迫る真相
「志津香!」
バイト先の『二軒目』に、そんな声が響き渡った。
その声に店内にいた人たちが一斉に入口を見つめる。
「な、ちょ……」
兄だ。
最近は家におらず、とても気の休まる時間だったからこそ、気を抜いていた。
全身黒づくめの兄の姿に、恥ずかしさのあまり顔が赤くなる。
しかもその手にはあの、大剣が握られているではないか。
モンスターでも狩っていた帰りか?
「志津香、俺の部屋に入ったか?」
兄は私の意など介することもなく、ものすごい剣幕で私に迫ってくる。
名前を呼ばれ、私を睨みつけられては、もはや言い逃れはできない。
「ちょちょちょ! 外! 外で!!」
仕方がなくそう叫んで兄を押し返し、無理矢理外へと押し出した。
店長の迷惑そうな顔がこびりついて離れない。
「ちょっと! バイト先には絶対に来ないでって言ったでしょ!」
「ごめん。それで、志津香、俺の部屋に入ったな?」
謝るのをそこそこに、食い気味にその質問を繰り返す。
冷静になって少しどきりとする。
「昨日帰って来ないからお母さんに心配させておいて、戻ってきたと思ったらこれ? 入ってないわよ。入るわけがないでしょ」
咄嗟に出てしまう嘘。
まあ入ったとしても何もしていないのだから大丈夫なはずだ。
あ、畳のへこみ以外は。
「志津香。それは嘘だ」
「は? なんで……」
「あの部屋に母さんじゃない女性の髪の毛が落ちてたし、わずかに香水の匂いもした。それに問いただした時の志津香の視線が右に動いた。嘘をついてる証拠だ」
え、なにそれこわっ。
髪の毛や視線のことはさておき、香水は愛ちゃんのものだけれど、丸一日も前のことだ。匂いなんてどこかに消えている。はずなのに。
「あ、愛ちゃんが遊びに来てて、ちょっと覗いてたけど……何もしてないわよ! 本当に中を覗いてただけ!」
「この剣を触ったか?」
「触った、かもしれないけど……だからなに?」
「柄に引っかけてたペンダントをどこにやった?!」
「ペン……? そんなのなかったわよ?」
「嘘だ!」
「嘘じゃないって!」
兄は見定めるように私を睨みつけた。
そしてしばらくして納得したのか嘆息し、
「それは嘘じゃないみたいだ……くそっ、じゃあどこに……」
「なに、そんなことを言いに来たの? こんなところまで?」
「そんなことじゃない! あれは、とても大切なものなんだ……」
「大切なものなら肌身離さず持っときなさいよね」
「……それもそうだな」
兄は悲しげに笑んで、視線を落とす。
まったくそのテンション感が理解できないけれど。
いや、一度も兄を理解できたことなどないのだけれど。
とにかく、そんなことよりだ。
「そんなことよりさ」
「なんだ?」
「お母さん。知ってる?」
「?」
私の発言が情報不足なのはわかっている。
ただ、これだけ言えば理解してくれるかもと期待した私が馬鹿だった。兄にそこまで感じ取る力があるわけがない。
「お母さん、もしかしたら誰かと付き合ってるかもしれない、って言ったらどうする?」
「ん……ああ、そっか」
「そっかって……」
「なんだよ。ダメなのか?」
「私たちにはお父さんがいるでしょ? それなのに、なんか気持ち悪くない?」
「……でも、今母さんは一人だ」
「そうだけど……あーもう! 新しいお父さんが来るかもしれないのよ? わかってる?」
言葉にできない違和感を、兄はうまく共感してはくれないらしい。
愛ちゃんはこういうのに敏感に察してくれるから、余計イライラする。
「まあしょうがないだろ」
「しょうがない? 新しいお父さんなんて嫌よ。私は嫌。それに、お母さんもういい歳なのに今更恋愛なんて……」
「家族のためだろ?」
「私はもうお父さんなんていなくても大丈夫よ。むしろ家に知らない人が来る方がよっぽど不安」
「じゃなくて」
「じゃなくて、なによ?」
「金銭面の問題だろ?」
そこまで言われてはっとする。
ああ、そうか。
私はなんて馬鹿だったのだろうか。
お母さんが女だからとか、寂しいとかそんな下世話な問題ではなかったのだ。
「でも、私だってもうすぐ就職するんだし、それで充分に暮らしていける。それに、あんたもそろそろ働いてくれればいいじゃない」
「違うよ志津香。再婚すれば、金銭的な余裕ができる。そうすれば、志津香も大学に行けるだろ?」
「え……」
「母さんはお前に進学してほしいんだと思うぞ」
「は? なにそれ、じゃあ私のた――」
その瞬間、私の中にとても嫌な直感が走った。
そして一瞬でそれが間違っていないと理解する。
私はエプロンのポッケからスマホを取り出し、愛ちゃんに電話をかける。
『しもしも~?』
「愛ちゃん、お母さんに何を言われたの?」
『へ? どうしたのお志津。いきなり興奮冷めやらぬ』
「ごめん、真面目に答えてほしいの。愛ちゃん、私が席を外してる時に、お母さんに何か頼まれたりしてない?」
『た、頼まれたりって、なにを?』
「私を、大学に行きたくなるように勧めてほしいとか」
愛ちゃんから返事は戻ってこなかった。
そしてその沈黙は、答えでしかない。
おかしいと思ったのだ。愛ちゃんは察する能力が人一倍優れている。だからいつも察して話題は選んでくれる。
なのに、今日はしつこく私に進学を勧めてきた。
おかしいとは思ったんだ。
一気に頭に血が上るのが自分でもわかった。何か弁明の言葉を吐く愛ちゃんとの電話を切り、店の裏に停めた自転車へと向かった。
「おい、志津香? バイトは?」
制止しようとする兄の言葉を無視し、自転車をこぎ出す。
向かったのは母の勤める診療所だ。自転車で20分ほどこがなければいけない。普通は電車を使っていく距離である。でも私の頭は効率よりもただ本能のままに動くことを選んだ。
診療所につくと、案の定既に閉まっていたが、自転車を放り投げるように降り、診療所と隣接している医者の自宅のチャイムを鳴らした。
何度も。
何度も。
「はいはい。なんですか」
出てきたのは年老いたお爺さんだった。白衣ではなく既に寝間着を着ており、見知らぬ私を不審がる。
「こちらで勤めている嶺晴海の娘です」
「ああ、嶺さんの」
「お母さんはいますか?」
「ん? 嶺さんなら、定時であがったはずだよ?」
「最近お母さんの帰りが遅いんです。何か知りませんか?」
「えーっと、すまないがわからないね」
「質問を変えます。この診療所に、外部のお医者様が手伝いに来ていたりしますか?」
「いやーそれはないねー」
「じゃあ診療所に黒塗りの高級車で来られている人とかは――」
肩を掴まれる。
振り返ると、兄が私の後ろに立っていた。
そんな……私は自転車でめいっぱい飛ばしてきたのに。
速すぎる。
しかも息ひとつ乱していないなんて。ついでに大剣も肩にかけているのはもう見慣れた。
「申し訳ありません。母の帰りが遅くて、妹が心配になってしまって」
兄はそう平静に説明をして、軽く頭を下げた。昔のように人から目を逸らして話すのではなく、きちんと相手の目を捉えて礼節を守っている。
寝間着の医者はしおれた声で少しうなった後、
「君があの息子さんか。行方不明から戻ってきたとか」
「はい」
「そうかそうか。お母さんはとても嬉しそうだったよ」
「ありがとうございます。これからは母に迷惑をかけないよう精いっぱい働いて返すつもりです」
「うんうん。良い息子さんだ。それに、優しい娘さんだね」
間の抜けた会話に耐えられず口を挟もうとすると、それを素早く察した兄が、肩を掴む手に力を込め私を黙らせる。
「妹が失礼しました。それでは失礼します」
そういって肩を引っ張られると、抵抗したはずなのに身体が自然と兄の後ろをついていく。なんて力だ。
そうして医者の家から数メートル離れた位置で、兄の手を振り払う。
「ちょっと、もういいから。離して」
「落ち着けよ。どうせ夜になったら戻って来るんだ」
「駄目。今あの男と逢ってるなら、止めないと」
「どうして? 母さんに幸せになってほしくないのか?」
「なってほしいわよ」
「じゃあなんでそんなに怒るんだ?」
わからない。
怒りばかりが先行して、なぜここまで腹立たしくなるのか、それがうまく言葉にできそうにない。
「そういえば」
そこに、先ほどのお医者さん――朝川先生が寄ってきた。
「この間診療所で聞いた噂だけどね、あくまで噂程度だから話半分に聞いてほしいんだけど」
「はい」
「この間、竹井山駅のロータリーで、嶺さんらしい人が立って配りものをしてたって」
「配りもの……?」
「まあ、あくまで噂だけどね。じゃあ、おやすみ」
朝川先生はそれだけ言って自宅へと戻って行った。
「竹井山駅って、すぐ近くよね」
「わざわざ行かなくても。きっと新しいバイトか何かだよ。俺も増えちゃったから」
「じゃああの男の人は? どうしてお母さんは嘘をついたの?」
そう問うと、兄は困った顔で口を噤んだ。
「隠し事は嫌い。知らないことが怖い」
知らない間に何かが決まって、知らない間に後戻りできなくなっているのが、一番怖い。
自転車を起こし、私は駅に向かって再び漕ぎ出した。




