居眠り姫と商人の長・3
「思った通りイケおじ様でしたわ!!」
辞した後帰りの馬車の中でルドヴィカは全力ではしゃいだ。
ザシャは全力でぐったりとした。
「…これなんて説明すれば…いったいなにが…」
「ねぇザシャ、やっぱり素敵な方だったでしょう?ね?」
「そうっすか、お嬢様にはそう見えたんすか、ようございました」
「なぜ遠い目をするの、こっちを向いてちょうだい」
「お嬢様がこんなに遠い存在に思えたのは初めてですよ…」
なんかもう関わりたくない。
なんで知り合いなのとかどうやって知り合ったのとか童話ってなに、いったい何を頼んだのとか。
いろいろ沸いた疑問は知ったら最後な気がするので絶対質問しない。
「まあ、では身近に感じるようにわたくしとイグナース様が文通するようになったいきさつを「知りたくないんで言わんでくれ」」
「「……」」
「とりあえずあったことだけはお館様に報告するんで、お嬢様は自分で説明してくれ」
「えー、いや、ザシャも一緒がいいわ」
「勘弁してくれ、何が悲しゅうてこれ以上『緋狐』と関わらなきゃならんのだ」
「白髪でしたわねー。
やっぱり噂なんて当てになりませんわよザシャ、なのでこれからもよろしくね?」
「あー…転職したい、今すぐしたい、切実にしたい」
イグナースは年若いころ赤髪だったとされている。
『緋狐』はその折についた二つ名で、今もその呼称を以て恐れられている。
実際にどこまでの実権があるのかは知れないが、彼が押さえているのは商の戸口だけではないのは誰もが知るところだった。
なんにせよ気軽に知り合えたり気軽にものを頼めたりできない人である。
「わたくしからお手紙を差し上げましたの。
そしたらお返事をいただけたのですわ」
勝手に語って聞かせることにしたらしいルドヴィカは何のこともなさげに言った。
世間知らずとは思っていたが常識外とは知らなかった…とまたザシャは遠い目になった。
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イグナースは年若い友人とその共を見送った後、使用人に人を呼びにやらせた。
執務室に戻り、彼は手にした原稿をまた読み通し、先ほどの愛らしい令嬢を思い出して微笑んだ。
14と聞いていたがそれよりも幼く見える。
緩く波打った黒髪に藍に近い蒼い瞳。
くるくると変わる表情は手紙の印象と何も変わらず、安堵にも似た気持ちを彼は抱いた。
半年以上前、ダ・コスタ商会気付で自分宛の手紙が届いたとき、いったい何の仕込みの罠か担ぎかと思ったものだった。
内容は少女が書きそうな文体と筆致で、突然の手紙を詫びつつ相談したいことがあるとのことだった。
一通りフォン・シャファト家の周りを洗い、七代遡ってもまるで自分と交わることのない清廉潔白な家格と知り、まるで意味が分からなかった。
いったいなんで見ず知らずの一般の令嬢から、こんな古狐に相談の手紙が来るんだ。
たしかに、彼女は「普通の」令嬢ではなかった。
噂を拾えば「居眠り姫」とあざ名され、どこぞの茶会で倒れただの、貴人の前で寝入っただの、致命的とは言わずとも十分に傷のついた評判の娘ではあった。
返信をしたためたのは純然たる好奇心だ。
まず何故自分に相談しようと思ったのかが気になったし、さらにその内容も気になった。
その「居眠り姫」たる理由に相談の内容があるだろうとは思ったが、実際は想像の斜め上を行ってさらに158度くらい後退したものだった。
さりとて、難しい頼みではない。
待ち人がドアをノックしたのを合図に思案から浮上し、イグナースは返事をして招き入れた。