さないでよね」


 兄のいう事をきくのは(しゃく)だけれど、この件に関してはまったく同意見だ。

 兄が扉を開くと、中は防音仕様になっているのか二枚目の扉があった。そこをゆっくりと開くと、中はコンサートホールのような数百人は入りそうなホールが待ち受けていた。

 兄について身をかがめながら中を進み、背の高い座席の後ろで止まった。


「皆さん、本日もご苦労様でした」


 渋い男の声が響き渡る。座席の影からおそるおそる覗き込むと、ホールの中央には数十人の人がいて、その前にはあの黒塗りの車の男性が立っている。


「お疲れ様でした」


 そんな数十人の女性の声が重なる。

 礼儀正しく頭を下げたのは、母と同年代くらいの女性たちで、皆が小奇麗な恰好をしている。どうやら他の信者たちらしい。


「皆さんのおかげで、本日もまた一人、幸せを手入れた方がいらっしゃいました」


 男性がそう言うと、女性たちは本当に嬉しそうな表情で拍手を送った。その笑みがどうしようもなく気持ち悪い。


「迷える他者のために自信の幸せを分け与えた嶺さんに一言もらいましょうか」


 呼ばれて、女性たちの中から見知った人間が前に出てきた。

 お母さんだ。

 母は恥ずかしそうに立ち、その横に男が並んで腰のあたりに手を回した。


「さあ、嶺さん」

「えっと、あの、皆さん初めまして。嶺春海と申します。お恥ずかしながら、ようやく他の誰かを救えました。私なんかの小さな幸せで、誰かを幸せにできることがこんなにも嬉しいこととは思いませんでした。これからは、もっともっとたくさんの人に幸せを分け与えて、世界中から不幸を取り除いていきたいと思います」


 短い演説の後、母は深くお辞儀をする。すぐに大きな拍手が響く。

 言っている意味がきちんとは理解できていないけど、なんとなく意味はわかった。


「功労者の嶺さんに、我らが教祖様も大変お喜びであります。自分を犠牲にしてまで他者を救おうとした彼女に、教祖様から大いなる幸せを授かっております」


 男がそう言うと、母はクリスマスプレゼントを見つけた子供のように顔に喜びをにじませた。


「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」


 そう念仏のように唱えながら地面に膝をつく。

 すると男は脇に立つ女性から綺麗な器を受け取り、そこに入っていた水を手に付けて、母の頭上でぱっぱっと水を飛ばした。その後、別の女性が持っていた長い竹筒のようなものを持ち、その片方の穴に自分の口を当てがい、もう片方の先端を母の頭上に向けた。

 そして男が一気に噴き出した息が、筒を通って母の頭にかかる。

 それを椅子に座る他の信者たちが羨ましそうに眺めている。


「なにあれ……」

「光の息吹だから、息を吹きかけてるんだろうな。ありがたい息を」

「ありがたい息って……? あの人が教祖なの?」

「いや、あの男はこの拠点を任されてる人間で、教祖の代理みたいだ」

「じゃああの人の息に意味はないんじゃ……」

「教祖の代理人だから、意味はあるんだ。ほら、預言者とかも同じだろ?」


 予言を預かるのと、息を預かるのは勝手が違うと思う。

 代理できるものではない。


「少なくとも、信者はあれで幸せが訪れるって信じてる」

「馬鹿馬鹿しいわ」

「この施設でその発言をしたのは志津香がはじめてだろうな」


 兄が茶化すように笑う。

 よくこんな状況で笑えたものだ。


「ま、こういうことだ」

「どういうことよ。肩をすくめないで。全っ然納得できない。お母さん騙されてるじゃない」

「母さんたちは本気で信じてるんだ。宗教ってそういうものさ」

「こんなことしなくたって、私は充分幸せで――」

「お願いします。教祖様。夫を、嶺孝雄(たかお)を私の下へ呼び戻してください」


 え――。

 母の声に、思考が停止する。

 お母さん、今、なんて……。


「大丈夫ですよ。そうやって幸せを積んでいけば、必ずや旦那様は戻ってきます。そう、あなたの息子さんのように」


 兄を見る。兄はそれを知っていたかのように驚いてはいなかった。

 ただ、何も言うことはないと、黙って天井を見上げていた。

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