お兄様と夜の蝶?・1
「そういやお前んち、ダ・コスタ商会と取り引きあんの?」
「なんで」
日勤の同僚から引継ぎを受けていたときに訊かれ、イェルクは問い返した。
「いや、この前お前んちの馬車、ダ・コスタの事務所に入ってったから」
「ない、ぜったいない」
「えー、まじかー、見間違いかなー」
おかしな評判を立てないでもらいたいものである。
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夜もとっぷりと更けてから、イェルクは今日の相棒のスヴェンとお仕事に向かった。
夜勤の巡回は二人一組になるように勤務が組まれていて、この班からは今夜は4組の警らが見廻りに出る。
曜日によって犯罪率や揉め事の数も違ってくるので配置は様々だが、夏の終わり頃の今時期は例年手を焼かされるような事件は少ない。
せいぜいが失恋した飲んだくれが暴れ回って取っ捕まえられ、朝まで涙ながらの身の上話を聞かされたりうっかりもらい泣きしたり「カツ丼食うか?」とか言ってみたりするくらいだ。
この一年のイェルク統計によると季節の変わり目は振られやすい。
要注意である。
巡回ルートはあるにはあるが、そればっかり回っていると裏で悪い事をされるので、ふらっと裏道に回ってみたりもする。
夜勤は大抵ベテランと組んでもらえるイェルクは、師匠たちに日々人生の脇道を教えてもらっていた。
スヴェン師匠の素敵レッスンは今期6度目である。
「師匠、今日はどこ行きますか」
ちなみにこれは純然たる職務だ。
「期待しているところ悪いが、この話は全年齢対象だ。
破廉恥な想像は慎むように」
「だれに言ってるんすか師匠?」
「一度お前は連れていかにゃならんと思っていたところがあってだな」
「大人の階段上る覚悟はできてます」
「頬染めて伏し目がちに俯くな。
そこを右に、奥の細い道をいってみよう」
ガス灯はまだ主要な街路にしか普及していないため、少し逸れただけでそこは闇の帳の中だった。
さすがにもう慣れてしまったが、こうしてオイルランプの光だけを頼りに見知らぬ場所を探索するのは、何が起こるかわからない状況と合わせてとても恐ろしい。
けれどイェルクはこの仕事が嫌いではない。
師匠たちが軒並み面倒見がよい和気あいあいとした職場環境であることもさることながら、実際に誰かの助けになれるというのは、年若いイェルクの心を面映ゆくも喜色に染めた。
もっと幼いときはこんな仕事をするようになるなど考えたこともなかったが、警ら隊は近衛や騎士よりもずっとかっこいい、と今は思う。
状況が許すならば、ずっと警らをしていたい、と思う。
叶わないかもしれないけれど。
「えっと、師匠、行き止まりです」
「うん、壁際見てみろ」
「……なんで知ってんすかこんな道」
「警ら歴18年舐めんなよ?」
「マジっすか、スヴェン師匠おれが生まれた時から警らしてたんすか、ぱねぇ」
「やめろ、その言葉は地味に俺に効く」
やっと一人が通れそうな路にランプを掲げるが、全く先は見通せない。
促されて先に進入する。
なんとなくスヴェンが面白がっているのが伝わってきたので、とってもろくでもないことが起きたりしそうな予感がした。
「あー、とまれ、そこだ、壁側」
路の途中で言われ、目元までランプを掲げてイェルクは目を丸くした。
扉がある。
こんなん言われなきゃ絶対見落とす。
「大人の階段上らせてやんよ」
師匠はとてもわるいおとなの顔をしていた。