シャファト家と在りし日の想い出・12
注)文字数がいつものだいたい二倍です
隊長室から出たときはもう昼をかなり回っていて、普段なら交替で休みに入るところだがその流れにも乗れずに、イェルクは街に降りた。
何人かの同僚はすれ違いざまに何か言おうとしたが、思い直したように口を閉ざしてそのまま立ち去った。
悲しくはあったけれど、なにを口にするにしても今は言い訳染みた言葉しか出せない気がして、どこかほっとしている気持ちもあった。
「――イェルク」
石段を降りきったところで声を掛けられてイェルクはそちらを見た。
最下段に座り込んでいる人物がいた。
誰だかわからなくて少しの逆光の中目を凝らした。
やわらかい笑顔でこちらを見ていたのは、見覚えのない灰色の瞳の美しい男だった。
「…わからないか、もう俺のことは」
その声色に記憶を引き戻され――イェルクは目を見開いた。
「ヒーローさん…?」
そう呼ばれたことに男は少し首を傾げたが、微笑みを返して立ち上がった。
記憶の中の通りでかかった。
****
「昼なにも食ってないだろ?付き合ってくれ」
ものすごく久しぶりに会って、普通そこなんか感動の再会的にこう、なにかないの、とイェルクが心でつっこみを入れる程度にはあっさりとヒーローは先に歩いて行った。
とりあえず従う形になって慌ててついていく。
特に何も言われなかったから黙って追うが、横に並べないのはどうしても相手の方が歩幅が大きいことに起因する。
まさか「もっとゆっくり歩いて!」なんていう乙女チックな言葉などいえないし、空気感から一笑に付されそうだった。
あれ、こんな感じの人だったっけ?
まぁあの頃は一般市民のがきんちょだったから、守る対象だったのだということはわかる。
それにしてもなんかこう…なんかこう。
「ぶふぇ」
急に立ち止まった背中におもいっきり鼻先を埋めてイェルクは声を上げた。
一歩下がると「なにやってんだ、大丈夫か?」と声が降ってきた。
「だいじょうぶです…」鼻を押さえながらイェルクは答えた。
なにこの人、頭二つ分背丈が違うことを置いといても腰の位置高い。
しかもなんかいい匂いする、匂いまでイケメン。
勝てる戦だとは最初から思っていないが、なんか同じ舞台にすら上がっていないという。
なんかいろんなものがごりごり削られた気がする。
あれー、僕のヒーロー計画頓挫するんじゃね?これ?
広い肩幅で器用にそこにあった細い階段を上っていくのを見て追いかけると、テラスのあるこじんまりとしたカフェだった。
ためらわずにテラス席へと進む背中を追って続いたが、警ら服で来てしまって良かったのかふとためらった。
仕事さぼってるとか通報されないかな。
「なに食う?」
さっさと席に着いてメニューを開いているヒーローの前に着席し、さっき店内の看板に書いてあった「本日のおすすめランチ」と言った。
八百屋のアガーテばあちゃんが前に教えてくれた。
『本日のおすすめ』と銘打つものはたいていさっさと出してしまいたいもので、在庫処分と同じ意味だと。
それ以来イェルクは積極的に『本日のおすすめ』を選択するようにしている。
だって、選んでもらえなくて処分されるのかわいそうじゃん。
「じゃあ俺はこれ、ビーフシチューのバゲットセット、サラダ付きで」
告げると店員は足早に去って行った。
その女性の顔が真っ赤だったのは気のせいじゃない。
「イェルク、憶えていてくれてありがとう」
さっきの店員さんがいたら倒れたんじゃないかなぁ、という感じの微笑がこぼれた。
「…てゆーか、ご存じだったんですね、おれが警らになったの」
「かなり前から。
警ら友だちにも聞いたし、噂も聞こえてた」
その言葉に確信を持って、イェルクは訊ねた。
「もう…警らされてないんですね」
ヒーローは答えた。
「してないよ」
なんとなく、気付いてはいた。
すべての班の面子を知っているわけではないが、それでも機会があれば似たような姿を捜していた。
もういないのではないかと思ったのは今年に入ってからだ。
なんとなく、他の人には訊けなかった。
「警らじゃない俺じゃ嫌だ?一緒に飯食うの」
「まさか」
イェルクは首を振って即答した。
今は状況が違っても、彼はイェルクに道を示してくれたヒーローだ。
「よかった…一度話したかったんだ、俺で」
そう言うと彼はひとつ控えめなあくびをして、頬杖をついた。
イェルクを見る目が上目遣いになって、そういうのはあの店員さんにやってください、とイェルクは思った。
「――会いたかったよイェルク」
え、なにこれ。
そんな色気ダダ洩れで言われても。
いくら美人でも僕そういう趣味ないんで。
「イェルクは俺に会いたくなかった?」
「いえ」
そこは否定させていただく。
「おれもお会いしたかったです。
貴方は…おれが目指した人だから」
ヒーローの笑みが深くなった。
「嬉しいこと言ってくれるね」
「本当です、あの時助けてもらわなかったら…貴方以外の人に助けられていたとしたら…きっとおれは警らを目指さなかった」
「うわー」とヒーローは両手で口元を覆った。
「これ恥ずいな、エミで聞くより。
うわー」
「エミデキク?ってなんですか?」
「こっちの話。
イェルク、しらふでも酔ってるみたいとか酔っててもしらふみたいとか言われない?」
言われる。
「言われます」
「言葉が素直すぎてなんか口説かれてる気分になる」
「いやいやいやいやいや、逆でしょう」
貴方の色気のがいろいろけしからんでしょうが。
なんか昼時なのに混んでなくてよかったね、この店。
あ、だから選んだのか?
「俺はねぇ、欲張りなんだ」
ふと、零れたかのようにヒーローは言った。
「ちゃんと俺の姿でその言葉が聞きたかった。
誰かに影響を与えることができたって感じて、少しでも悦に浸りたいんだ」
「…よくは分かりませんけど、たぶん、普通の欲求じゃないですかね」
「そうかな?」
「俺がこんな人間だって知って、幻滅する?」
「しませんよ」
「そうか、よかった」
ヒーローは椅子に座りなおして、じっと目をみてきた。
「警らは続けるの?イェルク」
息が詰まった。
「…続けます」
「――あの時俺が名乗らなかった理由、わかる?」
「…わかりません」
「あの日――君と妹ちゃんを背負って行った日。
俺、警ら辞めたんだ」
言葉が出なかった。
「警らになると誓う君に、俺は名乗る名を持たなかった。
そんな資格はないと思ったから。
でも、君は警らになったね、俺がいなくても」
イェルクのヒーローは本当に美しく微笑んだ。
「それだけで、俺は良かったと今は思える。
俺が警らとして過ごした日々は無駄じゃなかったと。
なにかひとつでも、残すことができたから」
「君に会えて良かった――イェルク」
おれもです、と言いたかったけど上手く声にできなかった。
俯いていたらランチが運ばれてきて、きっとこのタイミングを見てきたんだな、と思った。
イェルクのヒーローみたいに。
きっと、辞めるかもしれないという話を聴いて会いに来てくれた、この人みたいに。




