居眠り姫と法規の司・10
うん、ぜったい今日でおわらせるから、この仕事!
うん!
たのしいよ、現実逃避!ヾ(*´∀`*)ノ
「ヨーゼフ!きた!」
飛び出してきたのは愛らしい金髪の少女で、なにがおかしいのかころころと笑い転げる少女を、ヨーゼフは腰をかがめて抱き留めた。
「メヒティルデ殿下、淑女は走ってはなりません」
窘めながらもヨーゼフの眦は下がっていた。
「わたくししゅくじょじゃありません、おおきなししなのです!」
「獅子?」
「そうです、ヨーゼフをたべてしまうのです!」
がおー、と両手を挙げた少女を、ヨーゼフは「では捕獲せねばなりませんね」と抱き上げて扉をくぐった。
けたけたと少女は身をよじりながら笑った。
「シャファト男爵、申し訳ありません!」
宮廷女官が血相を変えてやってきた。
「ほら、ナディヤもはしっているのです、しゅくじょはいないのです!」
「殿下がこうして走ってこられるから、ナディヤ嬢も走らねばならなくなるのですよ」
「みんなししなのです!」
獅子ごっこが楽しくて仕方ないのか、自分の言葉に少女はまたころころと笑った。
御年6歳のメヒティルデ王女は、国王陛下の老齢にできた末の子として愛されて育ってきたため、少々幼く、お転婆のきらいがある。
ヨーゼフは孫が増えた気持ちで接していたが、メヒティルデにとってはいい遊び相手と認識されたようで、最近こうして王宮に来るたびに突撃されていた。
「一緒に御父上のところへ参りましょうか?」
「だめです、ヨーゼフはいきません!わたくしとあそぶのです!」
「それは御父上とのお話が終わってからですよ」
「おもうさまとヨーゼフは、むずかしいはなししかしません、だからだめです!」
「おやおや、困った」
あまり困っていない声色でヨーゼフは笑った。
「あなたのお話をしているんですよ、殿下」
「わたくしの?」
興味を引かれたようにメヒティルデはヨーゼフの顔を見た。
「ええ、殿下が立派な淑女になるにはどうしたらよいか、と」
「わたくしはししになるのです!」
憤然とメヒティルデは答えた。
ヨーゼフは笑みを深くして応じた。
「ええ、獅子のように気高く品位のある、素敵な淑女になりましょう」
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多少よれっとしたエルヴィン医師が往診に現れて、客間はにわかに社交場の体を擁した。
まったく接点のないヴィンツェンツとエルヴィン医師だが、なにか互いに感ずるものがあったらしい。
ルドヴィカが自室に立てこもってしまったため、出てくるまではザシャも含めた適齢期独身男性のお悩み相談会になった。
ラーラは茶を淹れた後空気を読んですみやかに下がった。
はじめて会ってこれとか不思議、とザシャは思った。
「そもそも、わたしは結婚に向いていないと思うんだよ」
エルヴィンが前のめりで言ったことに、「なんで」とヴィンツェンツが訊ねた。
「あんた、ふつーの人に見えるけど。
ふつーの人は、ふつーに結婚するんじゃないの」
「君の言うふつーが何を基準にしているか知らないが」前置きをしてエルヴィン医師は応えた。
「わたしは研究を愛しているし、伴侶に選んだのはこの生き方だ。
今さら妻を持てと言われても困る」
「ふーん」
「君はどうなんだ、わたしにばかり暴露させるな」
「おれはユリアンの息子になる」
「は?」
「え?なんすか、お館様がなに?」
「おれはルドヴィカ嬢を嫁に取ると決めた」
「「……は?」」
「…え、なに?お嬢様?え?」
「えーと、わたしの理解によるとルドヴィカ嬢とはこのお屋敷のお嬢さんで…すなわちフォン・シャファト家のご息女なわけだが…」
「うん、おれが嫁にもらうんだ」
「え…いや」ザシャがなに言ってんのこの人、と思いながら言った。
「お嬢様、お披露目も済んでない14歳だって知ってます?」
「君いったいいくつだ」
「34」
「ないわー」
ザシャは思わず言った。
エルヴィンも多少ひきつった顔で頷いた。
「彼女はまだまだ子どもだよ。
君の好みにとやかく言うつもりはないが、20違いはさすがに世間が騒ぐだろう」
「うん、でも、ユリアンの息子になるにはそれが手っ取り早いし。
それに、知りたいんだ」
「なにを」
「『いねむりひめ』の続き」
ザシャは目を丸くし、エルヴィンはすっと医者の顔になった。
「どうしてそれが知りたい?君は」
「わからない。
でも、知りたい」
「そのためにはルドヴィカ嬢との結婚が必要だと?」
「わからない。
でも、『いねむりひめ』は、彼女だから」
ヴィンツェンツは逡巡してから言葉を紡いだ。
「彼女が幸せになるか、みたい」
部屋に静寂が落ちた。
「ヴィンツェンツ君、わたしたちは時々会おう」
「なんで」
「君が幸せになるか見たい、っていうことでいいか?」
「なんだそれ」
ヴィンツェンツは笑った。
「ふつーの人は、やっぱなんか違うなぁ」
くつくつと喉を鳴らして笑うヴィンツェンツを、エルヴィンはじっと見た。
ザシャはそんな二人をどっちつかずの顔で見ていて、すっきりしない気持ちのまま、ラーラがやってきて往診のためにエルヴィンを連れて行った。
リーナスが変わりにやってきて、そつなくヴィンツェンツの相手をした。




