シャファト家と在りし日の想い出・18
「今年は行こうよ、母さんのお墓」
イェルクがなんのこともなさげに告げた言葉に、夕食の席は固まった。
「じーじも来てるんだし。
きっと今ごろアリッサムが綺麗だよ」
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家人総出での見送りになり、ユリアンは苦笑しながら馬車に乗り込んだ。
ザシャは留守番を申し出た。
「イェルクがいるから大丈夫だろ。
家族水入らずしてきてくださいよ」と、彼なりの気遣いだった。
黒い服の用意などないと思っていたのだが、衣装部屋担当のアデーレはリーナスからの指示で毎年ヨーゼフのものまで含めて全員の分を仕立てていた。
やっとお目見えさせることができて感慨深そうに粛々といくらかの調整をしていた。
ルドヴィカは今日はクッションを連れて行かない。
少し不安そうではありながら穏やかな表情をしていた。
イェルクは「警ら服で行く」と言った。
その気持ちを思って誰も反対しなかった。
正式な装いの制帽を目深にかぶり、やはり彼の表情も穏やかだった。
ユリアンはもう一度笑った。
ヨーゼフが口実をつけてやって来た理由もこの時にわかって、自分が可笑しくなった。
そろそろけじめをつけるべきなのに、べたつくような感傷を引き摺っていたのはユリアンだけなのだ。
手放すべきものと、大切に思うべきものを違えて、盲目的な時を過ごしていた。
過ぎる程に優しい家人たちの見送りに手を振る。
時間をくれてありがとう。
ユリアンの心も凪いだ。
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ルドヴィカの記憶の中の光景と同じように、母の眠る丘は真っ白な花で覆われていた。
母が死んだときに探された墓地だった。
せめて好きな花に囲まれていられるようにとのユリアンの願いを込めて。
棺に土がかけられていく様子を憶えている。
兄とつないだ手が互いに強く握りこまれていたことも。
放心して何かが欠けてしまった瞳の父も。
忘れるわけがない。
真っ直ぐな黒い髪、やわらかい灰色の瞳の優しい女性。
花に埋もれるように白い墓石は6年前に時を止め、名を刻んでいた。
オティーリエ・フォン・シャファト。
久しぶりに見たその綴りにルドヴィカの頬に一筋だけ涙が伝った。
イェルクがその頭を撫でた。
「…ひさしぶりですわね」
「5年ぶりだよ」
「ツェーザルがいるので今日は帰りに迷いませんわ」
「…いうなよそれ」
兄とふたりで手をつないでここに立った5年前のように、渇きと絶望を感じることはない。
「…大騒ぎだったんだぞ、あの時は」
ユリアンが非難めいた色のない、懐かしむような声色で言った。
あの頃のユリアンは別人のようだった。
今のように微笑みすら浮かべてここに立つことなどあり得なかった。
だから、イェルクとルドヴィカはふたりでやってきたのだ。
「必要な5年だったね」
イェルクが述べた言葉に、ユリアンもルドヴィカも頷いた。
それぞれがそれぞれの気持ちに決着をつけるのに、どうしても必要な時間だったのだ。
突然呆気なく逝ってしまった大切な人を、本当の意味で送ってやるのに。
悲しみがなくなったわけではなかった。
寂しさがついえたわけでもなかった。
けれど今は顔を上げて前を向けた。
それは決して忘れてしまうことではなくて。
「僕、母さんのこと好きだよ、これからも」
ルドヴィカは「わたくしだって」と対抗した。
ユリアンは黙って笑って頷いた。
一緒に過ごしてきたたくさんの想い出が、前を向くように促してくれた。
想えば、楽しいことばかりだった。
それを抱えて生きる方がずっといい。
「怒られてしまうな、オティーリエに。
時間をかけ過ぎだと」
「全く「だ」「ですわ」」とユリアン以外の声が重なった。
ちょっとユリアンは落ち込んだ。
「この丘のてっぺんまで行きましょう、きっと綺麗ですわ」
ルドヴィカがイェルクを引っ張って行った。
ずっと黙って見守っていたヨーゼフに、ユリアンは言った。
「父さん、今晩は飲みましょう」
「ああ、付き合うぞ」
「聴かせてください、父さんがどうやって乗り越えたのかを。
――母さんが、亡くなったことを」
「あ?わたしのロスヴィータへの愛を甘く見るなよ?一晩で語れると思うのか?覚悟しろ?」
「知ってますよ。
わたしは貴方たちのような夫婦になりたかった」
ユリアンは足元に視線を落とした。
「知ってますよ」
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ルドヴィカたちを追いかけてユリアンたちが丘の上に来ると、ルドヴィカはくるりとユリアンを振り返って言った。
「お父様、再婚なさるといいですわ!」
なに言いだすのこの子、とその場の男性三人は思った。
「…いったいなにを言い出すんだいルイーゼ…」
「亡き妻を深く想う男性は、後添えの方を大切にするんだそうですわ!」
「…ちなみにそれはどこで得た知識か訊いていいかい?」
「ダニエラが買ってきてくれた雑誌に書いてありましたの!ビンデバルト様の編集だから確実ですわ!」
「うーん、ウチの侍女はウチの娘になにを買い与えているんだろうね?」
「そうか」とヨーゼフは重々しく頷いた。
「ではわたしも婚活すべきか」
「そうですわおじい様!おじい様はまだまだお若くて素敵なのでぜったい素敵な女性が見つかりますわ!」
「なるほど、ルイーゼより愛らしい女性はいなかろうが、考えてみるか」
「いや勘弁してください」とユリアンとイェルクは言った。
一面の白い花の絨毯が、風にさざめいてとても美しかった。
「想い出」ターン、これで終了です




