真面目な話
「ただいま」
「遅かったな、志津香」
「えっ!?」
玄関を開けると、兄がいた。
さっき林に放ってきた兄がいた。
そして料理をしていた。
え、なんで?
「な、なんで先に帰ってるの?」
「悪かったか?」
「悪いか悪くないかで言えば悪いけど……」
いつ追い越したのだろう。
「そのドア、直ってるだろ?」
言われて、玄関のドアから悲鳴のような音が聞こえなくなっていることに気付く。
この不快な音に長い間悩まされていたのに。
「なにしたの?」
「なにって、軸が傷んでたから交換しただけ。あ、これは母さんから頼まれてやったことだから。お金も預かってる」
私がお金お金とうるさいから、先を越したのだろう。
私は小姑か。
「ていうか、なんか臭くない?」
「そうか? 調理中だからだよ」
「それ、使ってる食材は盗んできたやつじゃないでしょうね」
「人聞きが悪いな。ちゃんと事後で許可はもらったよ」
「ならいいけど……ねえ」
「なんだ?」
「真面目な話をしていい?」
「……」
私の真剣な眼差しが伝わったのか、兄は調理している手を止めた。コンロの火を消し、テーブルにつく。私も兄の向かい側に座った。
「お母さんがいないから、はっきり言わせてもらうけど」
遠慮するな言えよ、と言わんばかりに兄は肩をすくめる。
欧米か。
「これからどうするつもりなの?」
「これから……」
「そう。貴方がどこに行っていたとか、なにができるとか、正直そんなのどうでもいいの。妄想は自由にしたらいい。ただあなたは、これからどう人生を歩んで行くつもりなの?」
「……難しいこと聞くな」
気まずそうに、兄は頭の後ろを掻いた。
「家にお金も入れないで居座ってるだけなら、7年前と同じじゃない。見た目明るくなって、いろいろできるようになったって、やってることは同じよ? 何も成長してない。部屋を出れたから一歩前進なんて幼児教育みたいなこと期待してないわよね?」
「……」
「私は高校を卒業したら就職して、お母さんと一緒に借金を返していく」
「大学は、行かないのか?」
「行けると思う?」
「でもほら、奨学金とかあるだろ?」
「ただでさえ借金まみれなのに、また借金してどうするのよ?」
どうしてこうも短絡的なのだろうか。こういう無神経なところが腹が立つ。
「誰のせいでこんな苦労してると思ってるの」
「……やっぱり、俺のせいか?」
「お母さんからなにも聞いてないの?」
「少しだけ……でも全部は話してくれないな」
「そりゃそうよ。思い出したくもないもの」
「父さんも死んだんだよな」
「違う。あなたに殺されたの」
私の残酷な言葉に、兄は初めて見せる苦痛の表情を見せた。
「あなたが行方不明になってから、お母さんがおかしくなって、お父さんも荒れて……うちはあっという間に壊れた。自暴自棄になったお父さんはお酒を飲んだまま運転して、山道のガードレールから飛び出して……」
私はその詳細は覚えていないけれど、しかし父のお葬式のことはよく覚えている。
嫌な記憶だけれど、消えてはくれない。
「その事故に巻き込まれた人もいて、その賠償金を払うハメになった。元々あなたを捜索するためにお母さんが借金していたから、泣きっ面に蜂ね。お父さんがいなくなって、返す当てもなくなって……ついには黒い金貸しに手を出した」
「借金、いくらくらいあるんだ? 100万とか?」
「馬鹿じゃないの? 家を売っても返せなかった程よ」
「そんなに、なのか……」
兄はたいそう驚いたような顔を見せる。
黒い借金というものは、ねずみ算式に増えていくものなのだ。手を出した時点で間違いだった。今更だけど。
「この際私の感情は抜きにしてもいい。お母さんが喜んでくれるなら。でももしこの家にいたいって言うなら、きちんと生計を立てて、一緒に借金を返していってくれなきゃ困る。お荷物を抱える余裕はないの」
「……仕事、か」
「そう。中学も卒業してないあなたを雇ってくれるところがあるかわからないけど、でも頭を下げてでも仕事をもらうの。お得意の身体能力で、頭を使わないあなたのできる仕事はきっとある」
「仕方がない、傭兵でもするか。もう二度としないって決めてたけど、この際しょうがない」
「馬鹿なの?」
こいつほんと何言ってるの?
「あ、そっか。こっちはそういうの無いんだったな……じゃあ、剣術指導はどうだ? 俺、向こうでは二百人くらい抱える道場をやっていたんだけど」
「その道場はどこにあるの? ボタン一個で地面から湧き出てくるの?」
「そっか……あ、道場破りして貰えばいいか」
「あ、ってなに? さも名案思いついたみたいな顔しないで。そんなことしたら犯罪でしょ」
「しまった、こっちは法律があるんだったな……じゃあ戦術指南なんかどうだ? 家庭教師で」
「戦術? 誰といつどこで戦うのよ。自分の人生の戦術すら立てられないのに。もちろん経営コンサルティングなら大歓迎よ。小卒を信用してくれる奇特な経営者がいればだけどね」
「でも、一応向こうのアカデミーは卒業してるんだ。主席で」
「でもって何よ、でもって。それ言い訳になるとミクロ単位でも思ったの? その証明は? 社会で大事なのは口じゃなくて、証明書なの」
「世知辛い世の中になったなあ」
「ま え か ら! あなたが引きこもってた時よりもっと昔からそういう仕組みなの! 目を背けてたのかもしれないけどね! だから私は今働かず高校卒業資格を取ろうとしてる! 就ける仕事も、生涯賃金も大きく変わってくるから!」
私は言う。
嫌われたとしても、言わざるを得ない。
「現実を見て。もしそれができないなら、今すぐ出て行って」
そう言い切って、私は席を立つ。
兄が何かを言い返してくることはなかった。
二階に上がってカバンを脇に投げ、身体をベッドに投げだす。
しばらく洗っていない布団から巻き上がる埃を見上げた。
「私、やな女」