居眠り姫と王女様・15
かけた(驚愕)
「なんだよ、リヒャルト、もう騎士になったのかよ!なんで報せないんだよ!」
驚きと喜びでイェルクは思わず大股で歩み寄り声を上げた。
「うん…まだ、なってはいないんだけど…」
考えあぐねたように、リヒャルトは何かを言おうとしてから俯いた。
その顔は嬉しそうには決して見えなくて、イェルクは首を傾げた。
「まず、それぞれ自己紹介をしませんか」
黒髪の騎士が静かな声で言った。
ふたりは促されて長椅子に着き、イェルクも向き合う形でランドルフと並んで席に着いた。
「…君にとっては初めましてだろうから、そう言おうか。
初めまして、イェルク・フォン・シャファト君。
騎士団第二師団所属のクリストフ・シーラッハという」
「…シーラッハ…」
「…わかったね?そう、君とは縁続きだよ。
…一度だけ機会があってね…その時、赤ん坊の君を抱っこさせてもらった」
シーラッハ氏の述べることはここにいる全員にとっての初耳であったため、それぞれがそれぞれの意味で表情を変えた。
それが面白かったのか、シーラッハ氏は少し喉を鳴らして笑った。
イェルクだけが、表情を無くしていた。
「厳密にいえば君とははとこの関係だ。
できれば今後は近しくしたいね、特に我々若い世代は」
シーラッハ氏はイェルクの目を真っ直ぐに見て言った。
「昔のことは、昔のことだ」
イェルクはその目を見返した。
シーラッハ氏は、母と同じ灰色の瞳をしていて、だからこそどこか空々しい気持ちで、イェルクはただ見つめた。
「あなたが遣わされているのは、偶然ですか、それともわかっていてですか」
しん、と染み渡る声だった。
その声はイェルクにとっても自分のものには思えないような、どこか浮世離れした響きだった。
「――私が志願した」
シーラッハ氏は目を逸らさなかった。
しばらく見つめ合った後、おもむろにイェルクは席を立った。
そしてそのまま部屋を出ていこうとするのを誰も止められず、ドアノブに手をかけたイェルクにやっとスヴェンが「イェルク、どこへ行く」と声を掛けた。
「――頭、冷やしてきます」
振り返らずにそう告げ、扉は閉められた。
一拍置いた後にリヒャルトがはじけるように反応し、「いってきます」とシーラッハ氏に告げイェルクを追った。
残された者にはそれぞれの困惑があり、シーラッハ氏はその中でひとり、俯いて瞑目した。
****
「イェルク」
追いかけてきたリヒャルトの声に、事務棟の入口をいくらか出たところでイェルクは足を止めた。
雨は霧のようだった。
冷やすと言った頭は実は冴え冴えとしていて、心はさらに冷えていた。
笑顔を作ることができなくて、だから貼り付けたイェルクの無表情は、リヒャルトの眉根を寄せさせた。
「…シーラッハさんが、シャファト家に縁があるとは、知らなかった」
それでも、リヒャルトは訊ねた。
濡れそぼること構わずに、イェルクはその場で答えた。
「母さんの方の…ばあちゃんの実家」
リヒャルトははっとした。
そしてすぐに訊ねたことを後悔した。
それは踏み入ってはいけないことだったから。
「調べればわかることだけど」
「…ごめん」
「なんで謝るの」
俯いたリヒャルトを見て、イェルクは笑った。
「それよりリヒャルト、騎士になったんじゃないの?その服は?」
「うん…うん。
…たくさん、話したいことがあるんだ」
「うん、久しぶりだしね。
それに…なんで、今回の話し合いにリヒャルトがいるの」
イェルクの声は落ち着いて静かで、深い夜の湖畔を思わせるその瞳は雨の故か濡れて見えた。
リヒャルトは最初から、飾る言葉を持たなかった。
「君に、お願いに来た…騎士になって欲しい、僕のために」
イェルクの瞳が揺れた。
雨は止まない。




