居眠り姫と王女様・17
イェルクのつづきじゃないんですすみませんすみませんすみません…
ツェーザルの正確な馬車さばきはたとえ雨でも変わらない。
ルドヴィカとザシャは向かい合わせに座りながら共に「脱輪してくれないかな」などという物騒なことを考えていた。
ユーリアは興味津々でヨーゼフに宮中の様子を訊ね、想像力をたくましくさせている。
社交家の本領を発揮しているヨーゼフはにこにこと機嫌よく応じ、突拍子もない質問に対しても、上手いことユーリアが喜ぶような返しをしていた。
リーナスは今日は伴わなかった。
「先代様がお帰りになられてから、お伴させていただく方が良いでしょう」とのことだった。
確かに、ヨーゼフがいなくなった後の方が共にいて欲しい。
きっかりと定刻で王宮正門前に着いてしまって、凸凹主従は大変がっかりとした。
もう逃げ道はない。
「…来ちまったよ」
「…覚悟を決めましょう」
ルドヴィカが潔くヨーゼフについて中へと入って行くのを、ザシャは謎の呻きを上げながらユーリアと共に続いた。
ユーリアは何もかもが珍しいといった風に、目を輝かせて周囲を見回している。
侍従としての殿上でなければ大いにザシャもそうしたかったのだが、ヨーゼフにどやされることを差し置いても気分はそれどころではなかった。
中に進むにつれてヨーゼフに進路を譲り頭を下げる人の数が多くなる。
この先はきっと伏魔殿に違いないとザシャは思った。
「一応ここから先は入るのに手続きが必要でね。
割愛するためにちょっと話してくるから、こちらの部屋で待っていてくれ、すぐ戻る」
いやそこ割愛していいの、とザシャは疑問に思ったが滅多なことは口にしないに限る。
通された部屋は応接間のように整っており、控えの侍女がいた。
ルドヴィカは堂々としたものだったが、ザシャとユーリアは客として席を勧められたことを大変恐縮し、「いや立ってます」「いえ、どうぞお寛ぎください」のやりとりを3度してからソファに座った。
すぐに茶が出されたが、手を付けていいものか迷う。
ザシャとユーリアは目を合わせて途方に暮れたが、ルドヴィカが「いただこうかしら」と呟いてカップを手にしたため、飲むのを確認してからおもむろに手に取った。
ルドヴィカは刺激物の摂取を制限されているので本当はここは断るべきなのだが、きっと職務を果たした侍女に気を遣ったのだろう。
お嬢様ってそういうところ父親似だよなー、とザシャは思った。
そして茶はラーラが淹れた並みに美味かった。
飲み終わらないうちにノックがされ、侍女が扉を開くとひとりの白い儀仗服を着た騎士が入って来て礼をした。
白。
ルドヴィカとザシャはそれが王宮付き近衛兵のものだとすぐに思い当たり、そのまま固まった。
ユーリアは一瞬目を輝かせて写生帳に手を伸ばしたが自制により固まった。
「ルドヴィカ・フォン・シャファト様、またお連れの皆様、お待たせ致しました。
私はメヒティルデ殿下付きの近衛、ヤン・エルプと申します」
…すっげー爽やか。
薄い茶髪に薄い水色の瞳という色素も手伝って、議場服の下は絶対にムキムキのはずなのに汗臭さのひとつも感じられない。
ザシャは何かに負けた気になった。
「ルドヴィカでございます。
エルプ様、どうぞ宜しくお願い致します」
立ち上がってルドヴィカが淑女の礼をとった。
慣れたもので器用にタロウを抱きつつ。
目を眇めて微笑み、近衛騎士はそれに「ヤンとお呼びください」と応じた。
一応ザシャも立ち上がって名乗りを上げることにした。
「ザシャ・ギーツェンです。
ルドヴィカお嬢様の従者です」
「ゆ、ユーリア・ミヒャルケですっ…えっと、絵描き、です…」
ザシャが立ち上がったのを見てユーリアも慌てて立ち上がり名乗った。
それに対してもヤンは微笑みを浮かべ、「宜しくお願い致します」と述べた。
「シャファト男爵がお待ちです、ご案内します、どうぞこちらへ」
ルドヴィカは部屋を出る際に侍女へ「残してしまってごめんなさい」と言った。
侍女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに首を垂れた。
もちろんザシャとユーリアは飲み干した。
いくらか廊下を進んだところで、甲冑を着けた騎士が立つ扉があった。
ヤンが目礼をすると勝手知った手つきで扉を開ける。
「どうぞ」とヤンが中へと入り、ルドヴィカがそれに続いた。
ザシャはユーリアを促して先に入れてから、最後に扉をくぐった。
「…迎えに行けずすまなかったな」
扉の先は庭園に側面した回廊で、ヨーゼフが立っていた。
外気に触れてヒヤリとしたが、それよりも三人ともヨーゼフが抱き上げているものに思いが向かった。
「…殿下を回廊より先にお連れするわけにはいかないのでな…ヤンに行ってもらった」
言いながら、ヨーゼフは首にしがみついている物体に目を向けた。
「殿下、お話していたわたしの孫娘です。
お顔を上げてくださいますか?」
長い金髪の頭が、いやいやと言うように振られた。
ヨーゼフはことのほか優しい瞳で、謡うように言った。
「メヒティルデ殿下、かわいらしい方。
あなたの下から去るために、連れてきたのではないのです。
再びあなたにお会いするために、連れてきたのです」
すんすんと、鼻をすする音が聞こえた。
「…ヨーゼフはまたきますか」
「来ますとも」
「ほんとうですか」
「もちろんです、殿下」
少し頭をもたげて、首がこちらを向いた。
最初に目に入ったのは、泣きはらしたとはいえ美しい碧眼だった。
すん、すん、と鼻を鳴らしながら、ヨーゼフの腕の中で身を起こしこちらを向いた姿は、まるで絵本から飛び出したかのような愛らしさだった。
「……かっ……かわいい…」
思わず声にしてしまったのはユーリアで、お陰様で声に出さずに済んだルドヴィカとザシャは、心中で胸をなでおろした。




