光の息吹
竹井山はベッドタウンで、大きなマンションがあちこちに点在している。高速バスの乗り場があり、最近ではコストコや巨大な複合施設、家電量販店などができてきて、非常に住みやすい街だ。
竹井山駅はその中心にある。学校や会社があるわけではないので、日中ほとんどの時間は利用客が少ないのだが、朝と夜の通勤時間は大勢の人で込み合う。
現在午後7時半。まさに会社帰りのサラリーマンがたくさん改札から出てきては方々へ散らばっていくのが見えた。
「お母さんは……?」
巨大な人ゴミの中母の姿を探す。
次第に人ゴミは霧散し、駅前のロータリー広場の人はまばらとなった。
「幸せですか?」
その声に視線をやると、改札を出た横に、小奇麗で清潔感のある二人の女性が立っていた。その手にはA4サイズ程のパンフレット。
彼女たちは通りすがる人たちに、「幸せですか?」と声を掛けている。人々はそれを一切気にも留めず通り過ぎていく。それでもその女性たちは笑顔を絶やさず次から次へと声を掛けていく。まるで機械のように。
そしてその二人の女性の内、片方の女性の顔は良く見知った顔だった。
「お母さん……!」
無理矢理作り出したような笑顔をする母に違和感を覚えつつも、それが母であることは紛れもない事実だった。
「こんなところでなにしてるの……」
話しかけようと母の元へと歩み出す。
すると、突然私の身体が後ろに引っ張られて、建物の死角へと引き入れられた。
自分を引っ張った人間の顔を見て、それが兄だと気づく。
「なに? まだ着いてきてたの?」
「しっ」
兄は鋭い視線でそう制止して、アゴでロータリー付近をしゃくる。
見ると、そこに先日見た黒塗りの車が停まっていた。
「あれって……」
「見張ってるんだよ。母さんたちを」
「見張ってる? なんで?」
「変な人間が近寄ってきたり、問題が起こった時に対処するためにだ」
「たかがビラ配りにそこまでする必要ある?」
「ただのビラ配りじゃないからな」
言っている意味が理解できず、母を見る。
母は勤務時間を終えたのか、片づけを始めたようだった。そこに黒塗りの車から例の男が出てきて母たちに近づく。一緒に片づけを終えたら、余ったパンフレットや什器を持って車に載せた。
そして母は車の助手席に乗り込んで、車は走り去っていった。
慌てて前に出て車のナンバーを覚える。暗くて見えにくかったが、おそらく覚えられた。
その後、母たちが立っていた場所へと行ってみるが、なにか手掛かりらしきものが落ちていたりはしないようだ。
数メートル離れた箇所に、ゴミ箱を見つけた。駆けつけて、燃えるごみのゴミ箱を開けて中を覗く。
「おい、志津香」
兄が私を制止しようとするが、無視だ無視。
「あった」
案の定、ゴミ箱の中からくしゃくしゃになったパンフレットの一部を見つける。
それを取り出して広げると、そのパンフレットには英語で「Breath of light」と書かれていた。
「ブレスオブライト……光の、息吹?」
その表紙には白くて無機質な建物が写っていて、その前で若く可愛らしい女性が楽しげな様子で立っている。
中を開くと、いかにも怪しげな文章が白を基調としたデザインでレイアウトされている。
幸せとか、愛とか、光とか。
「なにこれ……」
「宗教法人だよ」
私の疑問に答えたのは、兄だった。
「どういうこと?」
「つまりだな。あー……」
「お母さんは、宗教の勧誘を行ってるってこと?」
「そうなる、な」
「バイト、じゃないのよね?」
「……」
沈黙はイエス。
「もしかして、知ってたの?」
「ああ」
でた、「ああ」。
でも乾いた笑いも出やしない。
「お母さんが、信者なのよね?」
「……そうだ」
「どうして黙ってたのよ!」
「まだ俺も調査してたところだったんだ」
「なによ、じゃあ最近ずっと外にいたのも?」
肩をすくめる兄。いい加減その返事の返し方をやめてほしい。
「もちろん日中は母さんは診療所で働いてるから、修行してたけどな。母さんの仕事が終わる辺りから、後をつけたりして探ってたんだ」
「私にそれを知られたくなかったから、ここに来させないようにしてたわけ?」
「いろいろと悪い印象を持ちがちだからな。こういった宗教関係は、どこの世界でもややこしい」
「知ってて止めなかったの? 母さんを」
「別に一概に悪いというわけじゃないだろ? 宗教はどの世界、どの時代でも必要なものだ。一言で悪と罰するのは早計だろ」
「それで?」
「それでって?」
「その調査結果を教えてよ」
「結果も何も、今見た通りだよ。母さんは『光の息吹』っていう怪しげな宗教にハマって、今はそのスタッフの一員として駅前なんかで勧誘活動に従事してる。あの黒塗りの車の男は、その団体の幹部のような人間で、母さんたちのような信者の活動を見守りつつ監視しているってところかな」
「結局、その団体は白なの? 黒なの?」
「半々かな。正直調査不足は否めないけど、母さんを監視している分には健全な活動の範疇。でも裏では大きなお金が動いているっていう噂も耳にする。こればっかりはもう少し調査を進めないとなんとも言えない」
「どうして、そんなことになったの? お母さん、そんな変なことに始める理由なんてないじゃない……やっぱりお金?」
「多分違うと思う。こういった団体は信者にはお金は行き渡らない構造になってる。あくまで母さんたち信者は、団体に心の拠り所を求めてるんだ。むしろお金を払ってる方だ」
「じゃあどうして……!」
兄は首を横に振った。
母の胸中までは察することができないということだろう。
「ただ言えるのは、ここ最近じゃなくて数年前から入信はしているみたいだ」
「え、それって……」
「ああ。おそらく俺の行方不明の件で、心が弱っていた頃につけいれられたんだと思う」
また、お前のせいか。
兄がこの件をひた隠しにしようとする理由がわかった。
「わかってる。だから何とかしようと思って調査してるんじゃないか」
私の視線から感じ取ったのか、兄はそう弁明した。
「でも待って、お母さんが帰りが遅くなり始めたのは、ここ最近でしょ?」
「以前は入信してたけど、そこまで熱心じゃなかったみたいだ。月に一度、集会に行くくらいで、本気で信じてたわけじゃなさそうなんだ」
「でも、じゃあどうして今になって?」
「……知りたいか?」
「もちろんよ。私のお母さんだもの。心配でしょうがない」
「止めてもお前は調査を続けるんだろ?」
「当たり前でしょ。その団体の真意を確かめて、お母さんが悲しい想いをするのなら絶対に止めなきゃ。お母さんは私が守るの」
「……はあ」
兄は分かりやすくため息をつく。
「俺たちが、な」
間を置いて言って、かっこつけたつもりか。
いちいち芝居がかった物言いしかできないのだろうか。
「じゃあ行くか」
「行くって、どこに?」
「母さんはいつも勧誘活動が終わると、あの車に乗ってある場所に向かう」
「どこ?」
すると、兄は黙って私の持つパンフレットを指さした。
そこには、白くて巨大な施設が写っていた。




