居眠り姫と王女様・7
胃の痛さがなおらない
朝からヴィンツェンツが人並みに仕事をしていて(しかし、彼本来並みではない)、ユリアンとトビアスはなにか幻術にでもかけられているのではないかと自分の手の甲にペンを刺してみたりしたが、ただ痛いだけだった。
しかし、しばらくしてからなぜかヴィンツェンツは自分の部屋ではなく秘書室に居座り、仕事を邪魔するでもなく静かに床に座り込んで書類を捌いていた。
「…部屋に戻りなさい、ヴィン」
ヴィンツェンツは聞こえないふりをした。
「子どもの遊びじゃないんですよ…あんたが手にしてる書類は機密文書です」
「……」
「戻って自分の机で作業なさい」
「……」
ユリアンはため息を吐いてそれ以上は何も言わなかった。
「ひとりで作業するのは寂しいよねぇ。
いっそのこと、尚書室と秘書室、繋げちゃおうかー」
トビアスがものすごい速さでそろばんを弾きながらのんびりと言った。
ヴィンツェンツが反応した。
「なに言ってるんです、何のために部屋が分かれていると思ってるんですか。
そもそもわたしたちは秘書、ヴィンが国璽尚書ですよ。
本来なら尚書以外が扱っちゃいけない文書がたくさんあるんですよ。
そこはちゃんとけじめをつけるべきだ」
「うーん、でも、扉はなくてもいいんじゃない?どのみち行き来するし?ヴィンもこっちくるし?」
どうにもトビアスはちゃんと仕事をしているヴィンツェンツに甘いようだった。
「それか、もうひとつここに机置こう。
機密文書は尚書室でやって、それ以外はヴィンもこっちにいればいいんだよ」
にこにこしながら言うと、トビアスは「備品購入申請出しておくねー」と続けた。
ヴィンツェンツは何も言わなかったが、一度部屋に戻り、新たな書類を持ってきて床に座った。
ユリアンはまたひとつため息を吐いた。
「…椅子持ってきなさい、ヴィン。
新しい机が来るまで、わたしの机半分使いなさい」
結局、ユリアンも甘かった。
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「なにをぼっとしてる、リヒャルト?」
主の騎士に呼びかけられ、リヒャルトははっとして慌てて顔を上げた。
フェルディナント・ゲゼルは4年前からリヒャルトを庇護している騎士であり、一昨年従騎士へと昇格したことについても本当に喜んでくれたひとりだ。
リヒャルトが、第二師団師団長から呼び出しを受けたことももちろん知っている。
なにがあったのか、と同行を申し出てくれたくらいだ。
なので、リヒャルトが思いに沈んでいるのもそれが原因であろうことは気付いているはずだった。
「――話す気はないか?」
何を、とはフェルディナントは言わなかった。
リヒャルトはためらった。
本当に騎士を目指す者であれば、エドゥアルトと話した内容は決して褒められたことではないから。
そして、そのことでリヒャルトはどうしてもずっとフェルディナントに告げることができずにいることがあった。
「御家の、ことだろう」
見透かしたかのように告げられ、リヒャルトは息を飲んだ。
真っ直ぐに目を見ると、飴色のその瞳は気遣わし気にしかめられていた。
「どうして…」リヒャルトがそれだけ声に出すと、フェルディナントは答えた。
「私はお前の庇護者だよ。
この王宮で、一番にお前を案じているのは、私だ」
言いようのない気持ちに胸がいっぱいになり、リヒャルトは口を開いて、何も言えずにまた閉じた。
「…お前から、言ってくれるのを待っていた」
自嘲を伴ったその声にリヒャルトは俯いた。
申し訳なくて、情けなくて、けれどどうしようもなくて、唇を噛んだ。
「キュンツェル大佐からも、話は通されてる。
私は、反対しない」
驚いて、もう一度顔を上げると、それを遮るように頭を撫でられた。
ぐしゃぐしゃと乱暴に。
「…お前は、悪くないのになぁ…」
ぽつりと降ってきた言葉に、リヒャルトは息を止めた。
びっくりして声が出なかった。
なによりも、欲しい言葉だったから。
「…お前は、頑張っているのになぁ…」
奥歯を噛み締めると、ぐぅ、と声が出た。
理解して認めてくれる人がこんなに近くにいた。
それに気付けて、ありがたくて、リヒャルトは少し、泣いた。




