邂逅と後悔・10
代わりの短時間労働者が見つかるまでは、これまでと同じように定食屋で働くのだ、とユーリアは昨日行きの馬車で言っていた。
週末の三日間はいつも昼から夜までの勤務ということで、今日はシャファト家へと写生に訪れない。
朝食後に受け取った手紙の差出人を見て、ルドヴィカは仕事に出かける男性3人を見送った後、自室へと向かった。
ルドヴィカが定期的に殿上するのは、いくらか宮殿との間での書面の取り交わしをしてからであるらしい。
祖父ヨーゼフは本日そのために宮殿へと向かったようだった。
可愛らしい王女様の許へ上がることは、ルドヴィカの楽しみのひとつになった。
文机に着いていそいそと白い封筒を開封する。
流麗な筆致ながら簡潔でわかりやすいその手紙の内容は、ルドヴィカの目を丸くさせた。
少し首を傾げてから、彼女は便せんを手にしたまま席を立った。
「ねえ、ラーラ?アデーレを呼んできてくださる?」
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朝一で受け取った各種の報告書を検めながら、イグナーツは形ばかりの朝食を摂っていた。
特に食べる必要も感じてはいないのだが、いつごろか、随分と年下の愛らしい友人に手紙で諭されてからは摂るようにしていた。
睡眠に問題を抱える少女にとって、夜ぐっすりと眠り、朝に目覚めて一日を過ごせることは、とても貴重なことらしい。
一日を朝食をもって始めることの是非について一生懸命綴る手紙は、他の手紙同様イグナーツの頬を緩ませ、心を和らげた。
仕事の手を休めることなくティーカップを口に運ぶ。
茶葉は最近海を隔てた隣国と輸入の独占契約を結んだもので、これを皮切りにいくつかの商材に手をつける予定でいる。
古くからある事業のひとつがようやくそれなりの形になったという所だ。
テイスティングをしながら書類を繰ると、秘書がノックをして部屋に入って来た。
この男の悪い癖は、ノックはするものの、返事を待たないところだ。
「おはようございます、イグナーツさん。
さわやかな朝にさわやかな報せはいかがですか?」
にやにやと人の悪い笑顔を浮かべると、取り澄ましたいつもの表情が途端に品がなくなる。
この表情の時はどんな報せを持ってきたか、近頃は相場が決まっている。
「ルイーゼか」とイグナーツが書類に目を落としたまま問うと、「おやあ?」と楽しそうに茶髪の中年秘書は言った。
「愛称で呼ばれる仲になりましたか。
これはめでたい。
ウチの大将に春が来た」
「くだらんことを言わずにさっさと報告しろ」
ため息交じりにイグナーツが言うと、秘書は全く意に介した様子もなく肩を竦めた。
「だってぇ、あの『火狐』が、やっと女っ気を見せたんですよ。
弄りたくもなりますわー」
「あほか、孫ほどの年の娘にどうこうするほど耄碌しとらんわ。
そういうのはもういい、とうに枯れた。
なにがあったかさっさと報告しろ」
「はいはい、こっちとしては後継の心配してんですがね。
どっかに胤でも落としてないかと探してもないし。
あー、シャファトのお嬢さんですがね、今後、メヒティルデ王女殿下の、話し相手に内定したようです」
「……なんだって?」
「殿上が決まったんですよ、あんたのお姫さん」
「……確かか」
差し出された紙を受け取り、鋭い眼差しでイグナーツはそれを検めた。
「……体は大丈夫なのか」
思わず、といった風にイグナーツが呟くのを、秘書はにやにやと見ている。
よくこの男には老いらくの恋、と揶揄されるが違う。
イグナーツにとって、ルドヴィカは良く懐いてくれる娘のようで、可愛い。
結婚をしなかった彼だが、もし自分に子があったらこんな気持なのだろう、という情のようなものを彼女に抱いている。
医学に関する知識はほとんど持たぬので、ルドヴィカの状況は彼女自身がイグナーツへと伝えてくれたことしか知らない。
だからこそ見えない部分があって、こうして思い出した時には心配にもなるのだ。
しかし、それ以前に彼は商人であった。
「――ビンデバルトにこれを届けろ」
書類を秘書に差し戻してイグナーツは他の報告書へ戻った。
「よろしいんで?」
「あいつにはルイーゼに繋ぎを取るように指示したばかりだ。
それを見れば自分で動く。
なにが最適か考えて。
あいつは」
イグナーツは口元に酷薄な笑みを浮かべた。
「わたしの後継だからな」




