シャファト家と在りし日の想い出・13
ザシャを含めて賑やかな昼食をとった後、ユリアンはリーナスと共に書斎へと消えて行った。
どうやら「いろいろいろいろいろいろ話すことがある」らしい。
なにがあったのかしら。
午後の半ば頃に急ぎでやってきた使いはビンデバルト氏からのものだった。
返答にしてはいくらなんでも早すぎる。
だってこちらからのお手紙は昨日の今頃届けさせたばかりだもの。
「確認を取ってみます」というお知らせかもしれない、と思いながらルドヴィカは使者を待たせて別室で開封した。
「……きゃあああああああああ!!!」
何事かと慌てて部屋前までやってきた幾人かの従僕たちとはうらはらに、ザシャと控えていたラーラは訳知り顔で「よかった「な」「ですね」」と言った。
「どうしましょうどうしましょうどうしましょう、わたくしパトロンになってしまいましたわーーーー!!
きゃーーー!!ユーリア様のパトロンですわーーーーー!!!」
「いやパトロンじゃないって、仕事頼むんだからどっちかってーと雇用者」
「きゃーーー!!!」
全く聞いていなかった。
「…早速わたくしの個人資産すべて開放しなくては」
「うーん、ミヒャルケさん一生遊んで暮らせるね?」
普通にルドヴィカ名義の不動産とか大量にあるので全開放とかシャレにならない。
まぁ、金の使いどころがいまいち分かっていないから運用者に任せっきりのルドヴィカにしては、こうして「使ってみよう」と思えたことは大きな進歩だと思う。
「使者さん待ってるよー、なんかお返事かかなくていいのー?」
「はっ、そうでしたわ」
いそいそとルドヴィカはペンをとった。
「今度ビンデバルト様をご夕飯に招待したいですわ!」
****
ユーリアは、アルバイト先の定食屋の職員通用口まえで仁王立ちし、腹をくくるために深呼吸してぐっと息を止めた。
アロイスからの知らせは、ルドヴィカ嬢から『いねむりひめ』の挿絵を描く報酬を一部前払いしたいとの申し出があったとのことだった。
提示された額に目を張った。
いや、これで一部って…と思ったが、必要経費はその他に出すこと、またユーリア自身が望めば、この仕事が終わった後もひとりの画家として支援していきたいと言っているとの旨が記されていて、使者が去った後何度も何度もその手紙を見返した。
仕舞いには涙が出てきた。
たぶん使者が返事を急かしたのは、アロイスにそうするように言われたからに違いない。
そうでもなければユーリアは畏れ多くてこんな破格の条件を受けることなどなかっただろう。
――とてもいいと褒められたのに、女が描いたと知ったときにうち捨てられた自分の絵を知っている。
――女が描いたとわかった途端、入選を取り消された作品も。
これはきっと敵討ちだ。
これまで誰からも本当には見てもらえなかった、あたしの作品の。
ユーリアはもう一度息を吸い込んで、通用口から中へ入った。
大丈夫。
あたしにはあの少女がついている。
真っ赤になりながら、あたしの絵を「好きだ」と言ってくれたあの子が。
****
「…あらユーリア、早いじゃない」
普段より一時間も早く出勤したユーリアの姿を見て、この店の女将が言った。
「おはようございます、マルガさん」
「まあ働いてくれる分には構わないけどね。
昼の洗い物残ってんのよ、お願いできる?」
「マルガさん、洗い物が終わった後、少しお話しできますか」
「…どうしたのよ急に」仕事の手を止めて女将は訊ねた。
「あの…今後のことで…こちらのお店のいいときで構わないんです。
…お仕事、辞めさせていただきたいんです」
「…座りな」
言って女将はそこにあった空の酒樽に座り、ユーリアは小さい踏み台に腰かけた。
「どういうこと。
実家でも帰るの?」
「いえ…絵の仕事を、本格的にしていきたいんです」
「はぁ?」
「なに寝惚けたこと言ってんだい、今までだって頑張ってきただろう。
それでどうにもならなかったってのに、ここ辞めてどうやって食べてくんだい!」
心からの善意から言われる言葉にユーリアは泣きたくなった。
…マルガさんはいつだって味方でいてくれた。
女なのに、とも、女だから、とも言わなかった。
諦めそうになった心を引きずっていても、何も言わずにあたしが自分で結論を出すのを見守ってくれていた。
「結論が出たんです。
やっぱりあたしは絵を諦めたくない」
必死に涙を抑えて早口でユーリアは言った。
「初めて大きなお仕事をもらいました、あたしの絵を好きだっていってくれた人から。
あたしが女だからとかそんなの関係なくて、ただあたしの絵が好きだって。
絶対成功させたいんです、そして成功したいんです。
あたし、やっぱりあたしの名前で絵を描きたいんです」
「…その仕事が終わっても、絵で食べていけるとは限んないだろ」
「わかってます。
だから、成功します。
あたし、あたしを信じてくれた人の期待に応えたい」
「この話は後だ」
店に入ってきた客を見止め、女将は席を立った。
****
ひとりに釣られるように次々と客が入ってきて、あっという間に満席になった。
手早く洗い物を済ませたユーリアは注文取りに回り、馴染み客の挨拶に笑顔を返した。
「ユーリアちゃーん、聞いてよ」
「なんですかニクラスさん、早いですね」
「サボりじゃないぞー、今日は半休。
あ、ビールちょうだい」
「もう飲むんですか!」
「飲まないとやってらんない気分なの!」
なんかいっつもそんなこと言いながら飲んでるよなぁ、と思いながらユーリアは複数卓の注文品を抱えて届けた。
ニクラスに一品料理とビールを届けると、珍しく彼は先ほどの話題を続けた。
「なんかさぁ、後輩が辞めるかもしんなくて。
しかもでかい仕事に引っ張られる感じでさ。
俺としてはさ、複雑なの。
上手くやってけんのかなー、とか、あいついなくなったら寂しいよなー、とか」
ユーリアは少し息を詰めた。
「見送ってやりたい気持ちはあるよ?でもさ、なんかこう、言葉になんねぇなにかがあってさ」
ニクラスはビールを干しながら言った。
「あー…もう、なんか。
辞めないでくれよー、ユーリアちゃんは、ここ」
「えっ?!」
「行きつけの店の看板娘までいなくなるとかなったら俺泣きそう」
「それは俺も泣くわー」
「追い縋るねー」
隣の席の酔客も加わって笑った。
なんとかその場はごまかして厨房へと戻り、出来上がった商品を手に取った。
「――しばらくは週末はおいで。
それが条件だ」
手元を見ながら言った女将の言葉にびっくりしてユーリアは顔を上げた。
無表情を作って手を動かし続ける彼女に、ユーリアは腰を折って泣いた。
書いてたとき号泣だったっていうね…




