愛ちゃん
「ということがありましてだね」
学校での昼食時、私は昨夜目にしたものを愛ちゃんに話した。
愛ちゃんとはなんでも話せる仲なのです。
「ふむふむ。つまりお母様はそのダンディなお金持ちおじさんに股を開いたと」
「そこまでは言ってない!」
「そこまで入ってない? なにが?」
「言ってないー!!」
下ネタはやめてほしい。愛ちゃんこともなげにこういうネタをぶっこんでくるから困る。
愛ちゃんモテるから経験済みなのだろうけど。
少なくとも公共の場ではやめてほしい。破廉恥破廉恥だ。
「ま、お母様も女だからねえ」
「そうだけど……いや、うん、そうなんだけど」
母親の女になる姿を想像したくない。愛ちゃんが変なことを言うから、なおさら変な妄想に支配される。しばらくは消えなさそうだ。
「でもいいじゃん? なにか悪いの?」
「悪くはない。悪くはない……はずなんだけど」
「ちょっと気持ち悪いよねー。むず痒いというか」
「うーん。お母さんには幸せになってほしいんだけどねー。でもほら、最近あれが戻ってきたじゃない?」
「あれ? ……ああ、お兄さん」
「そう。だからこのタイミングでかーって感じかな。一気に受け入れられない的な」
「でも恋は唐突じゃん? お母様もお志津の気持ちがわかってるから、今は隠してあとから打ち明けようとしてるのでは?」
「なるほど。愛ちゃんシャーロック・ホームズ」
「ワトソン君、お茶を入れてくれるかね」
「ははー」
愛ちゃんのコップに水筒からお茶をそそぐ。
ワトソンはこんなキャラではないのだけど。女子高生の日常会話に細かいことは気にしないでいただけると助かる。
「お兄さんには話したの?」
「話さないわよ。まだ確定じゃないんだし。それにそもそもそんな会話しないもの」
「あ、修行出てるんだっけ」
「うん。昨日も結局深夜くらいに帰ってきて、一階でごそごそ動いていた」
「まあ、外に出てるだけマシなのでは?」
「物は考えようね」
たしかに引きこもりではなくなったけれど、協調性がないのは困る。
部屋から出られるようになってスタートライン。まだまだいっぱしの人間には程遠い。
「じゃあどうしよっか」
「どうするって?」
「ん? お母様の調査」
「……調査?」
この子は突然何を言い出すのだろうか。
「このままだと気になって勉強も手につかないでしょ?」
「つくけど」
「だからちゃちゃっとネタ晴らししちゃって、後顧の憂いを絶つんだよ」
「いや、だったらお母さんにちゃんと訊けば……」
「本当の事言うわけないじゃない?」
「まあそうかもだけど」
「それにいつかお父様になる人を知っておいた方がいいよ。もしお志津が受け入れがたい人だったら、生理的に無理でも結婚決まっちゃってたら手遅れじゃない?」
「ん~、一理ある」
「一理どころか十理だよ! お志津、家の中で生理的に無理な人2人がいて暮らしていける?」
「う……」
それはご免こうむりたい。
考えただけで吐き気がする。
「だったら、お母様を尾行してお相手のお義父様候補を知っておかないと!」
「今愛ちゃん『お義父さん』って言ってないよね」
「言ってない! お父様!」
じとー。
愛ちゃんがここまで人の事情に踏み込んでくるのは珍しいなと思っていた。いつもは察して引いてくれるから。それに相手の複雑な状況をおもしろがる性の悪いところもない。
ならば何か、引けない事情でもあるのだろう。
お父さん。お義父さん。
ふむ。
「絶対いや」
「そんなー!」
危機感を覚え、拒絶する。
まだ私にはそれを受け入れるだけのスペースは無いのも事実だ。
「愛ちゃんの興味本位のために、お母さんに後ろめたいことはできないわ」
「できないんじゃない! やるんだ! やればできる! 自然の摂理!」
「何の話かな」
「じゃあお志津の家遊びに行く」
「え?」
「お志津の家遊びに行きたい」
「急にどうしたの」
「いろいろかこつけて家に行ってみようと画策してた」
「ぶっちゃけたわね……どうして」
「だって私お志津の家行ったことないんだもん」
「そうだけど……私も行ったことないよ。愛ちゃんの家」
「行きたいって言わないじゃん!」
「それは、だって……そんなにあいつのこと好きなの?」
「違うよ」
ぶるんぶるんと愛ちゃんは首を横に振るう。
同時に胸に付いた巨大な塊も左右に揺れた。ん~グラマラス。
「お兄さんは関係ない。私はお志津のことが知りたいの」
「えぇ……愛ちゃん重い」
「だってー」
「愛ちゃんの気持ちは嬉しいけど、ほら、私の家はね……」
「変なの?」
「変っていうか、ぼろいし汚いし、人にあまり見られたくないのよね。本音を言えば」
「そんなの気にしないよー。それも含めてお志津なんだから」
「う~ん」
言ってくれていることは嬉しいんだけど、やっぱり見せたくはない。
家賃5万のボロアパートは、仕方がないことではあるけれど、同年代の友人に見られるのは恥ずかしい。だからこれまでなんとなーく、避け続けてきたのだ。
しかし愛ちゃんのこの眼差しを見ると……断りづらい。
「わかった。じゃあこうしよ。私が夕ご飯でうまくお母様から例の話を聞きだしてみる。ほんとに、ほのか~に、ふんわ~りと、それっぽい話を振ってみて、反応を見てみるってのはどう? 悪くないでしょ?」
「ん……んん?」
いまさらりと晩御飯まで居座ると言ったのはさておき、それなら確かに後ろめたくなく、お母さんの心境を察することができるかもしれない。勉強が手につかないほどではないけれど、たしかに母の恋愛事情は気にはなる。
「まあ、愛ちゃんなら……」
「ったーーー!」
愛ちゃんは両拳をぶち上げて喜んだ。
彼女の顔が絶妙な気遣いの愛想笑いに変わるのを、想像したくない。




