居眠り姫と王女様・13
音もなく柔らかな雨が降った。
肌を濡らすそれを避けもせずにエドゥアルトは空を見上げた。
何かを誰かに謝らなければならない気持ちだった。
けれどそれが何かはわからなかった。
硬い表情をした従騎士のリヒャルトが、慣れない儀仗服に戸惑いつつエドゥアルトの執務室を訪れた。
いくらかの励ましと感謝を伝えると彼は少し微笑んで、自分も感謝している、と伝えてきた。
衒いのないその瞳にエドゥアルトの心は少し屈んで、それを悟られまいと同じ様に笑った。
いつもの交渉役の騎士と共に連れ立って行くその背中を見送って、エドゥアルトはしばらくそのまま立ち呆けて濡れていた。
何かを誰かに謝らなければならない気持ちだった。
けれどそれが何かはわからなかった。
****
霧のような雨が降りてきて、ユーリアは空を見上げた。
すぐに移動するほどではないが、ずっとここにいれば写生帳がだめになってしまう。
立ち上がったところを見計らったかのように背後から声を掛けられた。
「ミヒャルケさーん、昼できたから一緒に食べよー」
振り返ると、東屋の方向にザシャとその背にすっぽりと隠れた(けれどドレスの裾が見えている)ルドヴィカがいた。
ご厚意に甘えることにして、ユーリアは微笑んだ。
****
朝廷に廷臣宿舎の食堂があるように、王宮には王宮の、そこに務める者たちが用いる議員食堂がある。
議員と名をつけられてはいるが、そこを用いることができるのは宮廷会議に参加資格がある者たちだけではなくて、王族の近習や側仕えたちといった、王宮内での仕事に就いている者たちも当然用いることができる。
いくらか使用する席の区分はあれど、身分を越えての憩いの場所となっていた。
厳密に言うとヨーゼフはもうそこを用いることはできないのだが、古参のウェイターが「お久しぶりです、議長」と目を細めて喜んでくれたのがとても嬉しかった。
「…おまえはもう、戻らないのか」
元同僚のマリアンは、そのウェイターの姿を見送った後にぽつりと言った。
「わたしがどれだけ抜けたがっていたかおまえも知っているだろうが」
ヨーゼフは厨房から、と運ばれてきた、現役時代に好んで飲んでいた風味だけの薄い酒を舐めながら答えた。
「…おまえが必要なんだよ」
「ジークに似てきたな、マリアン」
「茶化すな、本当のことだ」
「悪いが断る、わたしはもうじいさんだ。
先も長くないだろう」
「なに言ってるんだ、そんなにピンシャンして」
「寄る年波には勝てんよ、前ほど飲めなくなった」
言って、ヨーゼフは手にした香りのしない盃をくゆらせた。
「これくらいがちょうどいい」
「おまえはまだ残るのだろう、マリアン?」
「そりゃそうさ、今わたしが抜けたらどうなる?」
マリアンは口をつぐんで、その先を述べなかった。
運ばれてきた定食を受け取る。
ヨーゼフは日替わりのA定食を頼んだのだが、なんだか見本といろいろ違った。
「厨房からです」
古参ウェイターはこらえきれない笑いをこぼしながら言った。
さて、どうしたものか。
若い時よりめっきり細くなってしまった胃を抱えながら、ヨーゼフは若いころの好物がたんまりと盛られた定食へと、背を正して向き直った。
****
ヴィンツェンツは廷臣宿舎食堂へ行きたがらない。
なので、大抵は出前という形で秘書室で一緒に食べる。
なんとなく、ユリアンは言ってみた。
「…食堂で食べませんか、ヴィン?」
少しの沈黙が続いて、トビアスが不安そうな瞳を上げたときに、ヴィンツェンツは頷いた。
****
「おばちゃん焼肉定食追加ー!」
スヴェンとランドルフは「おまえ、若ぇな」という顔でイェルクを見つめた。
****
アロイスは昨日使者から受け取った手紙に関する手配を終えて、息を吐いた。
まさかあのご令嬢が最早顧客となっているとは思わなかった。
そのご本人への手紙をしたためるために、もう一度机についた。
****
「…えー、そろそろ昼ですし。
皆さん、一息入れませんか?」
白熱する議論の中、エルヴィンはとりあえず言ってみた。
「わかった…エルヴィン、なんか買ってこい」
パシられた。




