居眠り姫と法規の司・14
今日はちょっと飲んで帰らないか、とニクラスに言われたので、いいですね、と言っていたイェルクだったが、夕時に詰め所に戻るとヨーゼフから「大切な話をするので遅くならずに帰るように」との伝言があり、断念した。
「まあいつでも飲めるしなー」とニクラスは手を振って応じた。
その言葉が今のイェルクにとってどれだけ嬉しいことなのか、たぶん彼は知らない。
夜勤者との引継ぎをしていると、ランドルフが「帰りにちょっと寄れ」と声を掛けてきた。
「イェルクです」
ノックして誰何に答え、扉を開けた。
中にスヴェンもいて、少しだけイェルクは俯いた。
「騎士団の方から話し合いの申し込みがあった」
ランドルフは前置きせず述べた。
イェルクは身を固くして、「はい」と答えた。
なにが「はい」なのか、我ながらわからなかった。
「明後日だ。
あちらは二人で来るそうだ。
場所は事務棟。
2班の隊長、副長と、俺たちも同席する」
イェルクはランドルフからスヴェンに目を移した。
真っ直ぐに視線を返された。
「勝負所だ、イェルク。
―― 勝ちにいくぞ」
「はい」とイェルクは答えた。
この「はい」は本当の「はい」だった。
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「でなんでこんなに人いんの」
自室で着替えてから食事室に来たイェルクは、ここ数年見たことのない人数が席に着いているのを見て開口一番そう言った。
「うんまあ…成り行き?」とユリアンが言った。
何人か初めましての人がいたので、挨拶するとなんと父の上司と同僚。
え、なに、今日何の日。
何故かザシャまで席に着いている。
「なんで、ザシャ」
「いや、先代様がお前も残れって言うから…」
なんとなくでかい体を居心地悪そうに小さくしている。
え、なんかすっごい嫌な予感。
イェルクは急遽腹痛に罹患しようと試みたが、現役医師がいることに気付き断念した。
食事が運ばれてきて、しばらくはトビアスの話に乗っかる形でエルヴィンやヴィンツェンツが宮廷や宮廷会議に関する話に興じ、それにユリアンやヨーゼフが時々注釈をつけた。
ルドヴィカは興味津々で耳を傾け、イェルクはふーん、と聞き流した。
ザシャはとりあえず食事に集中した。
メインが下げられた後、ヨーゼフがおもむろに口を開いた。
「さて…よかったらここにいる皆さんに聞いていただきたいのだが」
ユリアンとイェルクの顔色が変わった。
控えていたリーナスはさらに空気になった。
「わたしは最近王宮に呼ばれて行っていた。
ジークヴァルト陛下から個人的な相談を受けていた」
なにそれ話でかい聞いてない勘弁してよ、とルドヴィカを除くその場にいたシャファト家関係者全員の心が一致した。
トビアスは「さすがです、シャファト議長!」と目をきらきらさせていた。
「ご息女であるメヒティルデ殿下の件でだ。
今年6歳になられたが、まだ本格的な淑女教育を受けられていない。
ご本人がそれほど熱心ではないことが原因だ」
シャファト家一同はめいめい固唾を呑んだ。
「そしてひとつ、陛下からお願いをされてきた。
シャファト家に――ルイーゼに」
皆の目がルドヴィカに集中した。
ルドヴィカは目を瞬いた。
「わたくしにですの?」
「そうだよ、ルイーゼ」
「今メヒティルデ殿下の下には手本となる年長者がいない。
なので――ルイーゼ、お前にメヒティルデ殿下のコンパニオンを務めてもらえないか、と打診があった」
場が静まり返った。
ややあって、がたっと音を立ててイェルクが席を立った。
「…そんな…そんな、あり得ない…!」
わなわなと震えて首を何度も降りつつイェルクが呟いた。
「――じーじからの提案が!そんな!穏便な!話な!わけがない!」
びしっと指をヨーゼフへと指してイェルクは叫んだ。
おおむね同意、とユリアンとリーナスは思った。
「…他になにかあるでしょう、父さん」
ユリアンが目頭を押さえつつ言った。
「なにも。
本当にそれだけだ」
ヨーゼフはにこにこと答えた。
「じゃあなんでこんな大勢の前で言うのです」
「ルイーゼのことをよく知る者、それにこれから世話になるかもしれない方たちだ、意見を訊いてもいいと思った」
ずっと黙っていたエルヴィンが口を開いた。
「主治医から言わせていただくと――賛成ですね」
運ばれてきたデザートを受けつつ、言葉を続けた。
「日中活動が増えるのは好ましい。
ましてコンパニオンとなれば、それほど体力を使うことなく、けれど意識を保たせる訓練になるでしょう。
わたしとしては、やって欲しいですね」
「話がわかるな、エルヴィン君!」
ヨーゼフが上機嫌になった。
「すごい…すごいじゃないか、シャファト君…!」
トビアスが興奮した体で言った。
「そうだよ、君の娘さんで、シャファト議長のお孫さんだもの!こんな相応しいことはないよ!」
今日半日でトビアスがシャファト家を崇敬していることが明らかになった。
いや、ただの伯爵家、落ち着きたまえ、と心でユリアンがつっこんだ。
「いーじゃん、ユリアン。
娘近くにいた方が安心だろ?」
デザートをつつきながらヴィンツェンツが言った。
「王宮からなら一緒に帰れるようになるしな」
その言葉がちゃんと仕事をする、という意味だとユリアンとトビアスは気付いて、ヴィンツェンツを見てふたりで目を丸くした。
当人のことなのに話から置いてけぼりになっていたルドヴィカは、ただひたすらきょとんとしていた。
「どうだい、ルイーゼ、やってみる気はないか?」
「ええと、ええと…わたくし、なにをしますの?」
「メヒティルデ殿下の、話し相手をしてほしいのだ。
そして淑女としての良き手本となってほしい」
「まああ!」
ルドヴィカは動揺して言った。
「手本だなんてそんな!わたくしはただの伯爵家の娘ですわ!王女殿下の手本だなんて!」
「ジークヴァルト陛下が、是非に、と言ってくれているのだよ。
実は、以前からメヒティルデ殿下については相談を受けていた」
ただ、時ではなかった。
「家格は問題ないよ。
そしてルイーゼ、お前は手本になれる立派な淑女だ、自信を持ちなさい」
「でも――そうだとしても…」
ルドヴィカは俯いた。
「わたくしは、『居眠り姫』ですもの…」
落ちた沈黙に、ユリアンが口を開いた。
「…やってみたらどうだい、ルイーゼ」
眉を下げたままのルドヴィカに、ユリアンは続けて言った。
「エルヴィン先生が許可してくださっているのだから、問題はなにもないよ。
君に無理がかからない範囲に留めればいい。
他人の言葉は、気にしなくていい。
――わたしがいるから」
「――まあ、そうだね」
イェルクが言葉を継いだ。
「そろそろいい頃合いかもね、表に出るにはさ。
ルイーゼ、やんなよ、外野は黙らせるから。
父さんとじーじが」
「いや、協力しろよ、イェルク」
「だって僕警らだし。
王宮関係ないし」
「…ひとりで行くのは不安です…」
「それは大丈夫だ、侍従をつけることが前提だ。
お前のザシャを一緒に行かせるよ」
「うぇあえええええっ?!俺ーーー?!」
我関せずでデザートに一生懸命ナイフを入れていたザシャは、ヨーゼフに名を挙げられて叫んだ。
「か、勘弁してくださいよ、先代様!俺、王宮なんかムリっすよ!そんな立派なとこの作法なんかわかりませんよ!」
「大丈夫だ、わたしがこちらにいる間にみっちり仕込んでやる。
宮廷侍従に退けをとったらシャファト家の恥だ、覚悟しておけ」
ヨーゼフの言葉にザシャは青ざめ、トビアスは「いいなぁ」と呟いた。
きりがいいので(?)次の話で第一部おわります




