居眠り姫と王女様・9
ユーリアは煮詰まって思いきってシャファト家へやってきた。
『いねむりひめ』が生まれた環境に行けば、なにか違うひらめきが得られるかもしれないと思ったからだ。
門前で立ちすくみそっと中を覗くと、すごい勢いで馬車が飛び出してきて、あっという間に道を曲がり見えなくなった。
ユーリアは呆気にとられた。
「あれー?ミヒャルケさんじゃねー?」
遠くから声をかけられてびくっとし、ユーリアは恐る恐るそちらを見た。
先日ザシャと名乗ってくれた、ルドヴィカ嬢の付き人である大男が、ゆっくりとした大きな歩幅でこちらに向かってきた。
「どうしたのー?お嬢様に会いに来た?」
慌てて向き直り頭を下げると、どう言ったものかとユーリアは思案した。
そのまま行き詰まっていると告げてよいものだろうか。
しかし他に言いようがなくて、ユーリアは「…写生を、させていただきたくて」と言った。
「写生?いんじゃない?なに?誰?あ、俺描いてよ俺」
ザシャはにこにこしながら言った。
「おじょうさまーミヒャルケさん、写生しにきたんだって!いいよなー?」
玄関前で小さな少女が大きく何度も頷いたのが見えた。
「うん、なに描く?俺案内するよー」
「あ、ありがとうございます!あの…『いねむりひめ』が生まれた背景というか、イメージの源泉みたいのが、知りたくて」
言葉を選ぶように押し黙ってから、ユーリアは言った。
「お屋敷と、お庭を、見せていただきたいです」
「わかった。
じゃ、先庭みる?」
言ってザシャは先導するようにゆっくりと歩き始めた。
ユーリアがついてこられるように歩幅は狭められている。
弾かれたようにユーリアはそれに続いた。
「えーとこれ、まず東屋。
眠くなっちゃったときのお嬢様の避難場所」
門の外からも見える位置にあった東屋は、比較的最近作られたものなのか、まだ柱に塗られた塗料がてらてらと光っていた。
「こいつ、俺の後輩。
俺が来てから作られたから」柱を何度か叩いてザシャは言った。
「この裏の方に薔園あるよ。
まだつぼみのが多いけど、庭師の力作だから見てよ」
路を逸れて奥へと進む。
言われた通り背の高い薔薇の生垣があり、よく手入れされたそれは恐らくこれから見頃を迎えるのだろう。
「ファビアンさん!いる?」
ザシャが声を上げると、奥まった所から「なんだ、ぼんず!」と返答があった。
「お客さん!花、紹介してやって!」
恐縮し縮こまっていると、がっしりとした体格の熟年男性が現れ、じろりとユーリアを見た。
アロイスみたい、とユーリアはその時思った。
本人はそんなつもりはなくても、まるで睨んでいるかのように誤解されてしまう。
きっとそんな人だろうと当りを付けて、ユーリアは笑顔を返した。
ファビアンは少し鼻白んだ。
「おー、すげーやミヒャルケさん。
ファビアンさんに動じないってさ」
面白そうに声を上げて笑うと、ザシャは「ファビアンさん、こちらミヒャルケさん。
お嬢様の童話の絵を描いてくれる人。
写生したいってことだから、ここぞっていうところ見せてやってよ」と言った。
頷くと、ファビアンは言葉少なに案内を始めた。
****
「――皆さま、わかっていらっしゃいますわね?」
ザシャがユーリアを連れて庭へと入って行った姿を認めた後、ルドヴィカは静かに呟いた。
「厨房には既に知らせました。
今ザビーネが応接間の準備を指示しています」
リーナスが答えた。
正式な夕餐の招待がだめだというのなら。
非公式の茶会で歓待すればいいのである!
ルドヴィカは満足げに微笑んだ。
****
一国の王たる者私情で権力を用いてはならないとひとこと言いに行きたかったが、それは後ほど時間を取るとして、ヨーゼフはまずメヒティルデの部屋へと向かった。
思っていた以上に随分と懐かれていたらしい。
まさか自分の姿が見えないという理由で嘆かれるとも思わず、どうしていいものやらとヨーゼフは内心複雑な思いだった。
近衛に先導され、部屋に着く。
通された場所はここ最近メヒティルデと共に遊戯板や人形で戯れていた部屋だ。
人形遊びをするとき、ヨーゼフはいつも「おとうさん」の役だった。
メヒティルデの言う「おとうさん」は、「おもうさま」とは違うようだった。
「殿下、参りました」
部屋の隅の方で小さく丸まっていた背中に、ヨーゼフは声を掛けた。
びくり、と肩が揺れ、振り返った愛らしい顔は乾いた涙の跡が痛々しかった。
しゃがんで手を差し伸べると、メヒティルデはヨーゼフの腕の中に飛び込んだ。
「ヨーゼフはおうとにいます!」
思い出したようにしゃくりあげながらメヒティルデは言った。
「はい、今は。
しかし、しばらく後に領地へと参ります」
「だめです!おうとにいます!」
小さなこぶしでヨーゼフの肩を叩いて、メヒティルデはすすり泣いた。
…この生き物可愛い。
背中を撫でながらメヒティルデを抱き上げると、あやして部屋を歩き回りヨーゼフは少し昔のことを思い出した。
小さい頃、イェルクもこうしてヨーゼフを引き留めた。
何度予定を延ばしたかわからない。
知恵がついたころには馬車の車輪に細工までして引き留めてきた。
そんなイェルクももう成人した大人だった。
月日が経つのはなんて早いのだろう。
もう引き留めるどころか「早く帰んなよ」なんてつれないことを言うようになってしまったが、変わらないものもある。
変わらずにヨーゼフはイェルクを愛していて、変わらずにイェルクはヨーゼフを「じーじ」と呼ぶ。
将来メヒティルデは変わらずにヨーゼフを望んでくれるだろうか。
そんなことを、ふと考えた。




