居眠り姫と商人の長・2
ザシャは気弱な人間ではない。
むしろ多くの人の目に偉丈夫として映るし、事実彼は頑強な男性だ。
ルドヴィカの護衛に取り沙汰されたのは確かに縁故でもあったけれど、その腕と胆力を大きく見込まれてのことだった。
しかし今、目の前にいる人物についと睥睨され、身じろぎひとつ叶わなかった。
「やっとお目にかかれましたわ、イグナーツ様。
ユリアン・フォン・シャファトの娘、ルドヴィカでございます」
その中このお嬢様の鈍感力よ!
柔らかな淑女の礼をした小さな背中に、全力で恨み言をぶつけたくなる。
真っ当な生活を営んでいたらこんな所には来るはずもないし出会う人物でもない。
お嬢様のせいだぞ、俺の平穏な人生を返せ!
「思っていた通りの愛らしいお嬢さんで嬉しいよ。
よく来てくれたね」
年の頃は50代だろうか。
白髪を後ろに綺麗に撫で付け結っている。
硬質で掠れた低音の声が、おそらくルドヴィカに対してだけ和らいで、鋭い瞳も細く眇められた。
「君からの手紙はいつもわたしを和ませてくれたよ、ルドヴィカ嬢」
「光栄ですわ、そう言っていただけて。
どうぞルイーゼとお呼びくださいませ」
「ではそうさせてもらおう。
こちらへ、ルイーゼ」
客間に案内され、ルドヴィカは引かれた椅子についた。
ザシャは付き人として戸口付近に控えた。
「茶は嗜まないのだったね、ルイーゼ?
果実水は?」
「お構いなく。
でもイグナーツ様のお薦めでしたらいただきたいですわ」
「用意させよう。
作品は?見せてくれるね」
「もちろんですわ」
ルドヴィカはタロウをごそごそとまさぐり、中から紙束を取り出しテーブルの上で差し出した。
イグナーツの長い指がそれを受け取り、視線が落とされる。
ルドヴィカはここにきてようやっとそわそわし始め、イグナーツの言葉を待った。
「…わたしは童話の類はよくわからないのだが、面白いね」
ルドヴィカの頬に朱が差した。
「ありがとうございます、嬉しいです!」
「この、自ら魔女を倒しに行くというのは、なかなか良いのではないだろうか」
「ええ、そこがウリなんですの!」
「これはお預かりして?」
「もちろんですわ!」
「こういうのが得意な人間がいるから、後ほど連絡させよう」
「君のことを訊ねてもよいだろうか?」
イグナーツは果実水に手を伸ばしたルドヴィカに言った。
「何なりと、お答えできることでしたら」
「手紙だけでは判らないこともあるからね。
体調のことだが―」
言葉を選ぶようにイグナースは逡巡した。
「医者は、なんと言っているのかね」
「原因はわからないと。
ゆえに回復も見込めないとのことですわ、今のところ」
「そうか」
椅子の中で背を正し、ルドヴィカはイグナースをじっと見た。
「悲観はしておりませんのよ?わたくし」
「そうだろうね。
この作品を読めば分かるよ」
少しの笑顔を浮かべ、彼は首肯した。
「君は自分の状況を―呪いの類と考えているのか?」
「いえ、ぜんぜん」
即座にルドヴィカは否定した。
「物語は物語です。
現実と混同するのは馬鹿げています。
わたくしの問題は対処可能な実際の問題、嘆くのではなく取り組むべき課題ですわ」
「会えて嬉しいよルドヴィカ、君は聡明な女性だね」
笑みを深めたイグナースの言葉に、ルドヴィカは赤面してさらに小さくなった。
「君の童話はわたしが責任を持って引き受けよう。
すべての人が手にすることが出来るようにしてみせると約束するよ、ルイーゼ」
ルドヴィカは笑顔をほころばせた。