居眠り姫と王女様・11
かいたorz
朝起きて冷たい水で顔を洗い気合いを入れた。
今日は負けられない日だった。
イェルクは洗面台の鏡を見た。
水が頬を滴り落ちて寝間着の首元を濡らした。
なかなかいい顔してんじゃね?僕。
そう考えられる程度には、気持ちは落ち着いていた。
だから心をよぎったテオの言葉を、見えないように包んで仕舞った。
仕舞った胸が痛んだ気がした。
家を出るときに父に訊かれた。
「今日はなにかあるのか」と。
そんなにわかりやすかっただろうか。
イェルクは端的に「話し合いがあるんだ」、とだけ告げた。
それだけで父は理解して、肩を叩いて「いってこい」と言った。
イェルクは頷いた。
「いってくる」
朝、少しだけ通り雨があったらしい。
濡れた路を踏みしめて、イェルクは警ら隊詰め所棟へと向かった。
****
イェルクを見送ったそのままの足で、ユリアンは送りの馬車に乗り込んだ。
とてもすっきりとした顔をした息子は、きっと納得のいく結論を出せるだろう。
知らずに笑みを口元に刻み、よかった、とユリアンは呟いた。
出仕すると秘書室前でヨーゼフが待ち構えていて、「少し話せるか」と別室の方を示した。
「どうしました父さん。
あまり顔色がよくないですね、飲み過ぎですか」
「まあそんな感じだ、放っておけ。
それよりも、メヒティルデ殿下のことだが」
少し痛ましげな表情を見せてから、ヨーゼフは続けた。
「重症だ、すぐにでもルイーゼを連れてきたい」
ユリアンは目を丸くした。
「なにがです、重症って」
「ご友人がいない弊害がわたしだ。
周りが大人しかいない状況は、あの御年では歪すぎる」
言葉を選ぶようにヨーゼフは逡巡した。
「せめて近しい年齢のご令嬢がいればいいのだが」
いないことはないことについてはユリアンも知っている。
しかしそれについては互いに触れなかった。
「父さんが遊び相手な時点でいろいろおかしいですからね」
「仕方がない、そうそう誰でもよいわけではないのだから。
だから、ルイーゼだ」
「しかし、一応確認しますが、いいのですか。
わたしの上司はジーゲルトですよ?」
状況と言葉の意味を正確に理解しているからこそ、ユリアンは訊ねた。
ヨーゼフは頷いた。
「構わん、問題ない。
彼は伯爵位で、御家の位を世襲していないだろう。
御家と彼の隔絶は朝廷では有名な話だしな。
それに…話して思ったが、彼は取り込むことができるような人間か?」
「まあ、ないですね。
彼は彼ですから」
頷いて「構いませんよ、ルイーゼさえよければ、わたしは」とユリアンは言った。
「すぐっていつです?今日ですか?」
「そうだな、わたしもずっと王都に居られるわけでもない」
ヨーゼフは後ろ髪を引かれるかのようにため息を吐いた。
「メヒティルデ殿下の笑顔を見届けて、それから帰ることにしよう」
その言葉になんとなく、ユリアンはイェルクのことを思い出した。
きっと小さい頃のイェルクのように、メヒティルデ殿下は泣いておいでなのだろう、と思った。
「…それと、おまえには伝えておこうと思うのだが」
伝えられた予期していなかった言葉に、ユリアンは目を張り、ため息を吐いた。
「そりゃ、尚書室も忙しいわけだ」
****
「あの…おはようございます」
庭師のファビアンに声をかけさえすれば、自由に出入りしていいとの許可を得たユーリアは、その背中を見つけて挨拶をした。
少しだけ首をこちらに向けて頷き、そのままファビアンは仕事に戻った。
話に聞くところによると、こんなに広いのにシャファト家の庭園は貴族位の屋敷としては小さい規模らしい。
ぐるっと回って見ただけで昨日は1時間近くかかったというのに。
そもそもユーリアは貴族位の人間との直接の付き合いなどこれまでなかったし、お屋敷を訪問するなんて機会ももちろんなかった。
だから他と比べることはできないが、ルドヴィカ嬢が本当にシャファト家でよかった、と思う。
…これで小さいって。
アロイスが最初に告げた「ルドヴィカ嬢は一般の令嬢とは違う」という言葉の意味が、なんとなくユーリアにも分かりかけてきている。
たぶんシャファト家のお嬢様だからだ。
仕草や言葉遣い、また態度に品の良さはにじみ出てはいるのだが、ユーリアや一般的な平民が考えるような悪い意味での貴族然としたところがない。
お会いしたことはないが、きっと他のご家族もそうなのではないかとユーリアは考えている。
それは従僕らが実にのびのびとしている様子からも窺えた。
顔色を読んで仕事をしなければならない環境であれば、もっとギスギスするものだろう。
この場所で描こうと決めたところで、持参した折りたたみの踏み台を置いて腰かけた。
そこからは、名前の知らない白い愛らしい花が、お屋敷を取り囲んで守っているように見えたから。
ユーリアは写生帳を開くと、一度深呼吸してからそれに向かった。




